見出し画像

気持ちが昇華されたのなら後はどうでもいい話でもしてればいい【エッセイ】

書くことについて。文章を書いた時にその文章をはじめに読むのは自分自身だ。誰に読んでもらうでもなくて自分宛てに書いた文章を書くと気持ちが昇華されることがある。とても素敵なことだ。でもある程度のところで気付くはずだ。こういうのはたまにでいいんだなと。日々SNSで自分を鼓舞し続ける人がいる。たまにだったらこちらも『そうか、頑張れよ。』という気になるが、それが毎日続くと心配になってしまう。毎日言葉によって鼓舞し続けないと日々が過ごせないのであればちょっと休んだ方がいいんじゃない?そんなことを思ってしまうのだ。文章も同じあんまり毎日潜り過ぎてしまうと光の届かない場所まで沈んでしまう。ちょっと浅い光の届く場所で魚を水中から眺めるくらいまで浮上した方がいいと思うんだ。

そうだね。ある程度気持ちを昇華できたなら、いっそのことどうでもいい話をした方がいいんじゃないだろうか。こどもの日記レベルまで戻ったらいいと思う。レベルを落とすのではない。こどもの時の気持ちにまで戻るの。

例えばね、今朝の出来事を話すとこうだ。

玄関を出たら三匹の猫が居たんだ。二匹は私を見ると一目散に逃げてしまったんだけど一匹だけしぶとく居座った猫がいた。車の下でこちらをじっと見ている。私も負けじとスマホを向けた。パシャリ。

猫が写った。当たり前の話だが、、

ところで君は一体どこの猫なんだい。

とまぁこれぐらいでいいと思うんだ。

#エッセイ

ここから先は

0字

¥ 100

ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んでくれたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことだなー