今の中村を形作ってきた光と陰

9/27に大阪で380名規模のイベントをやることにしている。

箕輪編集室 関西チームの中で、イベントの運営リーダーをさせてもらっているのだ。

イベントの詳細はこちら

こういった大きな企画の言い出しっぺはいつも不安だ。というか、ここまで人数を呼ぶのは初めて。


なまじっかほんの少しだけ先が見通せたり、空気をずっと読んできた経験もあるから、場の雰囲気がなんとなくわかる。


里帰りして家族と温泉に入って帰路の途中。真っ暗闇の林道を車で走りながら言葉にできない不安に襲われた。


本当に人集まるんかしら・・・

どうやってここから進めていこうか・・・


先頭を行く人間は先の見えない不安に頻繁に襲われる。


そんな時にいつも突然現れるのが「人から手を差し伸べられること」だ。


突然同時並行で複数名の方が手を差し伸べてくれた8/16の夜

本人は手を差し伸べた感覚はないのかもしれないけど、少なくとも僕は救われた。

今日のnoteは、今回のイベント開催にあたり事実上僕の女房役となっている箕輪編集室関西チームリーダーの今井さんからの一言で書くことにした。

みんなに贈る。といいたいところだけど、ぶっちゃけ今井さんに読んでほしい。いつもニコニコしていて、ときどきテキトーで、いろんなことを飄々とこなす、その裏であまり語ってこなかった僕の光と陰の「陰」の部分だ。

長いんだけど、見届けてほしい。

根底にあるのは世の中への「不満と怒り」

「仕事できそうですね」

「なんかすごくしっかりしてますね」

一見これは褒め言葉に聞こえる。
いや、僕にとってこれは今は普通になったけど、もともと全然仕事もしっかりもできていなかった。なので自分の中では少し違和感があるのが正直なところだ。

二十歳そこらの時のあだ名は「少年」「ボーイ」
いつもガキンチョ扱いされてきた。

年功序列のお堅いサラリーマン生活で生き残るために「畜生!」って思いながら必死になっていたら、気がつけば習得していたものなのだ。

「すごく辛いこととか葛藤とか経験してきてると思うんです」

今井さんの口からこう何気なく告げられて、直後に僕の脳内に溢れるように出てきた、過去に経験した様々な出来事。


今では僕の血となり肉となり、骨となったものを色々と引っ張り出してきてみたいと思う。

たぶんそれは、

なぜこのイベントをやろうと言い出したのか
このイベントに関わるみんなをどうしたいのか
参加してくださる人々に、どうなって欲しいのか。

もっと言えば、僕が関われる人にどうなって欲しいのか

すべての答えなんだと思う。

いつからパッション化したのか?

実はこの名前は自分でつけたわけじゃない。

サラリーマンを勢いで退職したのが2016年。つつがなく1年が経過。

「あれ?時間があればうまくいくわけじゃないんだ・・・!?」と思い、妙に焦りを感じ始めていたフリーランス1年目のことである。

それまでずっと一匹オオカミでなんでも知識を自分で仕入れ、自分なりに解釈して、検証と改善をそれなりに繰り返してきたけど、なかなかイメージするところまでいかない。

そんな停滞を感じていた時に入ったオンラインサロンで、出会った仲間に付けられたのだ。


「自分にぴったりのニックネームがわからない。ただ、これまでこんなことをやってきました。」


と語った結果付いたのがこの「パッション」というニックネーム。


お笑い芸人にそんな人いたよな。と、恥ずかしいながらも、「まぁいいっか。一度自分の視点から見た延長線上の自分を捨てて、パッションで行ってみよう」と思って今に至る。

僕はこれまで何回か死んで、その都度バージョンアップして生まれ変わってきた。この時も大きなターニングポイントだった。

どんなことをやってきたのか、話してみたい。

中村の最初の試練

実は僕には姉がいた。「いた」と過去形なのは死産だったからだ。
そんなことはつゆ知らず、長男として生まれる。

それもあってか、両親にも祖父母にもとても可愛がられた。公文式の勉強から、いろんな自然遊びまで、小さい頃からやらせてもらった。

人生で最初に訪れた試練は「左利き」だったことだ。

幼稚園〜小1までは「矯正」という昭和の習慣が残っていた。
はしや鉛筆の持ち方を泣きながら矯正されてた思い出がある。

ハサミやしゃもじ、世の中のほとんどものが「右利き用」にできており、使いにくすぎて、いつも「なんで世の中はこうなっているの!?」と不満に思っていた思い出もある。

なんで矯正されるの?なんで僕用の道具はないの?試行錯誤の経験とセットでいつもあった怒りの感情がおそらく原体験なんだと思う。

そのおかげもあって、異様に器用に育つ。
なんでもそつなくこなすから、そこそこに妬まれたりもしながら、就職組では1番か2番目ぐらいの成績で高校を卒業。大学に行ってやりたいこともイメージできなかったので、そんなに家が裕福でもないことを察して就職。

絶望の始まり。

絶望は、18歳の社会人生活からスタートする。

社会のことを何にも知らない高卒で、あろうことか国策を遂行する大手の法人に入社。


選んだ理由は「学校に張り出されていた求人票の中で一番資本金の額が大きかったから」いかに安直なバカだったかがわかるだろう。

そこで高学歴卒の先輩と上司にボコボコに叱られる毎日がスタートする。
何がダメなのかもわからず、これまでの常識が一切通用しない。
人格を否定されたりはしないのだが、毎日あれこれ指導が入ると、何も言いたくなくなる。

なんでも相談しろ。と言われても、ダメ出しを受けることが分かってたら何も言えないよ!

