盲人が像を触った時の話

ある授業でこんな話を聞きました。

「ゾウを全く知らないある人が目隠ししながらゾウを触りました。
その人はゾウの鼻を触りました。
なのでその人はゾウを細長いものと認識します。

もう1人ゾウを全く知らない人が目隠ししながらゾウを触りました。
その人はゾウの胴体を触ります。
そうするとその人はゾウを大きく太いものと認識します。

どちらもゾウです。
でも触った箇所でゾウの印象が全然違います。」


神の印象も同じような感じかなと思います。


ある人は神というイメージが優しいイメージ。
でもある人は神というイメージは厳かで、厳しいイメージ。
ある人は神というイメージは自由なイメージ。
でもある人は神というイメージは秩序あるイメージ。

一見、相反するものと人間には思えても、どれも神であり、そして神の一部分しか表していない。

そして自分の理解をはるかに超える神を、一部分知っているだけで全てを知っているように思い、それが正しく、他は間違えている、と排他的になりがちなのが自分を含めて人間。


神のイメージが、優しいイメージの人と、厳かで厳しいイメージの人が、
それぞれの主義主張を言い合いなんやかんや喧嘩していたら、
それこそ神はその姿を見て悲しむんだろうなーとも思います。

「どちらも私の一部分であり、一つの側面なんだから協力しあって、まだ知らない人に届けてくれよ」と(笑)


つい相反する主義主張の人には批判的になってしまうことがあるなと気づかされました。


今日も最高の1日を😄

God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)

長瀬雄大



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