息子との和解

先日までホーリネス強調週間でした。

その中で起こったことをシェアします。

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何が起こったの?
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ホーリネス強調週間の二日目の朝、
長男が学校に行きたくないと愚図っていました。

理由は宿題が前日にできていなかったから。
宿題をせず、弟と遊んでいてついつい宿題をやれず当日に。
苦手な算数なので朝やっても間に合わない。
しかも長瀬家ルールでは宿題をやれないならその日のゲームは無し。

長男は苦手な宿題をやらなければいけないということと、
ゲームがやれないという二つが重なり、
「もういい、今日は学校行かない」
とやけくそ気味。

親としては、自分のまいた種は自分で苅りとれスタイルなので、
「まー怒られて、懲りて次から自分で計画たててやればいいか」
という感じでした。

でも困るのは妻。
家でオンラインの仕事をやるので家にいて元気にうろうろされても困る。
なんとか説得して学校に行かせたい状況。

そんな中、自分の黙想の定刻が近づき自分もイライラ。
せっかくのホーリネス強調週間。
普段の忙しさから解放され、心静める時を少しでも多くしたい
という本音があり、長男の学校行く行かないでその時間が奪われることが嫌だったのです。

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いつもの自分ならどうしてた?
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このようなことは何回かあったので、いつも僕なら、
もう時間だからごめんよろしくーと妻に託していました。

で今回も神学校に向かいました。


でもその時ふと心に御言葉がこころに浮かびました。

'だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、 その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。 '
マタイによる福音書 5:23-24

いつもなら、あとよろしくーで特に心は引っかからないのですが、
この時はこの御言葉がどうしても心にひっかかり、一度家に戻りました。

そうしたら、ちょうど学校から電話があって担任の先生と話して、
算数の宿題が苦手なことによって宿題がなかなか進まないことを正直に話し、先生はそれでもいいから学校来てごらんと優しく対応してくれました。
そして先生に伝えられたことで本人もスッキリし、これから行くーとのことでした。

結局、僕は何も貢献せず解決しました(笑)

自分の態度がよくなかったことを長男に後で謝りました。

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僕にとって時間というのはとても大切なもの。
しかもホーリネス強調週間で神と一対一の時間を持つというのは、
自分にとってさらに大切なもの。

そんな時、愚図る長男との対応と、神との一体一の時間、どちらをとるかという選択を迫られたわけです。

今回御言葉から長男の関係の修復を選びました。


この選択が良かったかどうかはわかりません。

でもここで思ったことは、
自分の活動は、神という名の大義名分化しやすいと思い知らせれました。

神と一対一を時間をとる。

これはとても大切なことです。
神も願っているだろうし、そして自分もこの忙しい現代に心を静める大切な時。
神との時間だから自分の活動は何より優先されるべきと。

でもこの今回思わされたことは、時と場合によるとは思いますが、

神は人との和解、赦しを望んでいると。

特に子供との関係では、親は体格、思考、考えなどを総動員させて力を使ってしまう。
今回でいうと、長男が自分で計画をたて宿題をやり、もし分からなければ分からないと助けを求める、そのようにルールを決め、もしできなければゲームをやらせないというルール、力を使う。

人格的関係で「力」を使うと人との関係は弱まります。

僕は目の前の、
自分が神との交わりたいという大義名分のためにルール違反している長男を裁いていました。

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そこに不思議なタイミングで御言葉から気づかされたんです。

その後神との時間の中で告白しました。
「自分には家族をコントロールしようとしていましたが、
コントロールしようと思えば思うほど関係が悪くなってしまうことを認めます。

この自分が家族をコントロールする、つまり神となり人を操ろうとすること、これが自分にはできないことを認めます。

そして無力を認めます。
長男の宿題できない悔しい気持ちや、つい遊んでしまうことを優先する気持ち、気づいた時には朝になってしまってから気づく大変さ、に寄り添えない自分がいたことを認めます。

どうぞあなたに委ねますので助けてください」

と自分の無力さを認め、神に委ねることを告白しました。
自分の弱さ、無力を認めた時、解放、そして心の平安がありました。
自分は1人ではないと。

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子供は親に比べ弱い存在です。
だから自分のコントロールしたい気持ちがつい出てしまい「力」を使ってしまう。

でも神の求めているのは和解と赦しである。
気持ちを分かち合うこと。

それをつい忘れてしまうなと、思い直した日でした。


今日も最高の1日を😊

GOD bless you〜



長瀬雄大






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