私は本当に猫になりたいのだろうか

はじめに

私はねこが好きです。好きすぎて、本当に自分が猫だったらいいのに、と思う時があります。

でも私は本当にねこになりたいのでしょうか。今日はたまたま他にできることが無くて、暇だったので考えてみました。

なあなあで書いた、しょうもない文章です。他にすることがない奴の暇つぶしに付き合ってやろう、という気持ちで読んでもらえればありがたいです。


注意事項

「にんげん」「ねこ」は、私の知っている範囲、「こういう人もいるよね」「こういう猫もいるよね」という感覚でなんとなく定義しています。

「これができないお前らは人間じゃねえ!」とこの文章を読んでいる人を批判するつもりはありません。私の定義している「にんげん」は、ただの人間ではなく、聖人君子のようなやつです。生まれつきこんなんだったら気持ち悪いくらいです。

私もここで出てくる「にんげん」に当てはまることもあるし、当てはまらないこともあります。ただ、ねこに勝っているときの「にんげん」には、私が目指したい人間像が強く反映されています。みなさんはどんな「にんげん」になりたいか、今はどうか、一度考えてみてもいいかもしれません。

よくも悪くも人間目線で判断します。ほんとうのねこ社会はもっと厳しいと思います。
もしも猫からこの文章に対する批判が来たら、真摯に受け止めます。
その時のために猫語を勉強しておきたいくらいです。

基準は特になし、思いついたことを好き放題いいます。あくまで私の価値で判断しています。
万が一これを読んでイライラ、もやもやしてしまった人は見るのをやめて、何か別のことを考えることにしてください。私にはそれを受け止める力はありません。ごめんなさい。

それでは、レディー、ファイト。


外見・身体能力

ねこは目がかわいい。
いろんな色してる。光の加減で表情が変わる。
でもにんげんもよく見たらいろんな色の人がいるな、引き分け。

ねこはしっぽがかわいい。
長いのも短いのもかわいい。
にんげんにはしっぽがない。ねこの勝ち。

ねこは耳がかわいい。ピコピコ動かせる。
あんな耳になりたかった。
にんげんの耳はへんな形だしあんまり動かない。穴が開いてる人もいる。
それもいいけど、ねこの勝ち。

ねこはかわいくてふわふわ。
にんげんはゴムみたいな触り心地。
ゴムも嫌いじゃないけど、ふわふわには勝てない。ねこの勝ち。

ねこは運動神経がいい。
狭いところも早く動ける。あと、万が一通れなくてはまってしまっても、はまってる姿がかわいい。
狭いところにはさまってしまった人間は滑稽だけどダサい。
高い所からの受け身できるのもすごい。にんげんのできる技じゃない。圧倒的ねこの勝ち。

社会的側面

ねこは身体にいろんな模様がある。
違う見た目のやつをしょうもない理由で差別しない。
見た目の違いを気にせず、仲良くできる。ねこの勝ち。

ねこはのんびりしてる。
生きるために必死なところはにんげんも一緒だけど、にんげんとちがって他者にとらわれすぎない。
ねこにはどのくらい社会性があるのだろう。わからない。
でも嫌な場所からはすぐ逃げられる。にんげんは良くも悪くもこだわりすぎてしまう。ねこの勝ち。

ねこは威嚇や暴力でしか喧嘩を解決できない。
記憶力がないからすぐ忘れてしまうかもしれないけど、やっぱり威嚇・攻撃されたら痛いし怖いだろ。
にんげんはかしこい頭を使って話し合いで、相手を傷つけずにお互いの主張のずれを解決できる。みんなの一致点としての法律もある。
にんげんの勝ち。

ねこは伝達手段の手数が少ない。
ねこには文字がない。絵もかけない。音楽もたぶんわからない。
目が見えなかったら、耳が聞こえなかったら、身体がうまく動かなかったら、、他のねこに助けを求めることができない。

にんげんにはいろんな伝達手段がある。
耳が聞こえなくなったら文字がある。目が見えなくなったら音で伝えよう。身体がうまく動かなかったら、他の人間に助けてもらおう。人間が足りない分はロボットにも手伝ってもらおう。
じゃあ目も耳もうまく機能しない、身体も動かなくなってしまった、言葉も使えなくなってしまった人にはどうすればその人が生きやすくなるだろう。。
そうやって人間は人を助ける手段を増やしていける。たぶん思いやりがあって、思いやりを行動にしていく力があるからそれができる。

ねこにも思いやりはあるかもしれない。でもそれを行動にしようとすると、きっと力が足りない。
にんげんの勝ち。

環境面

ねこは今ある環境に適応して生きていける。
置かれた環境を自分の生きられるように解釈して、自分が生きるために必要なことだけを淡々とこなす。
にんげんは自分たちが生きる環境をつくれる。
他の生き物もその環境で一緒に幸せになれる。にんげんの勝ち。
でも環境によってはにんげんのせいで不幸になる生き物もいる。
地球環境はにんげんのためだけの環境になってはいけない。
にんげんは強すぎる。オーバーキル。

ねこには今しかない。今をほどよく生きられていたらそれでオッケー。
良くない事があってもすぐ忘れる。大事な事は身体が覚えていてくれる。本能にまかせろ。
でもそれで本当にいいの?間違いから学ばないと、同じ事を繰り返す。
にんげんは今あることを科学的に分析して、未来も予測できる。予測したら対応できる。
にんげんは過去の失敗から学んで、未来を予測して、何とかして対処法を考えて自分の手でよりよい未来をつくっていける。本能を出したら良くない場面ではそれを止めてくれる理性もある。
にんげんの勝ち。

判定

、、、まだしばらくは人間でいいかな。

たぶん私は本物のねこにはなりたくないということが分かりました。これからも人間として生き、「よく生きるにんげん」を目指します。にゃー。


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