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地方議会議員選挙の投票率が上がることはないと思う

鹿児島県議会議員選挙の投票率が過去最低を更新しました。

44.38%。(これまでの最低は4年前の48.78%)

この結果に対して、いろんな方がいろんなことをおっしゃっています。

目立った論点の無い中で盛り上がりにかける選挙戦だったという評もありますが、私は個人的に、これから地方議会議員選挙の投票率が上がっていく未来をイメージできません。

それはなぜなんだろう・・・というのを自分なりに整理したくて、今回のnoteを書きました。

そもそも政治って?

デジタル大辞泉で「政治」という言葉を調べてみると…

政治…ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用。

とあります。

「社会の利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用」

うん、わかりづらい。。。

私なりに言い換えると、「まちをつなぎ、未来を描く」ということではないかと。

そう整理すると、まちの中には、職業としての「政治家」ではない人たちのなかに、政治を担っている(まちをつなぎ、未来を描いている)人たちが、すでに多数存在するように見えます。

「政治家にならないとできなかったこと」が減っている?

かつて、高度経済成長期には、社会インフラを作るのは政府組織(国と地方公共団体)であり、民間企業がそのインフラの中で活動し、市民はそのどちらかの組織の構成員(サラリーマンまたは公務員)として暮らすという仕組みが一般的でした。

社会の構造を形作る主体が政府機関であった時代には、「まちを変えたい」「よりよい町をつくりたい」と考える個人が力を発揮するルートとして、政治家というポストは数少ない「町を動かすチャンスに触れられる」ものでした。

しかし、クラウドファンディングでプロジェクト単位の資金調達が可能になり、SNSを通じて個人単位での情報発信とコミュニティ構築が可能になった現在では、社会課題の解決というこれまで政治の専売特許であったテーマがより幅広い立場に開放されているとも見ることができます。

かつては、まちの衰退も、まちの賑わいも、すべては行政が責任を有するものとして認識されやすいものでした。そしてその時代には、「この町をより良いものにしたい!」という声は、そのまま「政治の世界に興味を持たねば!」というエネルギーに転化しやすかったはずです。

いまは、まちのなかで目に付いた社会課題については、1人の民間人が知恵とアイデアとほんの少しの勇気をもつことで、解決する糸口をつかめる時代になったのです。

誤解を恐れずに言うなら、「一種のお祭りとして選挙には行くけれども地域課題に興味がない人」よりも、「選挙にはいかないけれども自分の手で街の課題を解決しようとする人」が多い方が、社会はよくなる時代とも言えます。(もちろん、一番良いのは「選挙にも行くし、自分の手で街の課題を解決しようとする人」です。)

市井のヒーローが尊敬を集める時代

たとえば、鹿児島市最大の学生街である騎射場エリアで不動産業を営む須部貴之さんは、市街地におけるコミュニティの希薄化に危機感を持ち、多世代の住民を巻き込んで1万人以上の集客を誇る一大マーケットイベントを展開しています。

日置市の美山地区で地域おこし協力隊として活躍している吉村佑太さんは、地域のみなさんと連携して竹林の整備を行い、2年間で2,400時間以上をかけて美しい竹林を再生しました。

南日本新聞社の伊佐支局長だった堀巨さんは、伊佐支局時代に住民主体による地域づくりに目覚め、高校生がまちづくりにかかわる道筋をつくるとともに、自身が鹿児島市の本社に異動になっても伊佐に住み続けて活動しています。

こういった人たちは、政治家として行政の方向性を質すというアプローチ以外のやり方で、まちをつなぎ、まちの未来を描いています。

この数年、地元鹿児島の大学生たちから進路相談で「将来はまちづくりを仕事にしたいんです。」という話をよく聞くようになりました。政治家になりたいという大学生には、この8年間で1人も会いませんでしたが、まちづくりを仕事にしたい学生には100人近く会ってきていると思います。

地方議会議員の役割は小さくない!!

それでは、地方議会議員の役割はこれから縮小していくのでしょうか。

私は、必ずしもそうとも言えないと思っています。

私はまちづくりの現場で10年仕事をする中で、行政の皆さんともご一緒する機会が多いです。

行政職員の皆さんは、ルールに基づいて事務を処理するのが仕事です。一方で、価値観を扱う議論はこれまであまり求められてきませんでした。

例えば、教育行政を例にとると、学校の維持・運用に関するルールを厳密に適用するのが行政担当者としての仕事でした。人口減少に伴う小学校の存続問題を議論する際に、地域の中で小学校の存在にどのような意味を見出すかといった議論を差しはさむことは、公平・公正という大原則を掲げる行政職員として難しい部分があります。

「何をするか」についてはプロフェッショナルでも、「なぜやるのか」「どのような意図をもってやるのか」について思いを巡らすプロセスのプロフェッショナルではない。この状況は、仕事の手段が目的化するリスクが高い状況とも言えます。

