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僕たちは令和時代の日本をどうつくるか

さよなら平成、こんにちは令和。

日本中が新しい元号を歓迎する雰囲気に包まれていますね。

鹿児島でまちづくりの会社を経営しています永山(nagayaaan)と申します。

このおめでたい時期に、改めて令和という時代がどんな位置にあるのかを見てみたくて、改めて日本の人口推移を見直してみました。

こちら、国土交通省が平成23年に取りまとめた資料から、日本の長期の人口推移を抜粋しました。

西暦800年からの日本の総人口の推移をみると、2004年にピークを迎えた日本の総人口は、急激に減少していくことが見込まれています。

年号ごとの人口動態を見ると…

明治(1868年~1912年) 人口増加期 (約1.5倍)
 3,330万人から5,000万人へ

大正(1912年~1926年) 人口増加期 (約1.2倍)
 5,000万人から6,000万人へ

昭和(1926年~1988年) 人口増加期 (約2倍)
 6,000万人から1億2,200万人へ 

平成(1988年~2018年) 人口折り返し期
 1億2,200万人から、1億2,784万人を経て1億2,520万人へ

令和(2018年~) 人口減少期
 1億2,520万人から人口が急激に減少する社会へ

日本史上初めて、人口減少期に幕を開けた令和の時代。2050年には総人口が1億人を割り込むことが見込まれています。


令和は人口減少の時代

人口は減少するけれど、当然ながら国土の面積は変わらない。都市と地方の人の流れが大きく変わらない限り、地方の中には集落機能が維持できない場所ができてくる。

僕は鹿児島県日置市という人口5万人の「ザ・地方都市」に住んでいます。東シナ海に面した温泉地です。飯は旨くて、地域のつながりもしっかり残った、「ザ・田舎町」でもあります。

鹿児島県といえば、鹿児島市を除く多くの地域は「ザ・田舎町」で構成されています。特に鹿児島には多くの離島があります。その中には、人口減少に伴って集落の存続が危ぶまれる地域もたくさんあります。

鹿児島は人口がピークに達したのは1950年代でした。そこから鹿児島県の人口はどんどん減少していきます。

そして、日本がまだまだ絶賛人口増加中だった1970年にも、鹿児島は人口減少局面に入っていたのです。その意味で、令和時代の日本を考えるヒントが、1960年代以降の鹿児島にはたくさん見つかります。

たとえば鹿児島県では、「臥蛇島(がじゃじま)」という有人離島において、人口が減り続けた結果として集落機能の維持が困難となり、全住民移住という形で無人島にした過去があります。

臥蛇島の全住民移住当時の写真がこちら。村営船が直接接岸できず、当時は艀を使って行き来していました。

(写真はMBC NEWS 2017年5月19日放送 「全島移住の島⑤ 臥蛇島の移住者新天地へ」より)

そして、こちらが臥蛇島の生活痕跡調査資料の中の写真。文字通り無人島になった臥蛇島は、出身者であっても自由に上陸することのできない場所になってしまいました。

(写真は『臥蛇島生活痕跡調査 2011年 南太平洋海域研究調査報告 No.51』 長嶋俊介・鹿児島大学多島圏研究センター より)

臥蛇島のように島ごと集落を閉じると、大きなニュースにもなりますし、最後には脚光を浴びることになりますが、私が回らせていただく鹿児島県内の中山間地域には、すでにひっそりと集落機能を放棄した地域も一定数存在します。

今はまだ地図に載っているものの、残りの住民数が10人以下のような集落も実はかなりの数に上ります。そのうちの数か所には実際にお邪魔しましたが、例えば人口10名、その中の最年少の方でも70代後半、という地域の方にお話をお聞きすると「私の代でこの集落を閉じることを、もう決めている」ということでした。

自分の故郷が無くなる。という経験を、これから多くの日本人は経験する可能性がある。

この事実を、令和時代を生きる僕たちは正面から受け止める必要があります。


「地方創生」の、その先へ

1983年生まれの私が社会人になった2006年頃、世の中の「意識高い系」の間では「ソーシャルビジネス」という言葉がもてはやされていました。

社会課題の解決をビジネスとして解決するという概念が流行り、当時の経済産業省は「ソーシャルビジネス55選」なるものをつくり、全国のそれっぽい企業やNPOを表彰したりしていました。

当の私も、新卒で入った銀行を辞めて鹿児島にUターンした際は、ソーシャルビジネス55選に選ばれていた鹿児島のNPOに転職したので、この動きに丸乗っかりしたクチです。

その後、ソーシャルビジネスブームは、「ソーシャルデザイン」「ソーシャルイノベーション」へと推移し、そこから国の地方創生ブームにのって「地方創生」がバズワードに代わりました。

これらのバズワードは、いずれも高度経済成長期の反省に立ち、次のスタンダードを探す人たちによって発掘され、消費され、そして忘れ去られようとしています。

これらはいずれも、量的拡大を盲目的に肯定してきた時代に対する反省に立っているという共通項がありながら、その先の世界観を描き切れなかったという限界にぶつかってきました。

これからも、同じ轍を踏み続けるのか。

令和という時代を、「この壁を乗り越えた時代」にしていかなくてはなりません。


幸せな人口減少社会をどうつくるか

人口減少時代に、幸せな社会をつくるとは、どういうことなのか。

この命題に向き合う前に、「幸せとは何か」という問いを紐解いてみたいと思います。

「(売上や利益、可処分所得の)拡大」という軸が、人間の幸福度を左右する唯一の指標であるとすれば、これから日本に幸せな未来はありません。

「幸福学」を研究する前野隆司(慶応義塾大学教授)氏によると、1500人の日本人を調査した結果、人の幸福は4つの要素で決まることが分かったそうです。

『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門 (講談社現代新書)』  前野隆司 2013年

幸せには、「自己実現と成長」「つながりと感謝」「前向きと楽観」「独立とマイペース」の4つの因子が関わっているとのこと。

この4因子をよく見てみると、令和時代の日本が進むべき道はおのずと見えてきます。


経済合理性の「呪縛」を乗り越えろ!

自己実現、つながり、前向きさ、独立性、これらはいずれも個人としての在り方や、個人が属するコミュニティの在り方によって左右される指標です。

規模の大小よりも、コミュニティの質感や在り方が重視される社会をつくること。

コミュニティの重要性や、一人ひとりが実感を持って暮らせる環境を整えることの重要性は、すでにあらゆるところでいわれていることです。

僕らは、感覚でその大切さを理解していながら、大きな世間の一般常識(=経済合理性)という壁に阻まれて、往々にしてその判断を誤ってきました。

経済合理性を重視して作りこまれたシステムから外れて、身の回りの大切なことやものに時間とコストをかける文化をつくること。

この視座の切り替えは、簡単なようでなかなか難しいものです。

例えば、名の知れた大企業の安価な食品よりも、地元の知人が生産している産品を買うことは、短期的には経済合理性に見合う選択ではありません。しかし、長期的な目線に立つと、自分の暮らしを支える食品を自分のつながりの中で選択できることは、確実に幸福度を引き上げます。

例えば、育児休暇を取ることは短期的な社内評価を下げるかもしれませんが、長期的な目線に立つと、自分の暮らしを支える基盤である家族のつながりを強くし、確実に幸福度を引き上げます。

緩やかな経済の縮小を受け入れつつ、人がより幸せになっていく道筋を描いていくことこそが、令和時代をつくる我々の責任なのではないかと、僕は思うのです。


規模の縮小を地域で受け止めるという判断

例えば、鹿児島県の某町役場からの依頼で、「町立病院の建て替えに関する意見交換」のお手伝いをしたことがあります。

人口減少に伴い、町立病院の建て替えが議論のテーマに上がっている中で、行政は、病床数を大幅に減らした診療所への組み替えと、合わせて小規模多機能ホームを整備するという計画を描いていました。

しかし、住民感情は複雑なものでした。

「病院と名の付く施設が無くなることで移住者が躊躇するのでは?」
「病院があることで得られる安心感が無くなる」
「これからどんどん自分たちの暮らしは不便になるのではないか」

といった声があがる一方で、

「時代とともに医療施設の規模縮小を進めるのは当然だ。診療所に移行するのはやむを得ない。」
「医療面への投資を抑えてでも、子や孫の世代に向けて投資財源を振り向けるべき」

といった声も上がりました。

この案件は、結果的に規模縮小案の根拠の一つであった医師不足の懸念が払しょくされたことで、病院の規模を維持することになりましたが、ここでの喧々諤々の議論は、私に「地域として規模縮小を受け止める」ことの難しさを教えてくれました。

