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サインに添える言葉【エッセイ】

言葉。

百聞は一見に如かずって云うけれども、一見に匹敵する一聞ってのもこの世には在ると私は思っている。

一聞は一文だったりするんだけど、ほぼ日のネパール滞在記で目にした田中泰延さんの一文には本当に度肝を抜かれた。

以下、少しだけ引用する。(引用元:https://www.1101.com/nepal/5.html)

8千メートルを超える山というのは、実感でいうと、日本のわたしたちが夏場に見る巨大な入道雲、あの大きさ、高さが、そのまま、「岩」なのである、そしてそれが何十もつらなる。
(田中泰延)

(上の写真も引用)

あぁ、、一つの山の大きさを、その高さを夏の入道雲と言いきった。きっと貴方の脳裏には積乱の巨大雲の姿が浮かぶだろう。そしてその残像をたったの一文字、『岩』のたった一文字で変化させ、我々に伝えてくれたのである。それがネパールの山々なんだよと。

たった一文で、画像だけでは決して伝えきれない山の壮厳さの片鱗を教えてくれたんだ。ちょっとは感じてもらえただろうか。それが田中泰延(ひろのぶ)さんの言葉なのである。

さて、私が雑多な長めのエッセイを書き始めたのは実はこの田中泰延さんの影響である。このオジサンの文章を読むうちに、いつしか自分でも文章を書いてみたくなったのだ。まぁそれが続きも続いてこのnoteでも一年以上書き続けている。おかげでこのnoteでの付き合いみたいなのも増えてきた。

これまで何かを伝えたくて書いた文章、ただ嬉しくて書いた文章、書かずにはいられなくて書いた文章、色々あったけれども、とにかく書き続けた。

すると最近 田中泰延さんが私のnoteを取り上げてくれた。

これは私の娘がダンボール紙でノートパソコンを工作した時に驚いたエピソードを書いてまとめた文章だ。娘の成長への喜びだとかその時の気付きとかを書いたもので、本音を言うといつか読み返すことを前提に書いた文章である。写真だけでは伝わらないと思える大切なものを言葉として書いたつもりだ。

読み返すのは私であっても、遠い未来の我が娘であってもよい。

そんな気持ちで書いた文章を読んでくれて、『良い』と言ってくれたのである。嬉しかった。

そして事態は急転する。

この数日後、大阪のネパール料理屋で田中泰延さんにお会いすることになったのだ。

『読みたいことを、書けばいい』

これは先月ダイヤモンド社より出版された田中泰延さんの著書のタイトルであるが、その出版を内々で祝う会に呼んでもらえたのである。

それは17名のオッサン連中が集う愉快な会だった。『めでたいめでたい、あー良かった良かった』と大の大人が慶んで酒を酌み交わすのである。そこには上っ面の付き合いでは味わえない何かがあった。

途中プレゼントされたスコッチウイスキーも洒落ていた。大人の遊びゴコロである。

そして、ミーハーな話だけど、記念にサインも頂いたんだ。その時はよく分かっていなかったんだけど後になって目頭が熱くなった。

そこにはこう書かれていた。

畏友 仲高宏 賛江  また素晴しい文章を読ませて下さい!! 田中泰延

冒頭が『畏友(いゆう)』という言葉から始まっていた。10も歳の離れた私に対してである。

人から受け取った言葉は特別な熱を帯びていると思う。

私はこの日のことを忘れないだろう。そしていつの日か私にも年の離れた友ができた時には、同じように畏友という言葉を贈ってあげたいと思った。

#日記 #エッセイ #読みたいことを書けばいい

ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んでくれたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことだなー