身の覚えのない批判をされた時どうするか?

最近聖書の言葉から思わされたことをシェアします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

パウロは嵐のなかでも守られ、マルタ島という島に着きました。
島の人たちがパウロさんのために火を付けてくれました。
パウロさんも木を拾い集めていました。
が、その途中蛇がいてパウロさんの手に噛み付きました。
それを見て島の人たちは、

'土地の人々は、この生きものがパウロの手からぶら下がっているのを見て、互に言った、「この人は、きっと人殺しに違いない。海からはのがれたが、ディケーの神様が彼を生かしてはおかないのだ」。 '
使徒行伝 28:4

と思いました。

でも毒が回ってパウロさんが死ぬぞ、と待っていてもパウロさんはピンピンしています。
今度は島の人達は、

'彼らは、彼が間もなくはれ上がるか、あるいは、たちまち倒れて死ぬだろうと、様子をうかがっていた。しかし、長い間うかがっていても、彼の身になんの変ったことも起らないのを見て、彼らは考えを変えて、「この人は神様だ」と言い出した。 '
使徒行伝 28:6

先ほどは、「人殺しだ」と言っているのに、今度は「神さまだ」と言っています。
同じパウロを見ているのに、こんなにも考えが変えます。

これが人の一つの側面だなーと思います。

自分の都合に合わせて、自分が納得できるように、どんどん物事の見方を変えていく。
あるときには賞賛するのに、また別のときにはボコボコに言います。

人の評価をするのは簡単です。
この行動をしたから◯。
あの行動ができていないから✖️。
と一つ一つの行動をチェックし、その度に人の評価をする。
それがまるで人殺しから神になるまで両極端に人の評価をすぐにガラリとしてしまう。

それくらい自分が人を評価するのはブレやすい、また、人からの評価もコロコロ変わるということです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

でもふと思います。
「ころころ人の評価をすぐに変えるこの島の人たちってどうなんだ?と思っているけど果たして自分は?」
と。

パウロはそんな人の評価をいちいち反応せず自分のできることを集中しました。

'たまたま、ポプリオの父が赤痢をわずらい、高熱で床についていた。そこでパウロは、その人のところにはいって行って祈り、手を彼の上においていやしてやった。 '
使徒行伝 28:8

その結果、島の人々は非常に尊敬し、パウロが旅を再出発する時も手伝ってくれました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

人の評価、というのは常に付きまとう問題です。
指摘を受けて、それが自分にとって建設的な指摘であれば受ければいいです。

でも時には身の覚えのない評価をされることもあります。

人の評価というのはこの島の人々のように、コロコロすぐに評価が変わるもの、それは今も変わりません。
パウロは表面的な人の評価を気にせず、その人たちのために祈り、癒しました。

そのように今自分ができることを集中し、神の自分に対する計画に集中することが大切だと改めて思わされました。



今日も最高の1日を😄

God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)

長瀬雄大

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?