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犬を飼う

初めて犬を飼ったのは、小学生の時です。犬を飼ったと言えないかもしれません。
家で飼った訳ではありません。
三和銀行の寮に住んでいましたので、
ペットを飼うことはたぶん禁止されていたと思います。
友達の太田君は家で、羽を切って飛べなくしたインコを飼っていました。
私は、リスを飼っていましたが、1ヶ月もせずに逃げてしまいました。
リスは、とてもおしっこがくさく、母親は家の中で飼うことを許してくれませんでした。
ベランダに、木箱と金網でリスの飼育箱を作り、外で飼っていましたが金網を破って逃げてしましました。
今思えば、母親がわざと逃がしたのだと思います。
母親は、セミやバッタを捕ってきたときも、かわいそうだからと2、3日で放す様に言いました。
亀を見つけてきたときも、すぐに放しなさいと言われて放しました。
亀取りは子供の時によく友達とやりました。
亀は大好きでした。
祭りの夜店でもゼニガメが売られていましたが、買ってもらった記憶はありません。
クサガメを見つけて家に持って帰ることがありました。
あるとき、亀の卵を見つけてそこから孵化仕立ての本当に小さい1センチぐらいのかわいい亀を捕まえたときがありました。
宝物だと思いました。
鮮明に記憶しています。
この小さな貴重な亀も、すぐに逃がしてやりなさいと言われました。
手放すには惜しい、あまりにも小さくかわいい亀でした。
私は逃がすことができず友達と一緒に水槽に砂を敷き詰めて寮の地下にある物置に隠したことがあります。
それは、友達と二人だけの秘密でした。
小さな亀は、私の宝物でした。
次の日に地下室の物置に隠した水槽の亀を確認に行きますと、いませんでした。
砂をひっくり返して探しまくりましたがいません。

話が犬のおもいでから離れてしましました。
書いている内に忘れていた亀の記憶が出てきました。

犬の話の続です。
住んでいた寮は、
3階立ての建屋が三棟、エレベータはなし。
一棟に階段が2列、階段を挟んで両側にドアが並ぶ。
一棟あたりに3×2×2で12世帯。
三棟ありましたので36世帯の家族が住み、別棟には独身寮もある大きな寮でした。
尼崎の園田でした。
野球が出来るグランド、広場があり、サッカーゴールとバスケットのゴールもありました。
ブランコ、鉄棒、砂場、ジャングルジムなどの遊具もあり、とても広い敷地でした。

敷地はブロック塀とフェンスで囲まれており、ブロック塀側には池がありました。
この池を埋め立てるためなのかわかりませんが、池とブロック塀を挟んだ敷地に土砂が山のように積まれていました。
形がひょっこりひょうたん島の様な形をした土砂の上に上ると塀越しに池が見渡せます。
この小山にトンネルを掘って秘密基地を作ろうとしたり、そりを段ボール箱で作って滑り降りたり様々な遊びをしていました。

小山の付け根に穴を掘って、トタン屋根を敷き秘密基地にしました。

子犬を見つけて、子供たちだけでこの秘密基地で飼うことになったと記憶しています。
野良犬を捕まえて友達みんなで飼うことにしたのです。
無責任な話で、書いていて心が痛いです。

お小遣いを出し合って、首輪とリード、ドックフードを買いにいった記憶があります。
ウキウキした気持ちで買い物に行った記憶があります。
昔はリードなどとは言わず、弾き綱とかでしたか。
クサリで出来た引き綱と大きなドックフード、セメント袋くらいの大きさのドックフードだった記憶があります。
カリカリと音を立ててドックフードを食べる犬。
草野球をしている僕たちのまわりではしゃぐ犬。
鎖でできたごつい引き綱が、子犬の体の大きさと不釣り合いだった記憶。
散歩した記憶。
その後、その秘密基地で飼った野良犬がどうなったのか覚えていません。
犬の名前も思い出せません。
犬を飼った記憶で思い出せるのはここまでです。
今、パグを3匹家で飼っています。
パグを飼う話を書こうと思い立ち、書き始めようと思い立ったときにこの野良犬の思い出が出てきました。

私が子供の頃には野良犬がそこらへんにいました。
何もしなくてもその野良犬の運命はあるのでしょうが、中途半端に首輪をつけたり餌をやってしまったことでかわいそうな事になったのではないか。
これ以上の記憶はないのですが、胸が苦しくなりました。

励みになります。