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永代和盛の囲碁人生 Ver.8(小六の夏休み)

(秋の運動会と順番前後しました)

長期休み

自分が小学生の頃は院生にもお盆の時期などに長期休みだった記憶がある。
正確には何週間か覚えていないが・・・。昔は土曜も学校が休みではなかったし、院生手合の回数も今と比べては少なかった。

少し熱の入れ方が違ったような気がする。
そのころは良く言えば、自主性に任せている部分もあったということだろうか。

現在は長くても今週の土日は休み、くらいなものだと思う。
今のほうが囲碁に対して真面目な印象がある。

棋士の傾向

そして、それは最近の棋士の性格にも傾向が表れているような気がする。
最近は真面目で素直な感じの良い棋士が圧倒的多数だ。
(「今でもたまに変な棋士いる」と某棋士の証言はあるが、比率の問題で)

逆に、一昔前は藤沢秀行先生や坂田栄男先生を始めとして、ハチャメチャな先生が多かった。勿論、林海峰先生のような人格的に悪く言われることを聞いたことがないような人もいる。しかし、平均的には今から考えてみると破天荒な感じの棋士が多い印象がある。

このあたりは依田先生の「どん底名人」を読んでいただければお分かりになると思う。

まぁ、何が言いたいかというと、私の少年時代などかわいいものだったということを言っておきたいのです(笑)

帰省時の生活

そんな永代少年は長期の休みがあると、長崎に帰省していた。
夏と冬の年二回に2週間ほどだ。長崎に帰っても永代少年は自由奔放な生活をしていた。

何をしていたかと言うと「ゲーム三昧」の生活だ。

しかし、それでも永代両親は特に何も言わなかった。
それか両親は仕事で平日のフルタイムはいないので、様子が分からなかったのかもしれない。
はたまた分かっていたとしても、親元離れた永代少年を不憫に思って何も言えなかったかもしれない。真相は闇の中ではあるが自由奔放な夏休みを過ごしていたのは確かである。

なぜ、帰省してすぐにゲーム三昧ができる環境があったかというと・・・。
永代兄貴はゲームが好きでファミコンが発売されたときから一生懸命にゲームを買っていた。(どうやって集めていたかはまた別で書くことにする。)

ただし、家にゲームがたくさんあるからゲームをしていたわけではない。
これははっきりと言えることなのだが、永代少年もゲームは好きなのだ。
ファミコンというものが世に出てきてからは、兄貴とコントローラーの取り合いをするくらいにゲームをしていた。
大人になった今でも時間が無限にあるのであれば、間違いなくかなりの時間を費やしてテレビゲームをしていると思う。今は優先順位が低くなっているのでやっていないが・・・。

しかし、優先順位が低くなったとはいえ、テレビゲームがそれほど面白いものではなくなったということではない。
それ以上に今は面白いことや、やりたいことが盛りだくさんなのだ。
残念ながら、今はテレビゲームに熱中している時間はない。

長期休みに話を戻すが、さすがに碁石を全く触らなかったかといえばそうではない。久しぶりに碁会所に顔を出して対局をしたりしていた。
ここで本当に不思議な体験をすることになる。

永代少年は周りの人が弱くなっていると思ったのだ。正確に言うと、永代少年は強くなっている自覚がないまま、強くなっているからそのように思ったのである。

一番目の師匠は六段くらいで打っていたが、もう同じかそれ以上になっていた。半年前は先番コミなしでいい勝負をしていたのに。何かおかしいなぁというふうに感じるばかりだった。

院生というところは本当に強くなるという点においてはピカイチのようだ。
不真面目な永代少年ですら、それなりの棋力アップをしてしまうのだから。

恐ろしいところである。

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