他人を裁いてしまう時どうすればいいのか?

先日メッセージでした。
相手は中学高校生です。

以下が完全原稿です。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
イントロ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

みなさんおはようございます。

先日台風が来ました。
みなさんは大丈夫でしたか?

今でも覚えていることがあります。
僕がまだ大学生の頃です。
台風が来る前でまだ雨が降っていない時、
夜海の近くを車で通っていて、ちょっと興味本位で車を停めて浜辺に行きました。

良い子は真似しないでね(笑)

風がゴォーッと唸っていて、波がいつもより荒く、
大気全体が揺れているような感じを受けました。

この大自然の驚異と同時に自分がなんて小さいんだと感じた瞬間でした。


さて皆さんに質問です。
「皆さんは今までの中で、大自然に圧倒され、自分の存在がなんか小さく思えた、と思ったことってありますか?」


僕たちは普段生きていると、
自分と他人を比較して、あの人はあれができないが自分はある程度できることを見つけると、
まるで自分が大きな存在のように感じることがあります。

でも大自然の大きさを体感した時にそんな自分がちっぽけな存在と感じることがあります。


今日登場するイザヤさんはある時、神様を見ました。
そして神様の存在に圧倒されました。

ではどのようにしてでしょうか?
それでは聖書を読んでいきましょう。


今日覚えて帰って欲しい御言葉があります。

イザヤ6:7
'彼はわたしの口に火を触れさせて言った。「見よ、これがあなたの唇に触れたので/あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」 '

今日は特に前半1〜7節を見ていきましょう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
聖書解説
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

1、'ウジヤ王が死んだ年のことである。わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。 '

と書いてあります。
まずはウジヤ王って誰っていう話です。
ウジヤ王って紀元前700年代に活躍した王様。
で初めの頃は、神への信仰に生き、国は栄えていきました。
どんどん領土を拡大していって、とても繁栄します。

しかし晩年、心が高ぶり彼は神より然りをうけ、病によって王位を退くことになります。
高ぶりによって最後は失敗した王様でした。

でも国民にとってみればこのウジヤ王はとても力強い時代のリーダーという印象があり、
この王様が死んだ時、今後この国は、そして自分の将来はどうなっていってしまうのだろう?という将来の不安を抱えると思います。

僕たちも頼りにしていたリーダーや先生が抜けたり、いなくなったら少なからず不安を抱くことはないでしょうか?
この先どうなるんだろう?いい方向にいけばいいけどどうなんだろうと?
この民たちはそのような状況でありました。

そして将来に対して不安な時に、神はこの国で預言者をしていたイザヤに幻を見させてくれました。
神が高い御座にいて、その衣のすそが神殿に満ちている幻です。
セラピムという生き物が飛びながらこう言いました。

3、'彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」 '

イザヤはその聖なる主の前に立った時、自分が本当に汚れているものであると思い知らされました。

6、7、'するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。 彼はわたしの口に火を触れさせて言った。「見よ、これがあなたの唇に触れたので/あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」 '

この時セラピムが祭壇の上で燃えている炭を持ってきて、イザヤの唇に触れました。
すると、神はイザヤが汚れている、と叫んだその唇をきよくしてくれました。

これが今回の聖書のざっとしたお話です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
展開
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

イザヤは預言者でした。
預言者というのは神様の言葉を語る人です。
特に王様の側にいて、王様に神様の言葉を伝えたり、
王様のためにお祈りをしたりしていました。

この6章の前でもすでに預言者の活動をイザヤは始めていて、
社会の不正や、人々の悪行をさばきを
「わざわいなるかな」と何度も語っています。5:8、11、18、20〜22
滅ぶべき罪人と決めて「わざわいなるかな」と指差していました。


もし自分もイザヤならこう思います。
「まったく、あの民と来たらしょうがないなー何度も指摘してもなかなか直らないしなーと。」
つぶやき、ブツブツいうかなと思います。

しかし、聖なる神の前でイザヤ自身、自分こそが「わざわい」だと気づいたのです。

聖なる神の前でイザヤは圧倒されたのです。

人のことどころではなく、神の言葉を語るべき自分自身の口が汚れている、、、と。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
自分は?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

僕はこの御言葉を読み、調べていくうちに
自分にもイザヤと同じような部分があるなと思いました。

僕の場合は子供たちに対してです。

イザヤが民に向かって裁いていたようにように、
僕の場合は、最近キャンプ中に礼拝中なかなか落ち着かない子供たちに対してだめだなーと裁いてました。
礼拝中はちゃんと座って欲しい、という約束を破ってしまう子供達に対してイライラしていました。


でもそのキャンプのメッセージで、

'女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。 '創世記 3:6

が語られふと気付きました。
「あ、僕は子供のことを、あれができないこれができない、約束を守れないなと思って裁いていたけど、僕こそ、このアダムとイブのように、神が唯一エデンの園で取ってはダメと約束されていた実を食べるような者ではなないか」と。

私自身、キャンプのそのメッセージで、自分こそ神に背いて生きているのは自分だと分かり、子供たちにだめだーとすぐ裁くのではなく、子供の気持ちに寄り添うよう方向転換ができるようになりました。

神はイザヤの場合は幻を見せ、イザヤがどのような姿かを示されました。
本来神はどういう姿なのか、本来人間、僕たちはどのような姿なのかを。

僕の場合は御言葉でした。
神はいろいろな方法で僕たちを正してくれます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
原理原則&解説
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここから学ぶことがあります。
神の前では人間は同じ的外れな生き方をしている者である。

でも実際はどうでしょうか?

つい、自分こそが正しい、自分こそが相手より客観的に物事を見れていて冷静に分析できる、
と見てしまうことが多いのではないでしょうか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1間違えた思い込み
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここに間違えた思い込みがあります。
自分こそ一番正しく、相手は間違えている
という思い込みです。

聖なる神の前では私たちは同じ、的外れな生き方をしているものです。

本来神の前に出れるような状態ではありません。

イザヤは自分が神の前では滅んでしまう、
死んでしまうしかない存在と分かり、絶望していました。

このままイザヤは滅んでしまうのでしょうか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
良い知らせ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここに良い知らせがあります。

6:7
'彼はわたしの口に火を触れさせて言った。「見よ、これがあなたの唇に触れたので/あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」 '

「これ」とは祭壇の炭火です。
イザヤが自分自身に絶望した時、神から救いが来ました。

イザヤが自分で祭壇に行って炭火を取ったわけではありません。
神から救いが来たのです。

今日でいう祭壇とはイエスキリストの十字架です。
炭火は聖霊と言われています。

神は絶望していたイザヤをそのままにしませんでした。
1人の御子イエスキリストを差し出し、イザヤ、そして私たちが滅ぶのではなく、代わりにイエスキリストを十字架につけ、救いの道を与えたのです。

神はあなたがどんな状態でも、
落ち込んでも、人に批判されても、どんなに失敗しようとも、
キリストの十字架によって取り扱ってくれます。

そしてイザヤはこのことによって神との関係を修正され、
偉大な預言者として変えられていくのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最後の呼びかけ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

私たちはつい他人を批判しがちです。
でも問われます。
自分は神の前で人を裁けるものかと?
それはイザヤのように幻かもしれませんし、御言葉を通してかもしれません。

でもその時、自分こそキリストによって赦されていることを知り、
その愛を受け、人を裁くのではなく、互いに愛し赦し合えるように変えられていきたいと思います。

6:7
'彼はわたしの口に火を触れさせて言った。「見よ、これがあなたの唇に触れたので/あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」 '


ではお祈りをします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
祈り
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

天のお父様、今日あなたから御言葉を聴きました。
イザヤはあなたの言葉を取り扱うものとして遣わされました。
でもそれがいつの間にか人を裁くものとなってしまいます。
弱い私たちの姿がここにあります。
あなたの前では誰でも滅んでいく者です。
でもあなたはイエスキリストをその代わりに十字架につけ、
私たちの代わりを受けてくれました。
そのことを覚え、隣の人を互いに愛し合うよう強めてください。
イエス様のお名前によってお祈りします。
アーメン。



今日も最高の1日を😄

God bless you〜(神の恵みがあなたにありますように)

長瀬雄大

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?