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吉玉サキさんが過ごした10年間に会いにゆく本【山小屋ガールの癒されない日々】

2019年6月、楽しみに待ち続けていた本が出版された。cakesで連載されている吉玉サキさんの『小屋ガール通信』がついに書籍となったのである。

予約して、発売日に本屋へ向かった。それだけ私にとってもこの本は思い入れがあったのだとあらためて気付かされる。

思えば1年ほど前に彼女は夢を語ってくれたんだ。cakesの連載が決まった時、おめでとうの言葉を私から伝えた時に吉玉サキさんは以下の様に宣言してくれた。

娘さんがもう少し大きくなったときに仲さんが本を買い与えられるように、書籍化を目指します。

単にありがとうを言うのではない。次の目標を彼女はすでに持っていたのだ。すこしまぶしかった。

私は一言、「買うよ、約束する」とだけ応えた。

守るべき約束に飾りなどいらない。言葉にしたことを行動で示す。人生においてそれだけが軌跡として残る。

私はそう信じている。そして1年を待たずしてそれが実現した。

ところで彼女の書いた文章は出版社の協力をえて、ネット上の通信という形式から物理的な形の書籍になったんだけど、これってすごく大きな変化だと感じたんだ。

単なる焼き増しではない。ネット通信と出版は似て非なるもの。

cakes上で『小屋ガール通信』をうたっている時は、過去の話でありながらどこか現在進行のような気で私は毎週楽しみに拝読していた。しかし、書籍の形で本文を読み進めた結果、認識をあらためた。「ああ、これは吉玉サキさんが過ごした10年の集大成、山小屋スタッフを務めながら見えた世界の軌跡なのだ」と。

この認識のあらためは決して吉玉さんの文章が過去の遺物になったという意味ではない。むしろ逆である。区切りをつけることで未来に生きる形となったんだと思う。

きっとこの本を読んだ人は耳元で語り掛けられたような錯覚をおぼえることになると思う。読者はこれから山小屋で働くことになるスタッフかもしれないし、これから山を登ろうとする登山客かもしれない。
可能性としては吉玉さんと共に山で過ごしたスタッフの誰かが枕元に置くことだってあるだろう。

どのパターンであれ『山小屋ガールの癒されない日々』が読んだ貴方の心に響いたのなら、それは書籍の形を借りたお手紙を受け取ったのだと思ってほしい。10年のあいだ山小屋で過ごした吉玉サキさんからのね。

この本は山の美しさを読み解いた本でもなければ、厳格な山の掟を後生の人間に強要するようなルールブックでもない。突き詰めれば山という世界のそのまた山小屋という一つのカテゴリの中で働いた一人の女性の記録である。

でもその記録には想いが乗り、出版を経て読んだ人の人生と交錯するようになるだろう。

小さくてもそこには人のぬくもりがある。
人が悩み、生きた形跡がある。

彼女は今も戸惑いながら生きている。

#山小屋ガール本 #コンテンツ会議


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