そんな行政の方々に、「なぜ、それをするのか」「その事業のゴールはどこにあるのか」「それ以外に目指す未来はないのか」といった問いかけを発する機会は非常に重要で、それこそが地方議会の役割です。

問いの質は、事業の質を左右します。

地方議員の皆さんの議会での質問は、実は行政機関の取り組みの質を大きく改善する可能性を秘めているのです。

ただ、ここでひとつ、大きな問題が。

地方議員の役割はとっても大きいのですが、

この役割、

とっても地味なんです。。。

なにかを作ります!とかじゃないですから。

もちろん議員提案条例という、議員が政策を立案する機会も有してはいますが、全国市議会議長会の調査によると平成27年中に全国の市議会に提出された条例案は3万4,858件。そのうち、市議会議員または委員会から提出されたのは1,651件と、全体の4.7%ほどにしか満たない現実もあります。

そして、とても分かりづらい。

議員さんの行政機構との対話の本丸は、市議会や県議会の議場上ではありません。(日本の地方議会ではほとんどの質問について事前通告というものがなされ、議員さんたちは議会質問前に行政担当者さんと綿密に対話を重ねられます。ちなみに、この対話プロセス自体が非常に重要だと私は考えています。)

通常、議員さんの仕事は議会での質問という形でしか世にでません。それにもかかわらず、議員さんが仕事の中で一番価値を生み出している現場での行政職員との対話の中身が世に出ることはほとんどないのです。。。

議員の具体的なお名前は差し控えますが、鹿児島県議会議員の中には、鹿児島ユナイテッドFCのJ1昇格を見越してスタジアムの改修・もしくは新設の可能性について、行政担当者と綿密な対話を重ねておられる方もいらっしゃいます。こういった水面下の対話プロセスは、なかなか公開されることがないため、スタジアム問題に興味を持つ有権者が、どの候補を応援すべきかという情報も一時的には取得するのが難しい面もあります。

投票率が上がる気がしない理由

そこで、今日の本題です。このブログのタイトルにもなっている「投票率が上がるのか」問題ですが、僕はこれから日本の地方議会議員選挙の投票率が上がることは、しばらく無いのではないかと思っています。

理由はいくつかあります。

1つは、オンライン上で取得できる情報量の爆発的な増加です。行政組織の公共データは以前に比べて格段に取得しやすくなりました。おそらく情報公開の流れはこれからますます加速します。いまや、議員と一般市民の間で、取得できる情報量の違いは以前ほど大きなものではなくなっているのではないかと感じています。

私は大学時代4年間、福岡県の県議会議員のもとでインターンをやっていましたが、県議会の一般質問作成のプロセスで必要な情報は、いち県民として取得できる公開情報だけでも十分な分量になると感じました。

2つめは、SNSの発達と普及です。議場において行政のトップに対して質問を行うことの重要性はこれまでもこれからも変わりませんが、一市民が社会に対して広く意見や問題提起を行うチャンネルは大きく変化しました。いまや国家レベルの革命的な運動がSNSから始まっています。

アラブの春は、SNSが社会を変革する原動力になることを世界中に示しました。

そして3つめが、議員にならずとも社会課題を解決する道筋が多様に広がっているということ。すでに書いたように、クラウドファンディングの普及や、SNSの広がりを受けて、これまで全く無力だった個人のつながりが、大きなアクションを生み出せるようになっています。

連綿と非効率な慣習を引き継ぎ、膨大な利害調整のコストを負わねばならない政治家に対して期待するよりも、自分と同じ立場で街のために汗をかく市井のヒーローたちに憧れが集まるのは、必然なのかもしれません。

ということで、政治家という職業にとっては、苦難の時代だなあと感じます。

投票率を上げるという議論の意味

政治家が尊敬を集めづらくなっている時代。

「投票率を上げる」ということは、「市民が選挙(政治家)を自分たちの暮らしにとって大切な機会(役割)であると実感できるものに切り替える」ということです。

地方議会の役割や制度の議論を抜きにして、投票率それのみをもって議論することには、あまり意味がありません。

今回の県議選では、44%にまで投票率が落ち込みました。本格的な議会改革に着手されるのは、果たしてこの投票率が何%まで落ち込んだ時なのだろう。

どこまで投票率が下がった時に、時の政権は、いまの地方議会が地域の人たちにとってリアリティを欠く制度になっているということに気が付き、アクションを起こすのだろう。

そして、僕自身には何ができるんだろう。

そんなことを思う、「過去最低の投票率」ニュースでした。

地方議会の未来。みなさんはどのように考えますか?


個人的には、投票率を上げるための特効薬は、「市井のヒーロー」が副業として地方議員になれるような道筋をつくることではないかなと考えています。
けれども、生存欲求はすべての組織に芽生える業のようなもの。現時点で専業が一般的となっている議員という職業を、副業前提のものに切り替えるという大仕事が、そうそう簡単に達成されるとは思えません。


<アイキャッチイラスト:@sekimihoko



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