青い水筒と階段【エッセイ】
ウチの娘は絵を描くのが大好き。そしてその絵はいつも素直でストレート。娘は目に映ったそのままの世界を懸命に表現する。安物の色ペンでホワイトボードに描かれた絵は一見画質は粗くても実に緻密な作りになっている。
粗いのに緻密。
これをどう伝えたら良いだろうか。
無理やり喩えるなら昔のビデオゲームのドット絵のは様な世界がそこに存在するのである。
粗い粒の一つ一つに意味がある。
まるで生きているのである。
・・・
最新作『私の家族』
エジプトの壁画の様に横に長いストーリー性のありそうな絵。私が帰宅後これを見た時の衝撃は計りしれなかった。
まずケーキの乗ったお皿がママから娘へと手渡されるシーンを見てほしい。ママは左手で蛇口のレバーを操作しながら右手でお皿を持っている。ちょっと忙しそうだね。
ケーキが乗った皿を両手で受け取る娘は嬉しそう。きっと丸いお皿に美味しそうな苺ケーキが乗ってるんだろう。
と、ここで驚いた。
なんとお皿が丸で描かれてないのだ。皿だから円で描かれているだろうと思ったのは私の勝手なイメージだった。違う。
絵の中に有ったのはたった一本の線だった。
確かに横から見たお皿は線状。
誰に教わったでもなく、娘は見て知っていたのである。お皿は丸いだけじゃない。
そして彼女はあの丸いお皿を一本の線で表現してしまったのである。まったくもって大胆なことをする。
視線を少し左に移す。
そこにはケーキを待ち構える3歳の息子。フォーク片手に机から身を乗り出してケーキを見つめている。メッチャ食いしん坊に見える。
身体を斜めに描くことで前のめり感を出していることに気付いた。息子は幼児用の椅子の上で今にも動き出しそうだ。
幼児用の椅子の表現も細かい。3段のステップが付いている。そして大人用の椅子と比べて座面が高い。
机の脚は4本、そして奥の脚は少し内側に画かれている。粗いけど細部を画こうとしている。
そこへ鞄を持って帰宅する私(パパ)の姿。
手に持った青い水筒、背後に描かれた階段。不思議な構図だ。知らない人からしたら何の脈絡もないように見えるだろう。
でもこれにも意味があるんだ。
この構図は私が帰宅直後に行うルーチンを表現しているのである。
・・・
私は玄関で鞄から青い水筒を取り出すと、いつもそれを子供たちに手渡し、ママへ届けさせるという役割を与えている。
子供の手に水筒が渡れば、私はその足で階段を昇り、スーツをハンガーに掛けるため二階の一室へと向かうのである。
青い水筒というアイテム。
トコトコと足音の鳴る階段。
それは娘にとって夜に家族が揃う瞬間の、そのちょっと手前に起こる象徴的なシーンなのである。
ママからケーキを受け取った彼女は私に背を向けた状態である。でも彼女の脳裏には青い水筒を持った私の姿と階段が見えているのである。
横長のこの絵は彼女が感じとった世界を水平へと延ばしたものなのだ。
娘はこの夏で6歳になる。感じとる世界はもっと拡がってゆくことだろう。
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ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んでくれたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことだなー