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40mmもいいが、50mmに戻るとしよう(HELIAR classic 50mm F1.5 簡易レビュー付き)

 ここのところ、40mm レンズが人気のようである。
 かくいう筆者も、以前は 50mm ばかり使っていたが、最近は何本か 40mm にも手を出してトライしてきた。そして、結果として HELIAR classic 50mm F1.5 に辿り着いた。この記事では、長く使った 50mm レンズと新参者の 40mm レンズとの対比、そして、“新しいオールドレンズ” とも言える HELIAR classic について、拙い作例を示しながら少々思うところを書いてみたい。

40mmという焦点距離の歴史

不遇の時代を過ごした40mmレンズ

 少なくともマニュアルフォーカスのフィルム一眼レフが全盛になってからは、50mm レンズの次は 35mm、その次は 28mm、そして 24mm というように規則正しくラインアップされているのが一般的であったと記憶している。少なくとも、Ai Nikkor や Canon FD のラインアップには 40mm 単焦点レンズは存在しなかったはずだ。そんな環境の中で、50mm+28mm を組み合わせる派と、35mm+24mm とを組み合わせる派で勢力を競い合っていたような印象があった(※個人の印象ですよ)。(ちなみに、smc PENTAX-M には、40mm F2.8 という有名なパンケーキレンズが存在するが、これは異なる存在意義を持たされたレンズだと思うので見なかったことにする。)

Nikon Ai Nikkor 50mm F/1.2S + Nikon F3 (フィルム撮影)

 その後、APS-Cサイズのセンサーの一眼レフが普及してからも、標準レンズといえば 35mm であり、28mm を “標準” と呼んでいた人はほとんどいなかったような気がする(※これまた個人の印象)。例えば Nikon D70 あたりが大ヒットしていた時代、35mm F2D が品薄だったのを思い出す。一眼レフを初めて手にした友人のために何軒かのカメラ店に電話を掛けたものだ。その後も、Nikon は F マウントでは 40mm レンズ、あるいは 40mm 相当の画角を持つ APS-C フォーマットのレンズは出していない。Canon は EF40mm F2.8 STM というのを出しているが、50mm よりも2段も暗いパンケーキで、標準レンズの立ち位置を狙ったわけではないだろう。そんな時代に、やはり PENTAX は異端で、FA 43mm F1.9 Limited(フルサイズ一眼レフ用)というチャレンジングなレンズを作っている。また、Voigtländer(COSINA)もフルサイズ一眼レフ用の ULTRON 40mm F2 という面白いレンズを出していた。確かめたわけではないが、これがおそらく Nikon F マウント用の初めての 40mm レンズだったのではなかろうか。(ちなみに筆者は M42 版を入手して使っていたが、当時は APS-C センサーのカメラを使っていたので 40mm の画角では使っていなかった。)

CARL ZEISS JENA DDR MC FLEKTOGON 2.4/35 + PENTAX *ist DS (換算52.5mm相当)

 そんなわけで、40mm(あるいは換算 40mm)という焦点距離は、もちろん全く存在しなかったというわけではないが、少なくとも一眼 “レフ” 時代には定番からは外れた、少し特殊な焦点距離であったというのはまぁ同意頂けるのではないだろうか。

表舞台に帰ってきた40mm

 そんなこんなで、40mm という焦点距離は不遇な時代を過ごしてきたわけであるが、ここ数年で一気に表舞台に出てきた感がある。Panasonic がマイクロフォーサーズカメラのレンズキットとして LUMIX G 20mm / F1.7 を採用したのは英断だったと思う。動作音の少々うるさいレンズだが、とても良いものだった。これがおそらく2009年。このレンズがミラーレス時代の 40mm(相当)の先駆けに近いのではないだろうか。

LUMIX G 20mm/F1.7 ASPH + OLUMPUS OM-D E-M5 Mark III (換算40mm相当)

 フルサイズでは、COSINA が NOKTON、NOKTON Classic、HELIAR などのブランドで多様な 40mm レンズを立て続けに開発している。変わったところでは、深センの 7Artisans が APS-C 用の 25mm F1.8 というのを出している。これは、ぴったり 40mm 相当にはならないが、敢えて 24mm としなかったところに APS-C 用の画角に対するこだわりが垣間見える。

7Artisans 25mm F1.8 + SONY NEX-6 (換算37.5mm相当)

 そして、SIGMA が 40mm F1.4 DG HSM という、非常に大きく非常に重く非常に高価だが写りは妥協しないという、いわゆる現代の本気レンズを Art ラインに投入してきたのが2018年。また、SONY も、現代における別系統(明るさを犠牲にして描写を優先するという系統の考え方もあるように思う)の本気レンズとして、写りとサイズを高次元でバランスさせている FE 40mm F2.5G を出してきたのが2021年前半。そして、RICOH も2021年後半に、伝統の GR にまさかの 40mm 相当のレンズを載せてきた。さらに同年、ついに Nikon が Z マウントのラインアップに NIKKOR Z 40mm f/2 を並べた。Olympus もほぼ同時に M.ZUIKO DIGITAL ED 20mm F1.4 PRO(40mm 相当)を発売。そうこうしているうちに、気が付くと、40mm を出していないのは Canon くらいしか残っていない状態になっている。40mm が異端だった時代には考えられないことである。

RICOH GR IIIx (26.1mm/F2.8) (換算40mm相当)

(ここまでの記述では、筆者の記憶にあるレンズだけを取り上げた。もちろん紹介すべきレンズが他にもいろいろあるとは思うが、すべて列挙するために網羅的に調査したわけではない点はご容赦いただきたい。)

50mmレンズの印象と40mmレンズの印象

 とまぁ前置きが長くなったが、かくいう筆者も、昔は 50mm ばかりを使っていたのに、最近は 40mm を使うようになったうちの一人である。

50mmは視界を切り取る

 こんな記事を読んでくださっている方には釈迦に説法だろうが、50mm レンズ(あるいは換算 50mm 相当)の画角というのはやはり「狭い」。もちろんいろいろな定義があろうが、さすがに広角に分類されることはほとんどないわけで、少なくとも「広くはない」と認識している人が多数派であることはまず間違いないだろう。したがって、50mm レンズを使うという行為は、意図的に視界を切り取るという作業に他ならない(※引き続き筆者の個人の意見ですよ)。これが、85mm とか 105mm とかまでくると、広い風景から一部を意識して切り取るというよりかは、どうしたって一部しか見えないから意図的に狭い範囲に着目する、という感覚に近づいてくる。もちろんそこを工夫するところに面白さがあるわけだが、この絶妙な ”ちょっと切り取る” という感覚が、筆者が 50mm レンズを気に入っていた一つの理由だったのだろうとあらためて思う。

 もちろん、同じ画角であっても撮影者によって感覚や使い方は千差万別であろう。被写体に出会った瞬間に手に持っているレンズの画角やシャープさ、線の太さや色乗り、ボケの出かたやフレアなどの特性を撮影者自身の経験と照らし合わせて予測し、フレーミングやピント位置と絞り、露出などの選択をおこなうわけである。すなわち、例えば 50mm レンズを手にしているながば、頭も 50mm モードに切り替わっているはずであり、それが自ずと撮影結果に現れてくる(ような気がする)。
 というわけで、以下に、お恥ずかしながら、”筆者が” 50mm レンズを手にしたときの例をいくつか示そう。筆者が 50mm 相当の画角に対して感じている感覚が少しは伝わるだろうか。

Nikon Ai AF Nikkor 35mm f/2D + FUJIFILM FinePix S2 Pro (換算52.5mm相当)
CARL ZEISS JENA DDR MC FLEKTOGON 2.4/35 + PENTAX *ist DS (換算52.5mm相当)
Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF + Nikon D600 (フルサイズ)
Nikon Ai Nikkor 50mm F/1.2S + Nikon F3 (フィルム撮影)

 以上のように、少なくとも筆者は、50mm レンズを持つと、ついつい "切り取る" 方向性の絵ばかり撮りたくなってしまう。ここで臨機応変にいろいろな発想を持って表現することが出来ていれば筆者はこんなところには留まっていないはずで、そこはやむなしといったところだろう。

