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失くすものなんてないと思っていた@自宅療養中

私は過去に一度、流産処置の手術をしたことがある。
28歳、夫の転勤で両津市(現佐渡市)に住んでいる時だった。
手術の痛みはそれまで生きてきた中で一番辛かったが、日帰り手術で、病院を出るころには普通に歩けたし痛みもなくなっていた。

この度の腎細胞がんの切除手術もそうだろうと楽観視していた。
みなに「焦らないで。日にち薬だよ」と励まされ、日に日に体調は良くなるものだと思っていたが甘かった。

甘えん坊なぎくんが「お母さん大丈夫か?」って心配しにきてくれる。なでなですると満足そうにする。

回復するサイクルは、現実1ヶ月単位だった。
介護ベッドのリクライニングを使わずに寝起きが出来るようになる。
横向きに寝られるようになる。
短時間なら車の運転が出来るようになる。
一人で買い物に行けるようになる。
でも、買い物のハシゴはまだつらい。
日中、ベッドで休まなくてもよい日が徐々に増えてきた。
相変わらず夕方には疲れが出始めて、立っても座ってもいられない。
一歩ずつコツコツ進んでは、七歩転げ落ちるなんてざらだった。

こむぎちゃんはクール。私がごはん食べていると「あたしにもちょうだいな」ってこうして催促しにくる。

同じ腎細胞がんで手術をした人のブログをチェックする日々は告知後からしていたけど、みなさん1ヶ月程で仕事復帰してがんばっておられる。
私もそうなるんだろうと思っていた。
術後3ヶ月になろうとしているが、身体のポンコツ具合にはかなり焦る。

職場の病気療養期間がもうじき満了になる。

シフト表を作ってくれるリーダーに、毎月20日ごろ「もう1ヶ月休ませてください」と連絡してきた。
快く「こっちは心配しないで。しっかり身体休めて」と言ってくださる。
何度か仕事場に顔を出して同僚の顔を見たけど、すごくホッとする。
絶対にここに戻るんだとがんばる気持ちになれた。

しかし、この月末には決断をしなければいけなくなった。
「週一でもいいから、リハビリだと思って仕事してみる? 仕事続けられるかどうかの答えはそれからでもいいよ」
退職の言葉がちらついて気弱になっている私に、リーダーがこう声掛けしてくれた。

でももう答えは…
家事をしていてそう感じるが、今の私は半日も体力が持たない。

「俺がついてるからなにも心配しなくていい」私の焦る気持ちを察して夫が言ってくれる。

早期発見早期治療し、失くすものなんてなにもないと思っていた。
がん告知より、手術前の不安感より、仕事を続ける体力がなくなってしまったことがなにより悔しい。

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