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麗し秋田 神来月旅 その4 物部完結詣で① イイ・イヤシロ・チvol.58

復路の航空機搭乗前に、今回の秋田旅のメイン目的地、仙大市の唐松神社にいよいよ参拝するフィナーレのレポート。

田沢湖から車で1時間少し、到着前に手前の道の駅協和でさすが米処なおにぎりやおせんべいでエネルギーチャージし、物心ともに準備万端調える。

味も品質も上等な鼎庵のお煎餅↓、ちょこっとモグモグタイムに出会えて口福。

間もなく、雨上がりの紅葉美しい境内に無事到着。

駐車場の黄葉も見事

駐車場そばに杉の参道が延び、その近くにある鳥居は、向こうが岩板で魔返しされている珍しい設え。夕刻近くの曇天模様なのに、何故か明るいのが不思議な聖処。

天日宮の鳥居は神々しく

八年前のニギハヤヒの御陵参りから始まった、物部旅。その当時、アマテラスやスサノオを聞いたことがある程度の認識だったわたくし。友人を介して出会ったばかりの、遠方から来訪の神職の女性が、関西にあるニギハヤヒの墓所に参りたいと希望し、生駒の林の中の祀り場に同行することになった。

その場に到着したのち、彼女は米や水、塩を奉じて祈ると、その場に同行した四人に何の説明もなく「ニギハヤヒ様が再び地上の王となられますよう、わたくしたちは力を尽くします」といきなり言い放った。

その瞬間、小さな祠に日光が降り注いで、そこから光のチェーンのようなものが全員に繋がってかけられたように視えた気がして、わたくしは仰天した。何かとんでもないことに巻き込まれた?と慌てて、正に「聞いてないよー」状態だった。

当の御本人はどうも巫体質らしく、何を言ったのか自覚も記憶も無かった。そして、ほかの方々も別段気にとめていないようで、殊勝な面持ちで佇んでいる。

わたくし一人が、「誰に何の約束をしたの?」と焦っていた。得体が知れなさ過ぎて、わたくしはとてもマズイと思った。この約束は違えてはいけない類いのモノだと感じたからである。

その出来事がキッカケとなり、調べ、考え、あの約束は何を意味するのか、守れるモノなのかを知る為の、素人なわたくしの試行錯誤の物部旅が始まった。当時は、そもそもニギハヤヒについて一切知らなかったのだから、文字通り、一から始める、という有様だった。

そんな初心者は、奇しくもその後、ニギハヤヒを始祖とする物部氏の物部神社に参拝することになった。前出の神職女性の取計いによって、全くのド素人の鎮魂祭臨場が、スタートとなった。

有名人も最前列で列席する御神事は、とてつもなく峻厳であり、確かにただならぬ気配が濃厚に感じられ、進行も秘儀めいていた。初めて耳にする警蹕に、躰が勝手にブルブルと震えるなどという衝撃的なことも体感した。

後で聞くと、その時、隣席の友人はただただ異様な気配に寒気がきて「気を確かに保たなければ!」と必死に自分に言い聞かせていたとか。

それ以降、「みたましずめ」や「たまふり」とは?と、調べ考え、自分なりの解釈を得ようとした。あれは賦活なのか、文字通りの鎮魂なのか?なぜこの日時で、物部の社と宮中、石上神宮、彌彦神社で執り行われるのか?

ずっと後になって、11月22日は、ニギハヤヒの命日だと聞いた時、それならば彼のお弔いの儀式を毎年続けているということなのだろうか?と、また謎が深まってしまった。

復活の手助けを約束した者が、弔うことは理屈に合うのだろうか?そして、今も尚、鎮魂祭翌日には全国の神社で新嘗祭という名の儀式で祓え祝詞をあげまくっているのだ、やはり毎年。そんな考察をしながら、歴史や言い伝えをなぞり、自分なりの答えを見出そうとしてきた。

これまでに物部神社、石上神宮、石上布都魂神社、石切剣箭神社、彌彦神社、そして今秋、漸く秋田の唐松神社に参拝することで一般に知られている物部氏の大きな社の巡礼を終えることができた。

振り返れば徐々に北上する巡拝のわたくしと参拝旅友。その時々により、四人全員ではないものの、アノ時に臨場した人と参拝を続けてきた。

石上神宮での鎮魂祭でも、得体のしれない声が祭祀の途中で夜闇に包まれた周りの木々の頭上から響き渡り、肝を冷やしたことも忘れられない。

確かに言えるのは、何処も大変なエネルギースポットであり、呪術的な神事が長い時に続けられ、繰り返されていることだ。

誰に何を約束したのか、その答えを得ることは、もしかすると叶わないかもしれないが、せめて、物部所縁の社に赴くことで、気づきを得たり、あの日の約束を守るための努力は厭わずに進もうと考えるようになった。その結果の、8年かけての巡拝である。

こうしてやってきた、わたくしたちの巡拝総仕上げの唐松神社。神来月四日、可愛らしいお子様とそのご家族のめでたくも微笑ましい七五三の参拝にお供するように、わたくしたちも詣でることになったのである。

駐車場で下車して、境内の雰囲気から、此方を先に参らなければと感じた方に足を向けていく。

曇天なのに明るく輝く鳥居前

其処は天日宮という、独特な空気感が満ちた、見たこともない意匠の祀り場であった。たくさんの丸石が詰まっている、マジカルの極みを感じ取れる異空間である。一つ一つを見つめていると、無数の卵のように感じてくる。

社務所がある方向に立つ、母神を想起させる石塔

円形の堀に囲まれた、これまた円形の小山に建つ社殿に、子授けや子守をかなえ、女性を守る神様が祀られているそうだ。

橋を渡り、一番下の周囲を巡って社殿の周りに上がっていく
足元にも数多の丸石。苔も美しく生き生きとしている

此方には、龍神がおいでだという情報も予め得ていたので、周りを眺めていると、社殿の斜め後ろに異彩放つ大樹が立っていた。其処に気配を感じられた気がしたので、首を垂れてご挨拶をした。

ほかの木々とは異なる迫力

次々に訪れる参拝客は、口々にこの場所が霊験あらたかであると語り合いながら、裏手に置かれている石に手を合わせて熱心に祈っておられた。わたくしにはめまいがするほどに強い磁力?を感じてしまい、数秒しか立っていられず、退散。

なぜか上方に光線が
たくさんの鈴がついていることとしめ縄の太さが気になる社殿

此処では、ニギハヤヒとは別の、とぐろを巻いた龍蛇神と、その生命や卵や泡が自ずとイメージされる。上昇する螺旋のエネルギーによって球体の生命力がエンパワーされ、天に願いを届けやすくなる仕掛けでは?とも想う。めまいのような感覚は、その螺旋に自分の脳内が引っ張られていくように感じたからかもしれない。

わたくしたちは、ニギハヤヒとの約束とは全く別のルートにつながってしまったような心持に戸惑いながらも、この不思議なパワースポットを立ち去り難く感じていた。

その5につづく。

正月飾りは硝子製 鏡餅はヘビの象りだそうな

最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。


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