40mmは着目したもの全体を捉える

 次に 40mm についてだが、筆者自身は 40mm レンズに「狭い」という印象はない。むしろ、ファインダーを覗いた時に、直前までに肉眼で見ていた対象がそのままキレイにフレームに収まっている、という印象を感じることが多い。とはいっても、広角だと感じることもない。35mm までいくとそれなりに広い範囲が写っているなと思うのだが、40mm だと、広いとは全く感じないのにも関わらず意外と全部が写っている。そういう印象を持っている。
 従って、筆者が 40mm レンズを手にしている時には、50mm レンズを持ったときの “何かを切り取るぞ” という意思は薄れ、ありのまま全体を捉える、という意識に切り替わる(ような気がする)。この差は、微妙なようで、少なくとも筆者にとっては無視できない差である。繰り返すが、単焦点レンズを手にしている時には、常にそのレンズの画角を意識して景色を眺めるモードに入っているわけで、それが切り取るレンズなのか全体を捉えるレンズなのかによって、写真に収めようと思える被写体そのものすら変わってくることがあるのである。
 以下に、40mm レンズの作例をいくつか示す。

SONY FE 40mm F2.5 G + SONY α7R II (フルサイズ)
RICOH GR IIIx (26.1mm/F2.8) (換算40mm相当)
LUMIX G 20mm/F1.7 ASPH + OLUMPUS OM-D E-M5 Mark III (換算40mm相当)
Voigtländer NOKTON classic 40mm F1.4 MC + SONY α7 II (フルサイズ)

 こんな感じで、40mm を持つとやはり一歩引いて、説明的な写真を撮りがちである。(繰り返すが、本来はそういう特性を理解した上で様々な表現ができることが理想であるとは思っている。実現できていないだけで。)

そんなわけで、50mmに戻ろうと思う

 以上のように 50mm レンズと 40mm レンズをそれぞれいくつかずつ使ってきたわけであるが、筆者は 40mm レンズを使うとどうしても軽い写真を撮りがちな気がしてきた。それが悪いわけでは無いのだが、どうしてもその場の雰囲気を欲張りに取り込んで、結果として実態感が無いというか、浮き足立っているというか、そういう絵になることが多いように思う。もちろんこれはレンズ側の責任では無く、筆者の技能が不足しているだけであることは強調しておくが、残念ながらそういう傾向にあることは否めない。

 そんなわけで、50mm に戻ろうかと思っていた。そして、漠然とそう考えていたところに、非常にキケンなレンズが、これまた COSINA から出て来た。HELIAR classic 50mm F1.5 である。Heliar という構成は、19世紀末に考案された Triplet というレンズ構成から派生した設計思想に基づいている。Triplet は2枚の凸レンズの間に1枚の凹レンズが挟まれたたった3枚のレンズから作られており、元々の Heliar はこれを改良して3群5枚構成だったとのことだ。ただし、この新しい COSINA のレンズは Heliar  を名乗ってはいるものの、1枚増えた3群6枚構成となっている。そのかわり、F1.5 というとても明るいスペックを実現している。このシンプルなレンズが、なかなかどうして、オールドレンズを彷彿とさせながらも実用的な、とても面白い描写を見せるのである。これまたお恥ずかしい限りであるが、いくつかの作例をご覧頂きたい。

HELIAR classic 50mm F1.5 + SONY α7R II (フルサイズ)
HELIAR classic 50mm F1.5 + SONY α7R II (フルサイズ)
HELIAR classic 50mm F1.5 + SONY α7R II (フルサイズ)
HELIAR classic 50mm F1.5 + SONY α7R II (フルサイズ)

 レンズの写りそのものは作品の善し悪しとは関係ないので描写についての個別のコメントは避けるが、例えば、ピント面を見た時にわかる単なる描写の甘いレンズというわけではないという点や、全体的に掴み所のないフレアっぽい描写、前ボケと後ボケの極端な差などが特徴だと思う。
 なお、最後の一枚はこの記事の上の方に掲載した換算40mm相当のレンズで撮影したものと同じ場所で、ただし別の日に撮影したものである。40mm レンズを手にしている時と 50mm レンズを手にしている時に自分自身にどういう意識の差があるのか、こういうシーンを自分で見比べると興味深い。

 というわけで、しばらくはこの “新しいオールドレンズ” と向き合ってみようと思う。と言っても、誰に向かって宣言するというわけではないので、結果としてこの記事は単なる自身の意思表示の記録でしかなかったことに今更ながら気付いた。ここまでの駄文にお付き合い頂き、感謝します。

50mm 相当のレンズたち。

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