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リボーン(再生)イイ・ヤシロ・チ⑰

わたくしは、参拝で生まれ直しの疑似体験ができる仕掛けを持つ聖処の存在を、イヤシロチ巡りを随分重ねた後に知った。

そのような聖処は、たいてい訪れること自体がかなり難しいロケーションだったりもする。だからこそ、「知る人ぞ知る」ことも少なくない。

「そんな処知らない」と地元の人さえ言う場所もある。実際、現地に到着しても、肝心の場所に進むための入口をわざと隠している(誰が?)かのような足場や、見つけるのに難儀する登り口だった場合もある。だからこそ、ネットなどで無闇に取り上げたりしないように慎重でありたいと思う。隠されているのにはそれ相応の理由があるのだろうから。

「喚ばれた者だけが辿り着ける」という、そのキャッチフレーズがついていた場所があっと言う間に大勢の観光ツアーのルートになってしまい、それまでの雰囲気がガラリと変わってしまったのを見知っている人もいるだろう。其処はご利益を求める人間が、アレコレ祈願をしようと訪れる場所になってしまった。それが悪いと断言は出来ないけれど、以前に充ちていた荘厳な御神気は何処かに消え去ってしまい、それを悩ましく残念に思うのは、わたくしだけではないはずだ。

多くの人に知られるようになり、全国から人々が訪れるようになった隠れたパワースポットとして、韓竈(からかま)神社がある。いくつかのテレビ番組などでとりあげられて有名になった、島根県の秘境神社。ただ、此処は大勢が一気に訪れることができない(同時に参拝できる人数は5人程度)立地条件と大きさなので、ケガレル(気枯れる)ことの差障りは少ないのだろう。

https://www.izumo-shinwa.com/spot_dtl_karakama.html

マスコミが大々的に扱う少し前に、わたくしは友人らと何度目かの出雲大社詣での、行程に加えたイヤシロチである。一番近い一畑電鉄の雲州平田駅からあいのりタクシーさんに運んでいただき、ガイドと参拝同行もお願いできたことは大変心強く、楽しい参拝旅の思い出である。

こちらの神社に関するどの記事にも見られるように、足場が大変不安定なうえ、かなり人里離れた山中。携帯の電波も届かない場所なので、非常事態には危険を伴う。もちろん、複数人の参拝がマストで、何かあった時の助けを呼べるようなプランを練ることを強くお勧めしたい。

お世話になった、あいのりタクシーのドライバーさんは、当方の体力も気遣ってくださり、ご本人は、参拝用に滑らない長靴に履き替えての案内をしてくださった。当日は、しばらく好天が続いた時で足場のコンディションも良く、気温も風も心地よい参拝日和だったので、本当に助かった。

特に、山中の移動に落ち葉は思わぬ転倒や躓きをもたらすので、存外に厄介である。山歩きに不慣れな方は、十分に気を付けて、軽装や単独の参拝だけは避けてほしい。

わたくしの韓竈神社参拝。タクシーを降りて、気持ちの良い木立を通り抜け川のせせらぎを聞きながら、鳥居の前にたどり着いた。立看板の説明にあるご由緒や注意事項に目を通し、これまで何度も登拝されたドライバーさんの導きで、安心して凸凹とした石段をゆっくりと登った。

やがて、無事大きな岩の前までたどり着いた時、龍笛の音がとても近くに鳴り響いた。こんな山中で?と不思議さと少しの緊張が綯交ぜになった心持ちで、いよいよ狭い岩の間を通り抜け、立つ場所も限られた社前に出た。

なんと其処には、正装をした神職の方と男性お二方がいらっしゃり、お社の御扉が御開帳になっていた。これから祝詞を奉斎されるという瞬間にわたくしたちは岩から生まれ出た格好になったのだった。

その場の全員がそれぞれ驚いて、「ご縁ですね」と宮司さまがおっしゃり、わたくしたちも参列させていただいた。あまりの奇遇に、何とも言えない感動が胸にこみあげてきた。生まれてきたことを宇宙から祝福された気がしたから。

ドライバーさんも「何度となくお参りしたけれど、こんなことは初めてです。」と喜んでおられた。神様に歓迎いただき恐悦至極。有難さと嬉しさでいっぱいだった。

神楽と祝詞、御開帳のお社、イヤシロチの御神気あふれる空間。全身の細胞が蘇ってくる実感に喜びしかない。この瞬間をめがけて生きてきたとも言えるわけだから。

これがわたくしのイヤシロチでの初めての再生の体験であった。生まれた時の記憶はないけれど、この度の生まれ直しでは、はっきりと意識し、確信できた。自分は愛される存在である、ということを。

そうして、わたくしたちが大感激の参拝を終えて帰路につこうとした時、入れ替わりに若い女性一人が岩の間からひょっこりと現れた。

ほんの少しのタイミングのズレは大きいのだと、巡り合わせの妙を学んだと思ったと同時に、何かあれば命も危険に晒し、多くの人に面倒をかける場所に一人で来るのは軽率ではないか?と大変気にかかった。

わたくしたちは、居合わせたみなさまに挨拶を交わし、その場を辞した。この時はまだ氏子の方々もお祭りの後片付けで残っておられたので、彼女の帰途も安心できた。見知らぬ土地の秘境神社には、どうぞくれぐれもお気を付けてお出かけいただきたい。

出雲のお社巡りには、あいのりタクシーを強く推薦させていただく。

https://ainoritaxi.jp/izumo/

そして、リアルの参拝が難しい方には、この動画での安全なネット参拝をどうぞ。

https://www.youtube.com/watch?v=GkSBGNro7s8

人は二度生まれると、ルソーは言ったそうだ。「生物としての誕生」と、「社会的な存在としての誕生」を意味するという。けれども、イヤシロチでの生まれ直しは、そのどちらとも違う。それは「無条件で、宇宙の意志によってわたくしの誕生がもたらされたこと」を自覚する体験だった。日常生活に埋没し、社会の仕組みに抑圧される自我を見ぬふりをしてやり過ごす現実からの脱出でもあった。

本来、人の仔は無条件で祝福されている。生きていることに何らかの要件が求められるはずはなかった。それを思い出すための、生まれ直しだった。リボーンの体験を重ねる機会に恵まれて、その理解に至ったのは、幸いだと、わたくしは考えている。

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