プレゼンテーション1-1

好奇心の塊 レオナルド・ダ・ヴィンチ

 こんにちは。Naokiです。
 前回は、ヨーロッパ絵画を見る上で欠かせないポイントである、ルネサンスについてまとめました。今回はルネサンスを盛り上げた3人の人物の一人、レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯についてまとめたいと思います。モナリザを描いた人物はどういう人だったのか、そんなことを意識しながら読んでみてください。

愛人の子として生まれる

 レオナルド・ダ・ヴィンチは、お互いが結婚していない両親、つまり不倫で生まれた子供でした。レオナルドが生まれてすぐに父親は別の女性と結婚してしまい、レオナルドの元を離れてしまいました。レオナルドが2歳の時です。また母親も近所の男性の元に嫁ぎ、別の家庭を築き始めました。レオナルドの父方の祖父が、4歳のレオナルドを引き取り、愛情たっぷりに育てました。この祖父はレオナルドが好きなものはなんでもやってみたら良いよ、という考えでした。そのため、レオナルドは幼少期から好奇心旺盛となりました。好奇心はこれからのレオナルドの生涯を語る上で一つのキーワードです。ちなみにレオナルドの父親の仕事は「公証人」でした。当時読み書きができる人が少なかったので、代わりに土地を買う時の契約書を書いてあげたりする仕事で、すべてラテン語でやりとりされました。当時ラテン語はエリートだけが読み書きできる言語でしたので、公証人はエリート中のエリートしかなれない仕事でした。父親の仕事を子供が継ぐのは当たり前でしたが、「正式」を重んじる仕事なので、正式な結婚で産まれなかったレオナルドがなることはできませんでした。ある意味愛人の子供で産まれたからこそ、芸術家としての才能を開花することができたのです。

究極の飽きっぽさ 

 レオナルドは好奇心旺盛な人物でした。なぜ月は光るのだろうか。鳥が飛べるのはなぜか。思ったことは漏れなくメモを残しました。ヒトを描く上で、人間の骨格や筋肉の動きを徹底的に研究し、人間の解剖に立ち会ったこともあります。何にでも興味津々なレオナルドだからこそ、一つのことを最期までやり遂げることが苦手でした。画家としても最初の一筆から最期の一筆までやり遂げた作品は以外とわずかなのです。途中まで書いてあとは弟子たちや第三者に任せるということは日常茶飯事でした。レオナルドに未完の作品が多い他の理由には、製作中に自分にはできないと考えてしまったとも言われています。そんなレオナルドが最期まで完成させた作品でもっとも有名なのは、「最後の晩餐」と言われています。

マイペースに書き上げた絵

 イタリアのミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の一室に大切に保護されている絵があります。これがレオナルドの傑作「最後の晩餐」です。

 最後の晩餐とはイエスキリストの生涯の重要な場面です。12人の弟子たちと食事を囲んでいるときに急にイエスが、「この中で私を裏切る者がいる!」と言って、その言葉に驚く弟子たちの様子が表現されています。この絵は壁に描かれています。通常壁に描くときは、フレスコ画という技法を使います。フレスコ画は、簡単に言うとインクが壁の中まで染み込むので半永久的に絵が残る書き方です。しかしこのフレスコ画は時間的制約があるので、数時間後には完成しなくてはならない、という制限の中で絵を書き上げなければならないのです。レオナルドは、時間なんかに縛られずにゆっくりと描きたいと思い、壁に描くにも関わらず、紙に描く要領で書き上げました。しかし絵を書いたのは食堂。湿気などで絵が痛みに痛み、長期的な保護が難しいとされており、一時期見ることができなくなりましたが、最新技術を使ってなんとか維持することができるようになっています。絵を保護するために、湿度は一定に保たれ、また一度に入れるのは25名、15分間のみと厳しい管理下にあります。

絵ではなく、科学者として

 こうして多くの絵を世に送り出したレオナルド。しかしのちのミケランジェロやラファエロなどの力量に圧倒的差をつけられ、絵で成功することが少なくなってきました。そんなところに、フランスが、「こっちに来て自分の好きなことを好きなだけやっていいよ!」とレオナルドは言います。レオナルドが住む家や年金も保証してくれるとのことだったので、すべてを持ってフランスへ向かいます。好奇心溢れるレオナルドはそこで死ぬまで研究に励みました。主な研究テーマは解剖でした。レオナルドは67歳でこの世を去ります。彼の墓もこの地に作られましたが、のちのフランス革命で墓が破壊されてしまい、今どこにあるかがわかっていません。この時のレオナルドに仕えていたフランス人にレオナルドが最後まで大切にしていた絵を託しました。それが「モナリザ」です。だからモナリザはイタリアではなく、フランスにあるのです。

 イタリアで興ったルネッサンスを盛り上げた巨匠の一人、レオナルド・ダ・ヴィンチは最後は絵としての才能が認められることはありませんでしたが、絵で大成するというよりも自分が興味のあるものを追求していく姿勢は見習いたいところです。
 今回はレオナルド・ダ・ヴィンチの人物についてまとめました。彼が書いた絵についてはまたの機会にしたいと思います。次回はミケランジェロについてまとめます。私が大好きが芸術家の一人です。

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