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『上祐史浩 女性被害者の会』活動報告 2021年7月後半

初日、7日を駆け抜け(参照)
翌日、一度実家に帰り、数日間片付けと荷造りをして過ごし
11日、フォロワーさんと待ち合わせをして、大きなトランクいっぱいに生活用品を詰め込み、またアジトへと舞い戻った。
オリンピックが近いせいだろうか。乗り換えの新宿駅構内は私服警官などが複数うろついており、ピリピリとした治安の悪い雰囲気であった。
なのでさっさとずらかろうと思ったのだが、なんと明るい夏の空から、季節外れの大粒の雹が降ってきたのである。異常気象だ。
とても駅構内の外に出れそうにないので、仕方なく新宿構内で軽くひっかけて、雨宿りならぬ雹宿りをすることにした。

軽くいっぱい引っ掛けて待つつもりが、中々雹がやまずに、長丁場になってしまい、すっかりべべれけになってしまったので
その日はさっさとアジトに行くだけで、寝ることにした。

翌、12日。運命の日。
初回の潜入成功に完全に気が大きくなっていた私は、なんと今度は日中堂々、普通にGSハイムに入り込んだ。
なんだか大丈夫な気がしたのだ。今思うとなんでそう思ったんだか、自分でも分からない。何かが乗り移ってた様な気がする。

201号室のポストに、🌈シールを貼りまくってやった。🌈好きだから喜ぶかなと思って。
そして、水鉄砲を持って待機した。
そうしたら私服警官に呼び止められ、強制合意的に任意同行させられ、パトカーでしょっぴかれ、署で怒られが発生した。
あれが任意同行ならば、一体『任意』とはなんなのであろうか?(哲学)

こってりしぼられて病んだ上に、輪を踏み台 にして人生のし上がる作戦もダメになりそうになり、ついに人生の全てが面倒になった私は、もう代表を⚫して私も○ぬことにした。
折しもオリンピック時期であり、『アレ』から26年目。タイミングとしては絶妙な頃合いでもある。まるで「ご遺志を継げ」と、そう『誰か』に言われてる様な気がした。
死ぬタイミングなんだと感じた。不思議と何も怖くなかった。生きる方が怖かった。自分にこれ以上、生きていける力があるとも思えなかった。
どうせ生きられないなら、ムダに死ぬより、せめて革命をおこして死にたい。
ただでさえ色々と限界なところに、公安にしょっぴかれたのがトドメとなり、あの一瞬私は確かにテ◎リストになる覚悟を決めていた。

そのはず、だったのだが。

だが、なんととあるフォロワーさん、通称おにいちゃんが、私を拾ってくれたのである。
拾ってくれて家に置いてくれて、めっちゃ美味しいご飯まで作って、飼ってくれたのだ。

そして、江ノ島に連れて行ってくれたり

中華街に連れて行ってくれたり
他のフォロワーさんや友人を招いて、オフ飲み会をしてくれたりした。
そうして長年のドブネズミ生活で弱った私の心身が、ある程度回復するまで待ち
それから生活保護をとれるように手伝ってくれ、私の生活が立ち直れるように整えてくれのだ。
ので、とりあえず、ちょっと生きてみることにした。

もし、この私が生きていけるなら、ムダに死ぬよりも、生きてみたい。
そしてあわよくば、幸せにまでなりたい。
そっちの方が、そう思えるようになったことの方が、よほど革命なのかもしれない。

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