たとえば僕が死ななかったら

なんとなく日記みたいなものをつけていくことにした。生まれ持っての飽き性なので、いつまで続くかわからないけど。

この間、知人から独我論という考え方を聞いてすごく興味深くなって、いろいろ考えてた。独我論というのはこの世界で確かなものは自分の精神が存在しているということだけで、自分が死んだら世界も消える…みたいな考え方。この考え方をしていると、自分と世界との境目がわからなくなるそうな。

多分この考え方の対極が「自分対世界」であると思う。どういうことかというと、独我論では自分が死ねば世界も消えるのに対し、自分が死んでも世界は続く→世界が重くて辛くて耐えられない→「自分以外全員敵」ってなるのかなと。

僕がここで考えたのは世界と自分との境界線が分からなくなる独我論とも世界に押しつぶされそうになる「自分対世界」とも共通してるのは人は自分の存在の小ささに苦しむんじゃないかということ。実際一人一人なんて滅茶苦茶小さいと思うし、でもだからこそ何かを成し遂げたくなるんだと思う。

一般的に世界に抵抗するってそれこそパンクロックをやったり、絵を描いたりとか何かをつくったりまたは何かを成し遂げることになると思うんだけど、極端に言えば、僕は僕みたいなこんなどうしようもなく小さな存在がただ生きているということが、それ自体が抵抗なんじゃないかと思う。

ありきたりでどうしようもなくつまらない結論になったけど、そんな駄目さも許して生きていこうかと思ってる。

読んでいただきありがとうございました。
それでは。

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