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北海道中央バス・株買い占め事件

時の社長松川嘉太郎翁はなかなか骨のある方でした。
「小樽人の根性を示した中央バス乗っ取り粉砕」事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
北海道中央バス株式会社 Hokkaido Chuo Bus Co., ltd.
https://www.chuo-bus.co.jp/

北海道中央バス株式会社(ほっかいどうちゅうおうバス)は、北海道の道央圏を中心にバス事業などを行う企業。札幌証券取引所単独上場銘柄のひとつである(証券コードは9085)。組織形態は監査役会設置会社であり、執行役員制度を採用。本社機能は小樽市と札幌市に分けて設置するが、対外向けには本店を置く小樽市を本社所在地としている。

後志・石狩・空知地方のバス事業者が統合し発足。2013年(平成25年)3月現在の路線免許キロは5,217 km、路線数は282路線・681系統、車両数は貸切バスを含めて1,189台。路線バス車両数は北海道内3,564台中約3割を占める北海道内では最大規模のバス事業者である。

歴史

発足まで

後志・石狩・空知地方では大正から昭和初期にかけてバス事業者が次々と誕生した。1933年(昭和8年)10月1日の自動車交通事業法施行までは書類さえ揃っていればよいという状況で需給状況は勘案されていなかったことから、小樽・札幌市内や主要駅と周辺村落をバスで結ぶために事業者が乱立状態となった。3支庁管内の1932年(昭和7年)末時点でのバス事業者数は40を超え、廃業・譲渡も多く経営の移り変わりが絶えなかった。

鉄道大臣の八田嘉明は1942年(昭和17年)、人手や物資の不足が顕著となったことからバス事業者を統合する方針を表明。これを受けた北海道庁は同年10月12日、北海道における旅客自動車運輸事業統合要綱(いわゆる戦時統合)を発表。道内を7地域に分け、各地域で1社に統合する準備が進められた。

後志・石狩・空知地方はこの時点で22事業者があり、札幌市が経営する事業は規模や官と民の違いなどから対象外とされ、残る21事業者での統合が進められることとなった。資産や営業権の評価などに時間がかかり、特に鉄軌道兼営事業者はバス事業を切り離すことによって鉄軌道の経営に影響が出る恐れもあり、統合ではなく休止、あるいは統合除外の希望があり難航したが、当局の調整もあって1943年(昭和18年)2月7日、21事業者はバス事業を新会社へ譲渡することを決議した。同年3月1日に北海道中央乗合自動車株式会社として仮営業を開始。鉄道省の混乱から正式な譲渡認可日は同年12月1日、運輸開始日は1944年(昭和19年)1月27日となった。

 

三大事件

戦後の混乱から立ち直り、業績が向上つつあった昭和20年代後半から昭和30年代前半にかけ、経営を根底から揺さぶる事件が3件相次いだ。いわゆる「三大事件」である。

 

株買い占め事件

1957年(昭和32年)7月、社用で上京した社長の松川嘉太郎は、国際興業の小佐野賢治の仲介により東京急行電鉄(東急)の五島慶太と面会した。五島は北海道のバス事業発展のために中央バスを通じて投資したいから協力してほしいと申し入れたが、内心は中央バス株の買い占めであることを察知した松川はこれを断った。

1958年(昭和33年)8月、中央バスの株価が急騰。北海道博覧会開催による観光景気と見られていたが、実際は東急が買収工作を仕掛けていたためであった。360万株のうち中央バス役員などが約3分の1を持ち残りが社外であったが、このうちすでに40万株が東急に移っていると見られた。9月中旬には北海道の商工部長から、道内のバス事業者を資本豊富な東急の傘下に入れてはどうかと申し入れがあったが即座に断った。10月上旬に専務が上京した際には東急から役員を送り込みたいと持ちかけられたがこれも断った。

このような事態を重大視し、松川は朝里川温泉に全役員を集め事情を説明。10月23日に松川名で株主に対し東急に株を売り渡さないよう要請状を送り、同月28日に小樽で、翌29日に札幌で大株主を集め協力を要請した。どうしても売りたい場合は新たに設立した中央商事(現・中央バス総業)が東急と同じ価格で買い取るとした。労働組合も全面的に協力した。

残る社外株は従業員の縁故など小樽の人々で占められており、東急の影響を受けることはまずないとは考えられていたが、相手は会社乗っ取りで名を売った五島慶太。どんな術策で来るか計り知れないものがあった。小樽の人々は地元の企業を守ろうと中央バスに協力する者が多く動揺も最小限で済み、この状態に東急は歯が立たず買収を断念。心配された1959年(昭和34年)5月の株主総会も平穏に終わった。

東急が保有する中央バス株は、小佐野を通じて北炭観光(後の三井観光開発、現・グランビスタ ホテル&リゾート)に売却された。その三井観光開発保有株は1975年(昭和50年)に売却の申し入れがあり、北海道拓殖銀行、北海道銀行などに引き受けてもらった。過半数は役員・従業員および中央バス総業が保有している。

年表
1943年(昭和18年)3月1日 北海道中央乗合自動車仮営業開始。
1949年(昭和24年)6月3日 商号を北海道中央バス株式会社に変更。
1958年(昭和33年)11月1日 株買い占め事件に関連し、中央商事(現・中央バス総業)設立。 

「小樽人の根性を示した中央バス乗っ取り粉砕」事件
https://otarucci.jp/shonin-no-kiseki/kiseki-11-2/

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