頭と身体

深呼吸をして。呼吸を止めないで。身体の力を抜いて。ゆっくりと海に潜っていくイメージで。男は澄んだ低声でみなに優しく声をかけていく。その場には約15人ぐらいの人が仰向けで横たわっていた。男は人の筋の間をそおっと通り過ぎながら一人ひとりの身体をすばやくかつ的確に確認していく。まだここに力が入っていますね。と言いながら、手首を持ち上げ、ブラブラと何度も揺さぶる。まだ、まだ、もっと抜ける。もっと、もっと、まだ抜けないね。大丈夫。大丈夫だから。まだ抜ける。まだ抜ける。ふぅ。まだ抜けないね。わかるでしょ。ははは。オーケー。じゃぁ家に帰っての宿題にしよう。男は一人ひとりの身体に合わせて、時には手取り足取り指導を続けた。

ダンスとは、テンションが語源になってます。早く動いたり、身体を曲げたり、伸ばしたり、様々な動きやポーズを取りますが、全てテンションをかけているんです。人間が立って歩いて、日常生活を送っている間、始終テンションがかかった状態です。だから、テンションがかかっていない状態はむしろ想像が出来ないかもしれません。ぼくがみなさんに教えるダンスはまずは徹底的に脱力するところから始めます。身体のどの部位にもテンションがかかっていない状態。最小限の力で動くということをしていきます。だから、このワークでは徹底的に力を抜くということを体感してほしいと思います。

男は穏やかにしかし、はっきりと、自分の会得しているダンスのエッセンスについて、短い言葉で手早くみなに伝えていく。男はいたって冷静であるけれど、自分の言葉の一つ一つに自信がみなぎっていることが感じられた。

それでは、まず、みなさん、2人1組になってください。誰とでも良いです。近くにいる人と2人1組を作ってください。まずぼくがやってみますのでみなさん見てください。じゃあ1人ここに仰向けで横になってください。みなさん。まずは、力を抜くところから。ここに横たわっている人がいます。この人には骨も、血管も、内臓も、筋肉も全てなくなってしまったと考えてください。皮膚という一枚皮に包まれていて、この中には水が入っている。そう考えてください。そして、身体のいろいろな部分を揺らしていきます。こんなふうに。そして、揺らしていくと、全身が揺れていきます。揺れにくい部分があるということはその部分に力が入っているということです。揺らされる人は、揺らす人のことを助けないようにしてください。揺らす人の力に合わせて、自分も力を入れてそちらの方向により強く動くようにするなどのこともしないでください。ただ力を抜いて、揺らされるがままになってください。顎の力も抜いてください。顎に力が入っていると歯をぐっと食いしばっているような感じになってしまいますが、顎の力も抜いて。そう言って彼は言葉かけを通して、参加者全員の身体を彼の意図通りに動かしていく。まるで彼の身体自身であるかのように。あたかもその日の参加者の全員で一つの身体を作っているかのような錯覚に陥るほどだった。彼がその身体全体を司る脳の役割を果たすように、彼は言葉を駆使して、一人ひとりの身体を自在にコントロールしていく。

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