見出し画像

立春大吉 伊勢参り ィイ・ヤシロ・チ㊺

今年「本来の元日に伊勢参りできるのは、なかなか無くてよ」と、五十路おみなコンビは立春参りへイソイソと出かけた。

当日の日の出は、海からの美景。それを温かな宿の部屋の窓から拝み、なんと遠方には薄っすらと富士山の山影までも目にすることもできた。↑(ヘッダーの写真)生まれてこの方のご来光のなかで、目出度さマックスなのは間違いない。なんと眼福な旧正月元旦だろうか!

春の海が聴こえてきそうな、伊勢湾の初日の出

こうして吉兆で始まった旧正月元日は、この後、早朝の朝熊山山頂展望台に出向き、伊勢の鬼門封じの朝熊岳金剛證寺に詣でてから、内宮参拝というスケジュール。

お天気も穏やかな福々しい朝。到着した朝熊山の磐座の上には、蓮の花のようなピンクの光が大きく耀いていた。アサマヤマという名前が、富士山に所縁があるようで意味深である。コノハナヒメ?などと妄想しそうな艶やかさ。

朝熊山は確かに聖なる御山

青い空と海が何処までも見放題の展望台からもまた、薄っすらと富士山の姿を一瞬見つけて、同行の添乗員さんといっしょに大喜び。「そうか、伊勢にとっての富士山という意味でのアサマヤマ?」とまた一人合点のわたくし。吹く風は冷たいけれど、日光は燦々と降り注ぎ、爽やかに晴れ渡っている。天と磐座の両方向からのエネルギーを存分にチャージさせていただき、元気いっぱいのわたくしたち。

あの方向に富士山ありますよ、の掲示板

山頂からすぐの金剛證寺に到着すると、冬の朝早い時間帯のためか、広い境内は貸し切りだった。不勉強なわたくしは、此処に来て掲示物で来歴を初めて知る有様で、深い歴史がある聖処について付け焼刃の学習参拝となる。「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭の一節に唄われているこのお寺、わたくしは初めて参拝である。

実は、数年前の伊勢参りで利用したタクシーの下車直前に、ドライバーさんから「伊勢神宮へお参りする人はこのお寺にも参詣するのが習わし」とイキナリ聞かされ、持ち越しの宿題がやっと完了の運びである。


此処にも空海の影が

境内に足を踏み入れてまず目を引く、練真の池の畔に祀られる雨宝童子は龍神?鮮やかな輪橋も美しいが、その奥の苔庭に建つお堂の方がわたくしは何やら気になった。後方から回ってお堂にご挨拶すると、龍神の気配がより濃厚に感じられる気がした。

色味と屋根の形がデジャブだった

さらに歩みを進めて石段を上ると、御立派な本堂に到着。出羽三山を彷彿とさせる彩色と堂々たる建築様式。密教と神社の神仏習合の共通点からくるものなのか?鬼門封じの役割を感じさせるのは、狛犬ならぬ、牛と虎。

何故か頭に大国さん
牛さんと対になって鬼門の丑寅ですか!

後方の山頂には、八大龍王神社が鎮座するということなので、やはり高龗の存在が推察されるロケーションである。なので、龍神の御加護を祈念しながら参拝完了。

こうして、両参りかなったところで、いよいよメインの初詣、伊勢神宮内宮である。スムーズな移動で到着し、駐車場のバスに集合するまでの2時間半、ランチの時間含めての自由行動である。内宮さんに何度もお参りしてきたコンビは、まるでドッグランに放たれたワンコの勢いで、嬉々として内宮に向かう。いざ!!!

ひゃー眩しいとなった参道の鳥居

この日が好天の土曜日でもあり、人出も多く、陽射し&参拝客からの明るい波動がイヤシロチのパワーをさらに膨らませているような気がする。その証拠のような境内の鳥居での、眩いパワフルな写真。映えるとかのレベルを超えた立春(新年元旦)の特別さを実感。

いつにもまして清らかな五十鈴川の水面

更に五十鈴川の御手洗に近づくと、何やら一塊の人だかりができている。皆が注目する水面に視線を向けると、1メートル近い鯉?が悠々と泳いでいる。「え?五十鈴川の主様ですか?」と思わずパシャリ。何度もこの御手洗に来たけれど、こんなに大きな魚が川辺に近寄ることは初めてだった。またしてもの瑞兆に嬉しい驚きである。

悠々と泳ぐ大きな魚に驚いて皆で激写

コロナ騒動の間ご無沙汰だった数年ぶりの内宮は、神鶏の姿が見えなくなり、施設の一部が変わっていたりもありながら、不変のイヤシロチとして多くの人の仔を引き寄せていた。そうして、数多の人の仔のまごころが持ち寄せられて弥栄の波動が膨らみ放出されている聖処である。

内宮の御正殿の前に進むと、御帳が神風に盛大に翻り開かれて、「歓迎」のご神意かと、またまた笑顔の五十路コンビである。深く頭を垂れて、世界平和と安寧を心を込めて祈る。どうぞ大難を中難に、中難を小難に、小難を無難に。

この現世では様々な困難な出来事が次々と出来することは、人の仔には避けようもないことだ。それでも、これ(人生)は、難儀を乗り越えていのちを繋ぐという神様からのテストへのチャレンジだと、わたくしは思っている。この難問を誰一人辞退できず、夫々が答えていく他ないのだから、怯えて萎縮するよりも、日常の其処此処に在る美しく、善いものごとをできるだけ拾い集めて、ちょっとした幸せに喜びを感じながら、他者を自分と同じだけ大事に共生(ともいき)してクリアを目指したい。

こうして参拝を無事完了し、宇治橋を渡って境内から出ると、其処には正午の温かな日差しが晴れ晴れと目出度い感じで降り注いていた。

集合時間までに、巡拝土産と直会を!と賑わうおかげ横丁に足を踏み入れれば、それぞれの店舗の入り口付近に「立春大吉」の御札が貼ってあった。珍しく思って「これは何ですか?」と尋ねると、「縁起がよいお札として、貼るんです」とのこと。調べてみると、↓のことが知れた。

このお札の素晴らしさは、厄(対処に困る相手)を追い払ったり、やっつけるのではなく、<もめることなくお帰りいただく>ところ。何とスマートな対処方法ではないか!と感心しきりの五十路おみなは、昨今の人間関係も国際社会もこの智慧を大いに活用してほしいと心底お願いするのだった。左右対称のバランスの良さも、文字の形に込められている白い魔術?新春を寿ぐおまじないを一つ学んで、わたくしたちの伊勢詣ではめでたく完了となった。

五十鈴茶屋の節気菓子「早春」と「春の訪れ」で直会の口福タイム

最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?