書くこと

男は本を読むことが好きだった。時間があればいつでも何時間でも本を読み続けたいと思っていた。しかし、そうすることは出来なかった。男には仕事があったのだ。ひょんなことから始めた仕事でそんなに長く続けることになるとは思ってもいなかったが、約10年続けていた。その仕事は嫌いではなかった。しかし、自分がその仕事をしている意味があるのか疑問に感じることは数多くあった。そして、その仕事は自分の時間を切り売りすることなのではないかと考えそのことに疑問を抱いていた。給料も安かった。男は給料袋を持って家に帰り、同人にその袋を渡す時にいつも「薄給ですまないね」と添えて渡していた。ある時そのことを同人に薄給などと言ったら失礼だと指摘され、それから薄給であるとは言わないように気をつけていたが、薄給であるという感覚は変わらなかった。それは翻って、もっと多くの給料を取れるような仕事が出来ると漠然と感じていたということだ。しかし、かといって今の仕事をすっぱりと辞めるという決心もつきかねていた。そうして男は日々を無為に過ごし今日もまたストレスを募らせていた。ストレス解消にコンビニで買ったスナック菓子を頬張る。そのスナック菓子が身体に悪いことは百も承知だった。しかし、男はそのことがわかった上でそのスナック菓子を食べることを止めなかった。無意識であるいは、消極的に彼は自殺をしようとしていたのかもしれない。自暴自棄になっているのかもしれない。彼は自分自身の状況を憂い、しかし、何も状況を変えることが出来ない自らの無力を思い、また気持ちを暗くさせるのである。以前、同じような状況にあったとき、マックのハンバーガーを食べることがあった。決まって照り焼きチキンのものだったが、その時も同じようなことを考えていた。これを食べると俺の寿命はきっと縮まるだろう。それでも良いのだと思いながら食べていた。健康に悪いとは思いながら止められなかった。形は変われど、あの時から私の発想はあまり変わっていないのである。そして、今もまた緩慢な自殺を続けている。何が私にそうさせるのかはっきりと実体は掴めていないけれど、何者かに動かされるのだ。昔の人が悪魔として表現したものかもしれない。そう考えると、私は自らの腹の中に、もしくは脳の中に一匹の悪魔を飼っているのかもしれない。ふとした瞬間にその悪魔が私を支配し、私を不意に何かに赴かせる。それがある時にはマックだったのかもしれない。またある時はコンビニなのかもしれない。私は悪魔と戦い負けを喫しているのかもしれない。ストレスは自分の外部からやってくる。ある時は自分がしたいと思ったことがなんらかの事情で出来なかったこと。またある場合は、自分の自由な時間が誰かに奪われたと感じる時。最近は本も読めていない。本を読むことも男にとっては楽しみの一つであったから、そのことは男にストレスをかけているのかもしれない。男は自分がなぜ本を読むことが好きなのかを考えた。そう言えば、一時、本を読むことが仕事になれば良いのにと考えていた。そして、本を読むことを仕事につなげている人や職業は数多くあるけれど、その中でも作家や大学教授などの仕事に魅力を感じていた。最近は、ジャーナリストも本を読むことを一つの仕事として位置付けている人も多くいることと感じ、そういう方向にも魅力を感じていた。ただ、これからまた一から新しい仕事をするということが男にはどうも現実的なこととしては全く考えられなかった。そのため、可能なことは今の仕事を細々と続けながら、他の時間を出来るだけそういう方面に振り向けることだった。時間そして自分の熱意や労力をそちらにかけることが今の自分に出来る唯一のことだと感じていた。そして、日々、少しずつではあるが書くことを続けていた。そして、その書くものはどれも取り留めのないものばかりでそれがどういう形に組み上げられていくのか全く想像が出来なかったけれど、日々書く中で何かの手がかりを見つけたいとそう思っていた。それは山登りに似ているのかもしれない。山に登る人間は何のために山に登るのかと言えば、ただそこに山があるからだと言った人がいた。同じように、そこに白紙の紙があるから書くのだ。その内容については特に考えない。その時に思い浮かんだことをただひたすらに書くことだと思った。何か設計図のようなものを作って、ある一つの塊を作ることを目指して、そちらに向けて熱意を傾けることも出来たが、男はそういったことにはあまり興味がなかった。男が興味を持っていたのはただ、自分が今どういうことを感じていて、どういうことを考えているのか、それだけだった。そういう意味で男が書いているものは単なる独白であり、誰かに聞かせるものではないのかもしれない。しかし、誰かに聞かせるものでないからといってそれがどうしたのだと思っていた。少なくとも自分はそのことを聞いていて、自分さえその言葉聞く人間がいれば、それでいいと思っていた。それはつまりは男は死ぬまで自分という一人の読者を持ちさえすればそれに向けて書き続けることが出来ると思った。それは無意味な行為であるように感じられたけれど、それでもその時、その男にとってはたとえそうであったとしても書く事の価値は変わらないと思った。それはつまり、多くの読者を持つことと書く事との間には得に大きな意味はないように思ったということである。もちろん多くの読者を持つことは喜びであるかもしれない。ただ、男にはそういうことは全てが想像の範囲のことで、実際の所、多くの読者を持つことがどういうことになるのかはわからなかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?