永代和盛の囲碁人生 Ver.6(院生手合開始)

院生手合いが開始

永代少年が院生に入ったときは総勢で55人くらいだったと思う。
A〜Cで各12人。Dクラスが20人くらいだった。
最初の順位は覚えてないが、しばらくはビリかビリ2を争っていたと思う。
某大棋士の娘さんと争っていた。

その頃、ライバルMはDクラスでは上位陣にいた。
Mとは打っても勝てない。
おかしいとは思うが、やっぱり勝てない。
うーん、おかしいなぁという感じ。

3ヶ月くらいはそんな感じで、その後は徐々に順位が上がってきた気がする。
この順位が上がった要因は春休みの間と、学校が始まってすぐは外に遊びにいく友達もいなくて、院生陣と行動を共にしていたこと。
当然、環境に流されやすい永代少年は少しだけ囲碁の勉強をしていた。
寮生活の三年間で一番勉強していた1ヶ月かもしれない。(実際は大してしていないレベルなんだけど)

幕張囲碁研修センターと入寮者

一番最初にくっついて一緒に勉強して人は王唯任さん(現五段)だったと思う。
ニコニコしているお兄さんだった。

普段は50人くらいが対局をしている道場で数人で勉強する。
その中で最初は、物珍しい布石辞典を並べていた記憶がある。
幕張囲碁研修センターにはだだっ広い食堂に囲碁の本がズラッと並べてある。三百冊くらいあるのではないだろうか。一生かかっても読み切れないなと何となく気持ちが萎えた記憶がある。

同じ部屋となった、年が一番近い張豊猷さん(現八段)はとても可愛がってくれた。
正直なところ可愛がってくれ過ぎて、うっとうしいくらいに‥(笑)
どんな内容かは機会があれば書きます。

あとは残る黄奕昀(現熊丰七段)さんで三人が台湾勢だが、皆んな一生懸命に囲碁の勉強をしていた。それも当然だ。
故郷を離れ、国をまたいで修行に来ているのだ。
故郷(くに)へ帰れ!という日本語がシャレにならない状況なのだ。
永代少年の故郷である長崎も遠いには遠いが、所詮は日本。
海外から来ている人達のハングリー精神には勝てないと思った。
しかも、日本に来れる人は台湾で認められたエリート軍団だ。
台湾から日本に来た人でプロにならなかった人はいないと言えるほどの高確率でプロになっていった。
実際に院生の時期が重なってる台湾勢(来日勢に限る)は潘善琪さん(現八段)、林漢傑くん(現七段)、黄翊祖くん(現八段)、李沂修くん(現八段)、謝依旻さん(現六段)などなど。皆んな、プロになっている。

長崎の片田舎から、親の判断で半ば勝手に放り込まれた永代少年とは覚悟の度合いが違う。

この人達はハナからマジなのだ。

しかし、永代少年は小学校でも徐々に友達も増えてきて、放課後は遊びに行くことが増えてきた。このあたりからは「遊び虫」の本領発揮である。

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