謎すぎる寮生活~掃除、食事~

この寮には昔から伝わる言葉がありました。

「1年奴隷、二年社長、三年神様」

実際寮に入ってみると妙に納得のいく言葉でした。

朝から夜までのルーチン

朝六時に起床ミュージックがなると曲が終わるタイミング10秒前に一年はベッドから起きて電気をつけるスタンバイをします。

鳴り終わった瞬間に電気をつけます。

このタイミングが少しでもずれるとミーティング行きです。

寝坊すると地獄です。でもたまに優しい先輩は見逃してくれたりします。ありがたき、、、

電気をつけるとダッシュで担当の掃除場所までいきます。

廊下を走るなと言いますがここでは一切無関係です。

ダッシュで掃除場所までつくと先に二年生がやって来るので決まった掃除道具をもって二年生を待ちます。やって来たら「おはようございます、お願いします」と大きな声で掃除道具を渡します。もちろん野太い声で

これを「お渡し」といいます。

これを三年生にもやります。

ある程度自分の掃除が終わるか、三年生が終えるタイミングを見計らって「失礼いたします、おかわりします」といいます。もちろん野太い声で。

これを「おかわり」といいます。

三年が終わったタイミングで1,2年は作業を中断し全員で「どおおおおおおもありがとおおおうございましたあああ」

といいます。もちろん野太い声で。

三年生が帰ったあと自分の掃除が終わったら二年生のおかわりをします。

二年生を見送ったあとすべての掃除を終わらせて部屋に戻ります。

これが掃除です。

次に食事です。

時間になると一階下の別棟にある食堂にダッシュします。

そこで三年生がくるまえにお茶碗にご飯をつぎ、お茶をくみ、お味噌汁を継ぎ、先輩によってはものすごくゆっくり来てくださる方もいましたが時間的には2分あるかないかで一年で全部終わらせます。

そして寮長の挨拶、神様の礼拝、天理教の聖書的なものを読み終わったら幹事さんの声に会わせていただきますをします

ここからがまだ勝負です。

ご飯を食べ始めたら三年生に会わせて食べ終わらなくてはなりません。

ゆっくり食べてくださる先輩もいますがほぼ味噌汁とご飯をかけ込んで噛まずに食べていました。

お陰でお昼前にはおなかがすいて辛かったです。

食べ終わると三年生の声に会わせて

「どおおおおもありがとうございましたああああ失礼します」

ともちろん野太い声でいって急いで先輩の食器をお下げします。

食堂でのなぞ挨拶は班ごとでしたが食べ終わるタイミングが重なることもあります。

当然なぞ挨拶も重なります。

140人分のなぞ挨拶は迫力がありました。

と、一年生の朝のルーチンは終わりなはずです。たぶん。

他にもあったかな?

まあ、思い出したらってことで。

ちなみに洗面台は一年生だけおんぼろの洗面台を使っていました。トイレは和式メインです。けど来るとしたら一年生だけだったのでそれはとてもありがたかったです。

一年生の成績

当時、目標の大学もあり誰よりもプライドが高く負けず嫌いだった私は友達と遊ぶよりも勉強を必死にしていました。

そのお陰が寮ではなかなか動機に馴染めず寮生以外の友達の方が多かったです。

そして人一倍頑固だったため私自身のやり方も変えられずミーティングで怒られた内容についての動機のアドバイスも素直に聞けませんでした。

その頃、寮生活一ヶ月目にして心が弱り学校を退学してしまった友人がいましたが私は彼女が「逃げた」と思い受け入れることもできませんでした。

かなり周りに心を閉ざしていたと思います。

たぶん心から話せるようになったのも2年目で私が退学を考え出した頃です。

皮肉だなあとおもいます。

そして当時の私を支えていたものとは「誰よりも成績優位な優越感」だったとおもいます。

今思えばホントにバカだなあとは思います。

何で部活には入らず進学研究会、(勉強するだけの部活)にははいっていました。

部活やっとけばよかったああああ

当時の私は友達作りも部活動もなんの意味がないと思ってたんですね。

バカだなあ、、、、

休みもバカみたいに勉強してたので成績は割りとよかったのではないかと思います。

特に授業は進みが早く(一年生で高二の授業は終わってました)先生も早口でおまけに関西弁で何いってるかわからないながらも頑張ったなあとは思います。

この高校には1年次成績優秀者上位30人に二年になると河合塾のグリーンコースが一万円で受けられると言う制度がありました。(費用の一部は信者さんのお供え金らしい)

それを狙っていましたが無事3科目中二科目は受けることができました。

まあ、結果むちゃくちゃ無駄にしましたが。

うちの高校は教師がとてもよかったので予備校に通ってた人はほぼいなかったと思います。(奈良の僻地なので通えない)

僻地なのでテレビが受信できない人とかもいました。

そんな私がなぜ留年までに至ったのか。

人は頑張りすぎるとよくないってことですね。

プライドが高すぎると少しの影でもう壊れてしまうのですね。

無駄なプライドは持たない方がいい。

そうおもいました。

プライドが高く自分だけの世界にこもっていると誰かのちょっとした優しさに気づかないし、自分の能力のギャップに余計苦しむことになる。

鬱のリスクは高まると思います。

自分をいじめるのはやめようと思いました。

そんなことを書きたいと思っていましたがそろそろ仕事の終わる時間です。

またかきたいとおもいます。

自分の何かを変えたいと思っている人、無駄なプライドは捨ててありのままの自分を「それでいいんじゃないの」と認めてあげましょ。

人と比べるのなんかあまり特にはなりません。


気が向いたらつづきかきます。


今の仕事残り一週間。

楽しみたいと思います。


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