ハルヒやエリオが僕を(変えやしなかった)

 夢に名古屋が出てきた。行くことにした。
 僕は夢によってかなり行動や気分を左右されることが多い。夢の中で友達の家から帰る最中に、あまりの鬱で笑おうにも笑えない、腐り切った表情筋を持て余していることに気付いたり、両親に苛立って親たちの顔をぶん殴っても全く効かずに焦ったり、いろんな夢を見る。先述の二つを見たときは──そのくせ繰り返し見る──、朝から酒を煽り、頓服の抗不安薬で意識を歪ませ、なんとかやり過ごそうとする。
 知らない名古屋で、おそらく脳内にしか存在しない名古屋の駅前を、夢の中の僕は楽しそうに写真に撮っている。それは歪で、つげ義春風に見れば眼科ばかりだったかもしれない。でも、幸せそうだった。

 朝起きて、一番安い夜行バスを行きと帰りの分予約する。一人旅は初めてだ。初めての恋人と旅に出たことがあったけな。長年の友達と温泉に浸かりに行ったこともあったけな。まあ、でももう関係ない。友人の記憶の中にしか存在しない僕は一体どんな顔をしているのだろう。モザイクがかってる? それとも邪悪な顔をしている? まあ、美しい顔はしていないだろうな。みんな死んでしまえばいい。

 予約してから数日が経つと、本当に旅に出たくなくて震えてくる。何か新しいことをしない人々の、その理由に託けられるのはいつだってなんとなくの不幸の予感だ。僕はきっとなにか不快な思いをするだろうと思い続けている。友部正人のどうして旅に出なかったんだを繰り返し聞き、キャンセルに伸びた手を引っ込める。

 僕はいろんなことに不幸の匂いを感じ取って怯えてしまう。そんな人間でありたくない。ありたくないから夢のせいにして夜行バスの予約を取ったのだろう。何かが僕を跡形もなく変えてしまって、それらは全て上手くいくことを祈っている。その予感のために金を払う。嫌になる。金なんか必要ない、勇気だけで何かを変える手段がきっとこの世の中には溢れているだろう。僕は良いことも悪いことも耳を塞いで目を瞑って、ただただ僕に関係なく通り過ぎることを祈ってる。部屋に篭ればそれらは大体通り過ぎていく。前髪しかないなんとやらは刈り上げた襟足を僕に見せて、反対側で歯を見せているような気になる。でも、僕に何も加害しなかったことだけでもありがたく思える。そんなことを繰り返している。繰り返すうちに二十九になる。高校に入れば誰かが「ただの人間には興味ありません」と言ってくれると思ってた。その頃には、そう言われたら何かしら気の利いたことを言って好かれることが可能だと思ってた。そのための練習だけは欠かさなかった。

 高校には何も素晴らしいことはなかった。髪の長さだけに注視している教師たちは子供たちを去勢することに熱心で、僕たちは萎びた睾丸を態度で表して怒られることを避けた。
 すべての物事には過去に何かしらの原因がある、というのはただの言い訳だ。遺伝子も言い訳だ。育ちも言い訳だ。『今』『僕らが』『それを決定した』──それだけだ。そう思うことで自分の精神に過大な負荷をかけて変質させようとしているのに、思うような結果は得られない。
 宇宙人なんてあだ名の美少女も、世界を変えることができる美少女も、僕の人生にはいなかった。まあ、そんな女の子がいても、一緒に旅に出た友人たちのように、今はもう仲良くないだろうけど。



 本を買った。夜行バスの中で暇を潰すためだ。つげ義春の『貧困旅行記』である。個人的につげ義春はエッセイ的な話の方が好きだ。屈折していて、世界に許されないという自意識が、許されるために慣れないことをして、慣れないことをしたが故に失敗する。そんな話が多いような気がする。才能の有無ということを全く意に介していないような感じがする。それより、世界に許されたい。その、切実にしか響きようのない願いが、あまりの屈折に共感さえできないように描かれている。
 僕は『別離』が好きだ。あの、主人公には劇的で、しかしみみっちい作品。これは本当に自殺未遂の真実を描いている。恋人が寝取られ、死のうとする。死ねずに生き延びる。その後に急に些細なことに気付くのだ。小便が跳ね返る。靴を履いていない。これは本当に自殺未遂をした人間にしか伝わらないことを描いている。



 名古屋に行ったら、自殺の名所を一つ、見てみようと思う。死ぬ気はない。ただ、電車は走り、店は空いていない時間の散歩コースとして選択しただけのことである。前から自殺の名所を眺めていたい気持ちがあった。そこに行くと何かを感じることができるのかと常に不思議に思っていた。確かに、これは死ねる。それだけかもしれない。知らない誰かに飛び込むと勘違いされて助けられたいのかもしれない。よくわからない。ただ深淵を覗きたいだけかもしれない。
 戦争でだって多くの人が死ぬ。ここは昔何万人が焼き殺されました。現実味がない。ここでは十数人が自殺しました、の方が現実味がある。戦争反対、結構なことである。だが、自殺反対、よくわからない。自殺反対とは、戦争反対に言い換えれば焼死反対と同じである。社会反対、労働反対、いじめ反対。かくあるべし。間違ってるかしらん。

 僕を変える術などないのかもしれない.僕が変わる術だけがあって、それを気付くまでぼんやりしていたいだけなのかもしれない。僕は旅に出る前から、どうせ目的地より移動の方が好きなのだと察し始めている。

 僕は昔、風俗に行けば何かしらが変わるだろうと風俗に行ったことがある。何も変わらなかった。風俗で働いている女性たちは何かを変えてくれる女性だと思い込んでいたのかもしれない。そしてその実、そうだったのかもしれない。僕が変わらないことを選んだだけで。だから僕は、きっと高校時代に「ただの人間には興味ありません」なんて言われても、ただ笑みを浮かべて馬鹿にして、何も変わらないという手段を取っただろう。気付かないだけでどれだけの、宇宙人というあだ名の美少女や世界を変えることのできる美少女にも似た人々を笑うだけでやり過ごしていたのだろうか。僕は変わりたいし変えてもらいたい。でもそれ以上に変わりたくなんかない。

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