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mtg思い出夜話

はしがき:PCのmtgフォルダを漁っていたら数年前に書いたであろう文章を発掘したのでちょっと手を加えて投稿。

本文

私のmtgとのつきあいはなんどかの中断と再開を繰り返して断続的に続いて今に至っています。
数年カードを触らないことはあっても全部処分したり完全にやめてしまうということはありませんでした。今日は自分の記憶の整理も兼ねて私のmtgの思い出についてでもだらだらと書いていこうかと思います。

私が初めてmtgを知ったきっかけは月刊コロコロコミックで1999年から連載されていた漫画デュエルマスターズでした。
おそらく私と同じ世代(平成一桁生まれ)の方にはそんな方も多いのではないでしょうか。
作品内で描かれる対戦と特集ページに載っていた5版のカードのファンタジックで大人っぽい雰囲気のイラストに魅了された私はさっそく親におねだりし西友のおもちゃ売り場で「ウルザズサーガ」のトーナメントパックを買ってもらいました。これが私とmtgの最初の出会いでした。

箱を開け75枚のカードを眺めました。肝心のルールブックが入っていませんからどうやって遊べばいいのかよくわかりません。しかし最初のうちは畳の上に75枚のカードを並べて一枚一枚眺めるだけで楽しかった思い出があります。
当然その芳しいインクの匂いに衝撃を受けたのは言うまでもありません。またカードの効果を説明したテキストとは別のストーリーの背景を説明したフレーバーテキストからこのカードゲーム固有の背景世界がありストーリーがあることを知り、漫画やアニメが好きだった私は作品世界や登場人物たちにも興味をもつようになります。最初に手にしたレアは東の聖騎士とセラの聖域と命綱でした。
今思えばセラの聖域などは大当たりも大当たりだったはずですがパッケージの稲妻のドラゴンが入っていると期待していた私はいささかがっかりした覚えがあります。その欲求を満たす代替手段として私は巻き付くワームのイラストを眺めることで己の心を慰めていました。
当時はセラの聖域の強さと価値がわからず早いうちに誰かにあげてしまいました。今思えばもったいないことをしましたがルールもカードの価値も知らないので仕方ありません。ちなみに私が本物の稲妻のドラゴンを手に入れるのは10年以上後シングル通販という手段を手にしてからでした。

その頃の私のmtg情報の収集源といえばコロコロコミックしかなく、当時地方の小さな町に住んでいた私にとって雑誌といえば週刊少年ジャンプか月刊コロコロコミック。
"ゲームぎゃざ"の存在などは知るよしもなく恥ずかしながら現在に至るまでついぞ一度も読んだことがありません。しかもカードショップが近場に存在せず、当時"カードショップ"というものの存在は、"なんでも遠くにあるらしいが詳しい場所は誰も知らない"という同級生たちの噂で仄聞したことでしか知りませんでした。
とういうわけですから子供だった私には"トレーディングカード"の持つ魅力の側面である、お店に集まって対戦をしたり大会に出たりシングル買いをするという文化そのものが存在しませんでした。
カードを集めるには親にパックを買ってもらう以外に方法がありません。小学生にとって1パック500円というのはなかなかハードルが高かったと思います。
当時の私は誕生日やお小遣いを最大限利用し手に入れたカードのテキストを手がかりにルールを把握しようとしていました。インターネットもなかったため手探りでルールを解読していくという経験は、なかなか刺激的で今となっては得難いものだったかもしれません。
例えばあるとき私は「メルカディアンマスクス」のパックを買ってもらい、ジョーヴァルの女王を引き当てました。パワー4タフネス7という強力なスペックとカッコイイイラストに魅了され私はこのカードの大ファンになりました。
そこには"攻撃に参加してもタップしない"という文言があり、そこで私ははじめてどうやらクリーチャーは攻撃するにはタップしなければならないらしいということを学ぶのです。後にルールブック入りの5版のスターターデッキを買ってもらいましたが、それは小さな字でビッシリとまわりくどい文章が書いてある小さな冊子で、小学生には難しく結局細部までは理解できなかったと思います。とにかく一事が万事そのような調子でしたので私が大まかなルールを把握するのは遥か先の話になります。

