2蛮迦羅

第1話:怪人を屠る修羅/Bパート

 まさか、こんなことになるなんて。
 少女の、率直な感想だった。自分はただ、趣味の散歩に出かけただけのはずなのに。数少ない自分だけの時間を、満喫しようとしただけなのに。

 夜も九時近くとはいえ、人も街灯もそこそこ多いベットタウン。率直に言えば、油断していたのだろう。怪人犯罪は、いつでもどこでも起こりうる。そんな簡単なことを、忘れていた。

 夏の暑さも和らいだ頃だというのに、汗が止まらない。呼吸が乱れる。

「たす、けて……」

 腰まで伸びる黒のポニーテールを左右に揺らし、ジーンズに包んだ足を必死に動かして。少女は助けを求める。しかし家々からの反応はない。それもそのはず。彼女を追う者は。

「なんで。なんで私が追いかけられるの……」

 怪人。人にして人ならざる者。暗黒結社があらゆる技術を駆使して生み出した、科学の風上にも置けぬ生体兵器。

「GAAA……!」

 自らの優位性を示しているのだろう。怪人は足を早めず、ジリジリと追い詰めていた。カマキリが二足歩行を習得したかのような姿は、あまりにも不気味だった。唸り声を上げて威圧し、あくまでもゆっくりと少女を追う。

「はあ……はあ……」

 少女は焦る。走っているのに、足音は常に追いかけて来ていた。あまりのいやらしさに振り向きたくなる。だがこらえる。振り向けばそのおぞましさに足が止まり、なぶり殺しに遭うだろう。未来は、あまりにも明確だった。

「くっ!」

 己を奮い立たせて、少女は走る。髪の間から汗が落ちる。悪い想像を押し込み、もつれる足で必死にあがく。しかし、終わりは唐突に訪れた。

「行き止まり……!」

 呟き、来た道を見る。既に塞がれていた。二メートルを越えようかというカマキリの、両腕に備わった鋭利な鎌。怪人は誇らしく天に掲げて。

「GISHAAAAAAAA!!!!!」

 吠える。己に力を与えた者への祈りか。あるいは、勝利の雄叫びか。ともかく少女は、死を確信した。

 途端に、今までの思い出が脳裏に現れた。自分を見る父母の笑顔。家業の手伝いを巡って喧嘩したこと。自分の部屋がない故の、些細な文句からの言い争い。干渉が嫌いで、一人泣いた夜もあった。大学を遠くにしようと考えたこともある。

「ここで死んだら、迷惑かけちゃうだけじゃない」

 思い直す。しかしだからといって怪人を倒せる訳はない。道を塞がれているため、逃げる術もない。身を壁に寄せ小さくなり、目をつぶる。わずかに死を遠ざけることしか、彼女にはできなかった。

 だから、気付けるはずもなかった。カマキリの後ろに立つ者に。

「そこまでだ、怪人」

 くぐもった声が、夜の道路に響く。決して大きくはないが、強く、通る声だった。カマキリの遠ざかる音に、少女は恐る恐る目を開けて。もう一人の存在を確認した。

「せりゃっ!」
「GAA!」

 混乱する少女の目前で、カマキリともう一人がぶつかり合う。金属音が数回響いた後。

「はっ!」
「GIAAAA!」

 カマキリの肩を支点にして、介入者が少女の前に飛ぶ。少女の前に立ち、目を合わせる。少女を守る側だと、声なく告げる。わずかに間を置いて、男性の声。

「怪我は、ないか」
「は、はい……」

 しかし少女は震えた。カマキリ怪人とは異なるとはいえ、その人物もまた、異様な風体だった。

 擦り切れた学帽と硬質感のあるマスクが、目元以外の殆どを隠している。たなびくマントも、ほつれやかすれの目立つ学生服も。男性の異様さを際立たせていた。

「ならば良し。目を閉じて、そこに座っててくれ」
「ん……危ない!」

 少女が視線を、男からそらしていた。その事実が、二人を救った。少女が目にしたのは、男に迫るカマキリの刃。斬殺の予感に、再び少女は目を閉じようとした。が。

「芯通し」

 謎の発声と、甲高い金属音が響く。振り返った男の腕が、カマキリの刃を弾き返していた。信じがたい光景に、少女は目を丸くする。

「AAA……!」

 気圧されたカマキリが数歩の間合いを取る。男はゆっくりと、カマキリへと近付く。屠る者と屠られる者。立場が入れ替わった瞬間だった。

「貴方は、いったい……」

 少女が、かすかな声を上げる。味方であることは間違いない。されど、異様な面体が認識を妨げていた。

「我が名は蛮迦羅《バンカラ》。怪人を屠る修……」
「GISHAAAAAA!!!!!」

 蛮迦羅の名乗りを遮って、カマキリの咆哮が轟いた。鎌を掲げ、打ち鳴らす。俺を無視するなとでも言いたげだ。だが蛮迦羅はどこ吹く風。重みのある足音を鳴らして、間合いを詰めていく。

「AAA!」

 苦し紛れに鎌が振られる。だが蛮迦羅は、最早受け止めようともしなかった。足さばきだけで悠々とかわし、懐へと入り込む。

「NGIIII!」

 唸り声。このカマキリ怪人に今少し頭脳があれば、状況は変えられたかもしれない。鎌を下から切り上げ、蛮迦羅を退かせることができたかもしれない。だが、それはもしもの話だ。現実には、容赦のない拳が迫っている。

「砕ッ!」

 重い一撃が、怪人の腹部に突き刺さる。自然と落ちた顎に、更に一発。蛮迦羅はカマキリの足を踏み付け、カマキリを逃さない。足の骨が砕ける音。カマキリの顔が、激痛に歪んだ。

「AAAAAAAAA!!!!」
「貴様は念入りに葬る。我が失敗の、悔いをすすぐためにだ」

 己への怒りに燃える、蛮迦羅の制裁は凄まじかった。まず左右にカマキリの頬を殴りつけ、骨を砕いて戦意を叩き折った。顔が変形し、二目と見られぬ姿となる。続けて、鎌になっていない部分の腕を掴んだ。

「HIIII……」
「この凶器も粉砕する」

 芯通しを使い、片腕ずつ圧し折ってしまう。鎌がもげ、地に落ちる。腕の先端から、血が噴き出しかけ、消える。雲散霧消が始まった。

「GI……A……」

 蛮迦羅は離れ、カマキリ怪人の最期を見届ける。介錯はしない。ただただ見届ける。焼き付ける。

「A……UU……GUUU……」

 しばらくの間末期の苦しみに喘いだカマキリ怪人は、やがて塵と成り果てた。骨を粉砕された際に散った血肉が、彼がここに居た僅かな証だった。

「目を開けていいぞ」

 一息吐いた後、蛮迦羅は、ようやく言葉を発した。しかし少女は、いつの間にか気を失っていた。

「……やり過ぎたか」

 蛮迦羅は武装を解くと、すぐさまサワラビに連絡を取った。

***

 少女が目を覚ますと、そこは見知らぬ天井だった。白一色の天井に、僅かに見える医療用パテーションの上部。見知らぬとはいえ、見覚えのある光景だった。そうか、気絶していたのかと。先程までの記憶を取り戻す。

「ん……くっ……」

 ゆっくりと身体を起こす。やはり見覚えのある光景。パソコン、薬の瓶、ゴミ箱。対面型に置かれた、二つの椅子。ならば自分は。医療用ベッドの上か。

 一度立ち上がり、全身を確認。衣服も髪も。特に変化はない。財布だけが見当たらないのは、身元の確認に使われたからだろうか。自分の家でも、同じことをしていたので分かる。

「お目覚めかい?」

 ノックの音と、掛けられる声。方角を見ればドアがあり、向こうに影。少ししわがれている気もするが、女性の声色だった。呼吸を一つ漏らしつつ、応える。

「はい、なんとか」
「オーケー。じゃあ入るよ」

 ドアを開け、入って来たのは。女性にしてはかなりの長身の人物だった。目の周りには隈があり、白衣の下には男物のTシャツ。ショートカットの金髪と、自分にはないたわわな胸部が、妙に際立つ。足音も少なめにパテーションを開けると、医者用の椅子に座り込んだ。どこかくたびれた様子である。

「ここは、医院ですか?」
「そうだよ。半分以上モグリだけど」

 ベッドの縁に腰掛けて質問すれば、秒と経たずに打ち返された。答えは半分想定内で、半分は想定外だった。

「まあ念の為お財布からいくつか確認させてもらったけど、キミのお家もお医者様なんだね。この辺りじゃ評判だと聞いてるよ、榊原《さかきばら》医院」
「……はい。娘です。榊原梓《さかきばら・あずさ》といいます」
「うん。私はサワラビという。よろしく頼む」

 少女はここで初めて、サワラビと名乗った相手の顔を見た。

 目元の隈は酷いが、他のパーツは美人のそれ。敢えて流行りの言い方をするのなら、「顔がいい」というやつである。

「身分証明書以外は見ていないし、お金も取っていないから安心しまえ」

 見られて不安に思ったのか。美人の口から紡がれる、どこか上から見た感じの言葉の羅列。しかしなぜか軽いと思う。だが、自分の心に気を回している余裕はない。

「そうですか。ところで、ここはどこです? 早く帰らないと……」

 また両親が面倒くさくなる。決定的な言葉だけは押し込んで、梓は言う。趣味の散歩を奪われたら、自分の自由時間が更に減る。避けたかった。立ち上がって、詰め寄ろうとする。だが、なだめるように。目の前の美人は両手を突き出してきた。

「うん。気持ちは分かる。親御様も心配しているだろう」

 だけどね、と。梓に財布を返しつつ、サワラビは言う。鍵のかかった金庫に入っていたが、実際中身に変化はなかった。

「申し訳ないが、もう少しだけ居てもらいたい。親御さんへの言い訳も合わせて、ある程度の口裏は合わせておきたいのでね」

 サワラビは立ち、ドアの外に声をかける。何事か返ってきて、サワラビが外に出る。二言三言、話し合っていた様子の後。ドアが開く。

「済まないね。色々含めて、総合的にこちらのほうがいいと思うんだ。つまり、我々は共犯関係になる」

 サワラビから放たれる、今一つ飲み込めない言葉の羅列。直後彼女は、中に男を引き入れた。突然の男性の影に、梓は慌てて身支度を確認した。問題なし。だが、迎え入れる前に仰天した。長身の男の顔には、あまりにも見覚えがあり過ぎた。率直に言えば、クラスメイトだった。

「アンタ、番長五郎!?」
「だから勘弁して欲しいといったんですよサワラビさぁん!」

 二つの悲鳴が、白一面の医務室にこだました。





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