同じようなテーマの議論はこれからどんどん増えてきます。各地で人口減少に伴う公的投資の方向性や重点分野の議論が加速することになります。

たとえば、小学校の統廃合問題、地域交通網の維持拡充問題、買い物難民に対する公的支援問題などなど。

これらの議論は、つまるところ、拡大を前提としたシステムを維持したいという意見と、環境の変化を踏まえて規模の縮小を受け止めたいという意見とのすれ違いの話です。


スマートシュリンクという選択肢

スマートシュリンクという考え方があります。

「人口減少の中で住民の生活水準を維持・向上させ、公共サービスを効率化していくために、都市や都市機能を賢く縮小していく」という考え方です。

賢く縮小する。

この切り口を持つことで、僕たちがこれまで常識としてとらわれてきた様々な環境上の、または制度上の課題に対して、小さな突破口が見えてきます。

例えば、鹿児島には甑島(こしきしま)という離島があります。船舶の利用客数の減少に伴い、かつて各地域の港に寄港していたフェリーも高速船も、次々に寄港地を減らし、いまでは高速船で2港、フェリーで3港のみと、最盛期の半分以下の港にしか立ち寄らないという運用になっています。

結果としてフェリーの待合所だった空間は一時的にその役目を終えてしまいましたが、寄港地から外れた中甑港は、現地で様々な事業を展開する東シナ海の小さな島ブランド株式会社の皆さんによって、コシキテラスという素敵なカフェ空間にリニューアルされています。

フェリーの乗船待合所であった時代には、フェリーの利用者しか使うことのなかった施設が、抜港を経て地域内で役割を再検討することになり、結果的に地域の新たなコミュニティスペースに生まれ変わる。

このプロセスは、都市交通の機能を縮小することで生じた余白が、地域に新たな価値を生んだ事例とも見ることができます。

また、この事例は一つの見方を僕らに提示してくれます。

フェリーの航路として港が維持されている状態は、航路計画という「自分たちの力が及ばない大きなシステムの中に施設が組み込まれている」状態です。このシステムがいつまで持つか、街の人はほとんどが正確には把握できていません。この「不安定なシステムの一部として個が疲弊している」状況は、決して幸福な状態とは言えないでしょう。

それが、寄港地から外れることが決まった瞬間、港という空間は、自分たちの暮らしの中で扱うことのできる場所に生まれ変わります。もちろん不安定さは増しますが、その運用について自分たちが直接関与する余白が生まれます。

自分たちの手の届かない大きな社会システムを解体していくことで、「大きなシステムに個が巻き込まれる」構図を脱する。

そして、その一つずつを小さなシステムに組み替えていって、「自分と身近な人たちとで手触りのあるシステムを運用することができる」という実感が持てる規模に、暮らしの枠組みをダウンサイジングする。

自分が手触りをもって扱える領域を増やすことで、システムによって奪われてきた幸福度を少しずつ取り戻せるはずです。

明治・大正・昭和・平成という人口増時代には、拡大する経済を効果的合理的に運用するシステムをつくることが求められる時代でした。

人口が下り坂を迎えた令和の時代は、これらシステムを、私たち一人一人の手に取り戻すことが求められる時代になるのではないかと、私は思うのです。


局地戦の勝利を積み上げる

令和時代をどう生きるか、という問いに対して、スマートシュリンクという一つのアプローチをお伝えしてきましたが、その前提にあるのは、拡大こそを幸福と捉える価値観をいかに乗り越えるかという命題です。

そして、この命題に立ち向かうために僕たちにできることは、日々の暮らしの中で、判断を誤らないことしかありません。

経済合理性と、個人の幸福度の戦いに、ひとつひとつ小さな勝利を挙げていくこと。

そして、その一つ一つの判断の結果として得られた小さな戦果をしっかりと見つめ、その価値を他者と共有していくこと。

この戦いは、まだまだゲリラ戦です。

けれども、いつか戦況は一変します。

例えば、令和30年。西暦にして2048年。日本の総人口は1億人を割り込むことが確実視されています。現在161万人が暮らす鹿児島県の総人口は130万人を割り込むと見込まれます。

拡大を前提とした価値観が完全に崩壊したときに、自分の幸せを図る指標をどれだけ明確に持てているか。日本人はこの大きな価値観の組み替えという一大事業に取り組まざるを得なくなるのではないかと。

令和時代は、全国一律の「幸福」が成立しえない時代の始まりです。

そんな時代に、あなたはどんな未来を描きますか?


<アイキャッチイラスト:@sekimihoko


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永山由高 @ Ten-Lab

東京での銀行員生活を経て、生まれ育った鹿児島へUターン。2011年から一般社団法人鹿児島天文館総合研究所Ten-Lab理事長として鹿児島県内のまちづくりをいろいろと。エアギターに目覚めてからは、『空気のイノベーション』に取り組む。2018年エアギター日本ランキング2位。

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