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一日でも長く

今日、父が入院した。

91歳、去年の暮れに胃がんが見つかり、余命3カ月から半年と宣告を受けていたので、覚悟はしていた。

胃の中のものが消化されず、いつまでも残っていてそれが嘔吐となって日に何度か吐いてしまうことが続いた。

今日行なった治療は、鼻からチューブを入れて胃のなかのものを吸引して取り出すというものなので、少しはラクになるとのことだった。

引き続き、検査を続けてステントをいれるかどうかの判断をするという。

91歳のからだにそこまで過酷な治療をしていいものか、今までも散々悩んできた。

ガンが見つかるまでは「三度の飯より囲碁が好き」と公言し、地域のコミュニティセンターで仲間と囲碁を打ちに行っていた。

まだ、トイレ・お風呂などの身のまわりのことは1人でできるし、夢中になれるものがあることが元気の源だと思っている。

なので、ガンに侵されなければ、まだまだ元気で100歳までは生きられたんじゃないかと思うと、残念な気持ちになる。

父には元気になってまた囲碁の大会に出るという目標がある。治療を続けたいと思う間は、寄り添ってあげたい。もう少し、往生際わるく。

こんな弱気な気分になったというのも、今朝、職場の先輩のご主人がガンで亡くなったという知らせを受けたからだ。同じ病の看病で励まし合っていたので、この訃報はとてもショックだった。

父は90歳まで長生きできたのだからあきらめもつく。けれども、先輩は人生の伴侶を亡くした。それもまだ60代。会社を定年退職し、これから余生を楽しもうと思っていた矢先のことっだったので、さぞ、無念だったろう。
ご冥福を祈りたい。


今日は、文脈もなんだか支離滅裂になってしまったが、どうにもやりきれない思いも、丸ごと今の心情として残しておきたいと思い、パソコンに向かいました。


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