プレゼンテーション1-1

大混乱の中東 Part3

こんにちは。Naokiです。
時間がかなり空いてしまっての投稿となってしまいました。
仕事でエジプトに行っており、バタバタしており、なかなか時間を取ることができませんでした。出発前にピラミッド近くで爆発事故があり、その対応やらで。。。また機会があればエジプトの旅のレポートでも書こうかと思っています。さて本題に移ります。


前回までは、アフガニスタンにおけるソ連とアメリカの代理戦争の結果、ソ連が撤退し、アフガニスタン国内での民族紛争へ発展したことをお伝えしました。そこにパキスタンが目をつけたとお話しましたが、今回はパキスタンのアフガニスタン侵攻についてまとめます。しかし、中東問題はいろんな国や勢力が入り組んでいるので一旦ここでまとめてから、パキスタンについてまとめます。

① ソ連が、自分の言うことを聞く国を隣に置きたいと考え、アフガニスタンに侵攻。親ソ連の政権を強制的に樹立。それに反発したアフガニスタン市民と内戦状態。

② アフガニスタンをかわいそうに思った、サウジアラビアなどの他のイスラム諸国が市民がアフガニスタンに行き、一緒にソ連と戦う。

③ ソ連の暴走を止めるために、アメリカが介入。パキスタンを通る救援物資ルートを通って、アフガニスタンに武器や金、兵士を投入。

④ ソ連が戦いに疲れて、アフガニスタンから撤退。それに伴いアメリカもアフガニスタンから撤退。

⑤ ソ連による侵攻で、アフガニスタンでの民族意識に火がついて、諸民族同士の紛争へ発展

⑥ この民族紛争に、パキスタンが介入

 今回は、⑥のパキスタン介入についてまとめます。なぜパキスタンがアフガニスタンの民族紛争に介入したのか。パキスタンの目論見はなんだったのか。

パキスタンもソ連と同じ考えだった

 ソ連とアメリカがいなくなったアフガニスタンには民族紛争が激化していきました。パキスタンはこれに介入しました。なぜ介入したのか。インドがキーワードとなります。インドとパキスタンは隣同士ですが、犬猿の仲でした。パキスタンは、インドと昔から領有権を巡って争っては負けるを繰り返していたので、インドをいつか倒してやりたいと思っていました。パキスタンはアフガニスタンにも国境を接しています。もし政情不安のアフガニスタンに、インド寄りの政権が樹立されてしまったら、パキスタンはインドの挟み撃ちにあってしまうリスクが上がってしまいます。パキスタンは考えました。
(パキスタンの言うことを聞く政権がアフガニスタンにできたら、集中してインドと戦うことができる。)
 またアメリカの最新兵器やお金を持ったパキスタンは以前よりも戦力が上がっています。インドと対等に戦える自信があったのです。ソ連の国境を接する国はイエスマンで固める、という姿勢に似ています。

アフガニスタンで直接対決はしなかった


 しかしパキスタンはいきなりアフガニスタンを攻撃することはしませんでした。パキスタンが目をつけたのは、アフガニスタン内戦で生まれた大量の難民でした。その難民のほとんどはパキスタン寄りの地域の難民キャンプで暮らしていました。ここにいる子どもたちを利用して、アフガニスタンを支配しようと考えました。子どもたちに洗脳教育をして、アフガニスタンを親パキスタン寄りにさせようと考えました。具体的には、国境付近にイスラムの神学校をたくさん作り、過激なイスラム思想教育を与えました。この子どもたちにアメリカの最新兵器を渡して子どもを軍として組織化しました。これが、タリバンです。子どもたちはアメリカの兵器を持ってアフガニスタンと戦うことになりました。最新兵器のおかげで、アフガニスタンはあっという間に親パキスタン政権が樹立しました。
 タリバンは過激なイスラム思想を持つ集団でした。ですので親パキスタン政権のアフガニスタンでは、イスラム原理主義に基づく統治が始まります。イスラムの考えを都合の良いように解釈したのです。タリバンによる過激な統治は具体的にはこんなことでした。

女性を家の中に閉じ込めた

 イスラム世界では、女性はとにかく大切にしなくてはいけない存在となっています。イスラム教発足した時に、異端だと戦争を繰り返してきた歴史があるため、戦死する男性が多かったのです。人口を増やすためにイスラム教では一夫多妻を認めているのはこのためです。女性は子供を産むので、大切にしなければいけない存在なのです。タリバンはこれをこう解釈しました。(女性は大切にしなくてはいけない。外で働くなんて危険なことはしてはいけないから、女性は仕事をしてはいけない。仕事しないのだから、教育も必要ない。)
 また、イスラムの教えでは、女性の美しいところは隠すべきと考えられています。特にサウジアラビアなど敬虔なイスラム教徒になると目以外全身覆ったりします。これは、女性が綺麗な顔を見せびらかしていたら、男たちが惑わされて、神のことを考えなくなってしまうためだと考えられています。そのため、女性の美しいところはすべて隠しておかないといけないのです。そこでタリバンはこう解釈します。
(家族以外の男性に顔を見せてはいけない。また、どんな危険があるかわからないとし、家族の男性と一緒でなければ外出することができない。)
 また、中東諸国には結婚前の男女の交際は禁止され、親が決めた相手とのお見合い結婚のみ許されるという文化があります。タリバン統治化のサウジアラビアでも、女性は全身を覆われたままでのお見合いとなります。そのため、男性は結婚をするまで、自分の奥さんがどんな顔をしているのかわからなかったのです。


 ここでタリバンにある課題に直面しました。タリバンの女性が病気になったら、死を意味しました。女性は夫以外に顔を見せてはいけません。夫が医者でない限りは、お医者さんに見てもらうことはできません。また女性は働くことが禁止となったので、女性のお医者さんはいません。そのため、各地で女性が相次いで死亡する事例が多発しました。これにより、タリバンでは医療の現場のみ女性が働くことが認められました。しかし若手の医者の育成はできませんので、今後どうなっていくのか、タリバンの課題となります。
 これ以外にも、タリバンの過激政治では、
・音楽や映画などの娯楽禁止
→天国に行ったら、いくらでも楽しいことができるんだから、今は我慢しなさい。
・公開処刑の実施
→逆らったらこうなるぞ、と見せしめ、市民の団結をはかる
まるで、北朝鮮のようですが、タリバンはアフガニスタンを支配するためにこのような過激思想を子どもたちに徹底しました。
 このようなタリバン政権は弾圧されることはしばらくありませんでした。アフガニスタンはソ連にとってもアメリカにとっても興味がない場所でした。強いて言うのであれば、アフガニスタンに興味を持っているのは、サウジアラビアぐらいでした。サウジアラビアはイスラム教の聖地があるので厳格なイスラム原理主義国ですので、タリバンのイスラムの教えに共感できるところが多々あったのです。1995年よりタリバン政権が始まり、2001年にアメリカの攻撃を受けるまで、こうした過激政治が行われました。
 その後の中東問題はイラクやクウェートなどが舞台となっていきます。また次回にまとめます。

 

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