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本日(9/11)の営業

今日も一日お疲れさまでした。

本屋「和み」、開店しますね。


昨日はなぜかセンチメンタルな気持ちになり、
身近な亡くなった人のことを思い浮かべていました。
人の死って、捉え方も感じ方もそれぞれですし
たくさんあるので、
一概に語れないものだと感じます。

私の場合は、こんな風にいつも考えます。

死んでしまったとしても愛していることは変わらないし、愛されていたであろうということも変わらない。(もう確かめられないというのはあるけれど、生きてる人にだって確かめようのないものだったりします。)
相手と私の間の互いへの存在感とか、
思いが変わらないのになぜこんなにも悲しくなるのだろう?と。

そして、考えてみると

私はきっと、私の中にあるその人の情報がもう更新されないということがとてつもなく寂しいんだなぁと思うのです。

相手のことを知るって、喜びを感じる行為です
そして、
自分の中の相手への感情、見方を蓄積させることにつながります。
どんなに親しい人にも新たな一面があって、
それを知れることが嬉しかったりします。

それがもうないって思うとすっごく寂しい。
もっと話したかったと思うのは、
もっと相手を知りたかったとイコールだ…と
そんなことを思って、
生きている頃の彼女を想って、
恋しいなって思う日を過ごしました

寂しい、恋しい気持ちは
無理に消すことないのかなと思いつつ、
どうにか整理をつけたいとも思ってしまうもので、参考にしたくていろいろな本を読んでいます。
そんな中で出会った一冊です。

本日の一冊は、「喪失学」

喪失は寂しい、悲しいことだけど、
喪失して寂しい、悲しいと感じられることは
幸せなことなのかもしれないという考えをこの本からもらいました。

〇〇ロス(ドラマとかね!)
に陥ってる方も当てはめて読めると思います!
是非ご一読を。

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