閑話休題

親に連れられ西友に買い物に来た私は例のごとく親におねだりし、「ウルザズレガシー」のパックを買ってもらい一人で階段の踊り場にある休憩用のベンチに座りパックを開けていました。
するとそこへ隣りに座ったお姉さんが「いいの当たった?」と話しかけてきました。私はなにかモゴモゴと話した記憶がありますがとくになにかあるわけでもなくその場を去ったように思います。
以前帰省したときに20数年ぶりくらいにその踊り場に行ってみたくなり覗いてみました。あのときパックを買った売り場は何度かの改装を経てとうの昔に姿を消しましたが踊り場もベンチもすべてそこにありました。今あの頃を思い出すと母と弟の3人でよく買い物に連れていってもらったこと、祖母の家で買ってもらったカードを開けて眺めていたこと。祖母の家の匂いと縁側から射す陽の光。いろいろな思い出が郷愁と共に蘇ってきます。

休題おわり

さてカードゲームというからにはやはり対戦相手がいなければなりません。私の対戦相手は5つ年の離れた弟と同級生のA君でした。対戦といっても正式なルールなど誰も知りません。
当然ルールは滅茶苦茶。デッキは40枚だったり60枚だったり、ブロックするのにもタップしていました。構築やフォーマットの知識などあるはずもないので、エキスパンションはバラバラでほぼ全カード一枚挿し。そもそも子供にパック買いだけで同じカードを複数枚集める財力などないわけです。管理も杜撰で側面は薄黒く汚れ、黒枠は白欠け当たり前、白枠には謎の黒い汚れがついていました。
インベイジョンやプレーンシフトが発売され、パックイラストのドラコに強い憧れを抱きましたが、ついに手にすることはできませんでした。A君ともクラス替えで別クラスになり関わりも減っていき一旦私のmtgブームはやや沈静化し、たまにパックを見つけたら買うくらいの距離感になっていきます。

2003年頃だったと思いますが小さなおもちゃ屋でたまたまオデッセイのトーナメントパックを買ったことで私の中のmtgブームが再来しました。
またこの頃の記憶として印象に残っているのが母親が何故か第8版の構築済みデッキを買ってきてくれたことでした。ロウクスが入った緑単のデッキで買ってもらえたことはとても嬉しかったのを覚えていますが、当時mtgはいわゆる新枠にデザインが一新されており私はどうしてもその新枠デザインに馴染めずに、当時まだ在庫があったアポカリプスやオデッセイブロックやオンスロートブロックのパックを買っていました。
そのときの対戦相手はもっぱら弟でした。弟は枠の新旧にこだわりはなかったようでダークスティールとフィフスドーンの構築済みデッキを合体させたデッキを使っていました。
私はなにか青っぽいデッキを使っていたような気がしますがマナカーブもアーキタイプもなにも知らなかったので持っていたカードの寄せ集めの束だったと思います。ちょうど中二病に罹患していた時期だったので豪快な赤や緑より、青や黒のちょっとダークな感じに憧れていたんだと思います。デッキとしての完成度はおそらく弟のデッキのほうが数倍高かったと思いますが、飛行を止める手段がなかったため飛行のファッティを出すと非常に嫌な顔をされたのを覚えています。飛行クリーチャーを止めるためだけに弟は8版の青いテーマデッキを買っていました。
このころは暇があれば「マジックしよう」が口癖のようになっており、よく二人で遊んだものでした。しかしそれもずっとは続かず環境の変化などもあり次第に対戦の機会は減っていきました。

時は流れ2010年頃。パソコンとインターネットという最強の武器を手に入れた私はUstreamとTwitter巡回に勤しむろくでもない日々を送っていました。
当時ニコニコ動画でmtgの対戦動画やパック開封を見ることにはまっておりそこからmtg熱がまた復活しました。特にマスクス~インベイジョンのスタンダードデッキ対戦やインベイジョンブロック構築の対戦動画を見たことはその後に大きく影響したと思います。そしてネットを徘徊するうち私はmtgのシングル通販の存在を知ります。そこには子供の頃から存在こそ知ってはいましたが一度も手にしたことのなかった憧れのカードたちが並んでいました。
私は片っ端から当時ほしかったけど手にはらなかったカードたちを買い集めはじめました。特に憧れだったインベイジョンの伝説のドラゴンサイクルのカードが手に入ったことは感激でした。その頃は今ほど絶版パックや構築済みデッキなどが高騰しておらず売り場に並ぶM12や新たなるファイレクシアやイニストラードなどを横目にインベイジョンブロックの構築済みデッキやトーナメントパックをちびちびと買っていました。過去を買い戻すように。当時は珍しくM12がコンビニで販売されていたこともありそれらの現行エキスパンションも多少集めはしましたが本命はやはり懐かしい旧枠のウェザーライトサーガのカードたちでした。
やがて就職と引っ越しが決まり仕事がそれなりに忙しかったこともあり、私のmtgの熱量は再びたまにコレクションを広げてはカードを眺める程度になっていきました。

今に続くmtg活動復活のきっかけは正直よく覚えていません。仕事のストレスのはけ口がほしかったのかもしれませんし、ただなんとなくまたやりたくなっただけかもしれません。なんとなくまたやりたくなるというのは私とmtgのつながりが完全に途絶えない最大の理由だと思います。しばらく離れていてもふとしたきっかけでまた戻りたくなるのは不思議です。
インベイジョンブロックのデッキを組んでは一人で回し、また組み換えて回すという子供のブロック遊びのようなことをしばらくやっていました。インベイジョンブロックの魅力はウルザブロックなどと並べたとき高額なカードが比較的少なく集めやすいこと、安価なパーツでできるデッキのバリエーションが豊富なこと、そして絶妙なパワーバランスでそれらのメタが成り立ってることだと思います。
単色傾向が強かったウルザ、マスクスブロックからうって変わって色鮮やかなマルチカラーのカードが大量に収録され、背景世界の面でもドミナリア連合軍とファイレクシア軍の大決戦というウェザーライトサーガのフィナーレを飾るエキスパンションであり様々な面から非常に強力で華やかでカッコイイカードが多いことも魅力です。
インベイジョンブロックの収集が一段落するとmtgwikiでそれ以前の環境に存在したデッキたちを調べ、安く組めそうなものから順に少しずつカードを集めては組んでいきました。
やがて手元にはウルザブロック前後の「スーサイドブラック」や「ポンザ」「ストンピィ」「カササギブルー」などが組み上がっていきました。次第に収集の対象はカードからデッキへと変わっていきます。暇なときはmtgwikiを開いてデッキを調べ、ミラージュブロックの「3CB」なども組んでウルザブロック以降のカードとはまた一味違う独特の魅力を知りさらなる収集沼へズブズブとはまっていきました。過去のアーカイブを掘り起こしそれを収集するという私のオタク的嗜好にマッチしていたのだと思います。
しかし相変わらず周りにmtgプレイヤーはおらず、できることといえばひたすらデッキを組んでは一人回しをして悦に浸ることくらいです。やや都市部に引っ越したので憧れのカードショップも訪れることができましたが、インベイジョンブロック構築のデッキを持っていっても相手などいるはずもありません。
オンライン対戦の可能性も何度か検討しましたがとっかかりがつかめず一歩を踏み出せずにいました。そんななかTwitter(当時)で「限築杯」を知りDiscordコミュニティに参加したことで長い間続いた孤独なmtg活動はオンラインで交流の場を得るという形で終焉を迎えたのでした。

追記:「限築杯」でインベの亡霊としては一度成仏した私は「ミドルスクール」という次の"沼"へと落ちていきました。それはまた別のお話…。


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