そうやって、もともとテキトーで天真爛漫だった僕は、寡黙な少年になった。昔の僕は、一度この時死んだ。


職場の誰もが僕のことを後ろ指を刺すような目で見ているのがとても嫌だった。そこに僕の居場所は全くと行っていいほどなかった。

唯一の救いは、上司の性格別攻略法や・仕事をする意義・仮面の被り方。そう行った世渡り術をある先輩に教わってから、攻略の糸口を見つけたことだ。4年も経てばひととおり仕事ができるようになり、周りの見る目も変わってきた。

・反対派との電話応対
・否定的なマスメディアとの対応
・たらい回しにされる社内

など、「なんでこうもうまく伝わらないんだろう???」というのが本当にわからなくて悩んでいたのもこの頃。無知とは怖いもので、対処法もわからずストレスがどんどんたまる。

仕事を辞めたい。と何百回と思うも当時はググる術すらない。
かろうじて心のバランスを取れていたのは、仕事帰りに入り浸っていた近場のbarのおかげだろう。
ここで酔っ払ってグデングデンになって肚の底からの感情を吐き出して聞いてもらっていたのが唯一の心の拠り所だった。

中村の絶望2

次の絶望は最初の転勤。るんるん気分(メタクソに言う上司から離れられるのもあって)で新天地に向かうが、とんでもない地獄が待っていた。

引継書に全く書いていない仕事が山ほど毎日降ってくるのだ。
帰宅が22時より早くなることはごく稀。

とにかく効率が悪い。
書類のありかがわからない。仕事のやり方が統一されていない。何度も同じことを繰り替えす。
経験値が後任に引き継がれないから、毎回ゼロからやり直し。

今のリアル中村を知っている人からしたら想像できないだろうけど、
誰もいない深夜のオフィスで、ストレスのあまりゴミ箱を蹴っ飛ばしたり、ファイルを壁や床にぶん投げたり、深夜の帰りの車の中で「あああああああ!!」と叫んでたりしていた。

風呂上がりに倒れたりして、結構危ないラインまで行った気もする。

当時、「ブランキージェットシティ」というロックバンドにどハマりして通勤の車内で爆音でそれを聞いていたので、病み具合がわかる人にはわかっていただけるのではないかと思う。

それとか、23才の夏に飲みすぎが祟って痔をわずらい、それでもだましだまし合コンに行きまくっていたらいよいよ本当に歩けないほど悪化して緊急手術をしたこともある。

二日酔いのせいで麻酔があまり効かず、激痛やら看護師さんたちに尻をあらわにしたり、ケツにガムテープを貼られたり、毛が絡まってそれが剥がれなかったりと、そんな恥ずかしすぎる経験を早くにしたせいで、怖いもののほとんどがなくなってしまった。若くしていろいろ開き直ってしまった。

常に頭の中は仕事のタスクのことでいっぱい。上司も残念なぐらい頼りない。終盤はなぜか平社員の僕が係長や課長と調整をしていた。

GTDというタスク整理術や、あらゆるライフハックを試しまくり残業を激減させたけど、結果その係は、三人ぐらい人が減った。死神かと思った。


「仕事はやればやるほど増える」
このことに気づいてから、会社に対する不信感がどんどん募り始める。給料はもちろん増えない。

でも、ずっと会社では仮面をかぶってニコニコ振舞っていた。あるとき会社のロッカールームの鏡に映った自分の顔の笑顔が引きつっていたのが印象的だった。

中村の絶望3

幸か不幸か「仕事できる人」のイメージがついたせいか、組織の中枢に異動。巷では「忙しすぎるから行きたくないランキングトップ10」に入る部署だ。

夜の10時から打ち合わせが始まる。
突然お上から宿題が降ってきて、明日朝イチまでに回答せよと指令が下る
国策に関わる中枢部署だけあって、そういうことが日常茶飯事だった。
おまけに、全部の支店を取りまとめる部署だから電話やメールが異常に多い!!

扱うデータも多く、エクセルの件数は10万行
多くの文書をさばくから、打つ文書も大量。
マウスもキーボードも何も触りたくなくなる程手指の末端と目が消耗した。

「こんな大変な部署だけど、毎月お給料がもらえるだけありがたいよ」

「家のローンがあるから」

「子供産まれたばっかりだから」

「ボーナスがもらえるだけありがたい」

そんな風に自分の人生を生きることを諦めたように語る先輩がたくさんいた。僕もそれが普通だと思い込もうとした。

ちなみにこの部署でも、僕が一人入って代わりに三人いなくなった。マジで死神かと思った。

そこで3.11の東日本大震災。この時震度6強を記録した茨城に住んでいた。


被災するかたわら、被災地に支援しに行ったりもして、あまり詳しくは書けないのだが、いろんな惨状をこの目で見てしまった。

また、会社の予算の流れを見る部署にいたから、国や会社の本音が「予算のかけ具合・使い具合」で見えてしまうのもわかってしまった。
会社が言っていることと、やっていることのギャップにどんどん気づいてしまう。

さまざまなことを知ってしまい、自分の中で何かがふっ切れた。

「早いところこの会社から脱出しよう。そのために自分で食う武器を得よう」

強く決心した。
常に苦虫を噛み潰したような、眉間にしわを寄せた難しい表情をいつもしていた。

中村の絶望4

国策が転ぶかどうかの瀬戸際の部署。ここに異動を告げられた瞬間「絶対に会社を辞める」強く心に決めた。

いい加減働きすぎてうんざりしていたのと、本心では北海道の部署にでも転勤させてもらって、仕事はそこそこにのんびりスノボ三昧したかったのに!希望は叶わなかった。

さて新しい部署。

ひとりひとりはみんないい人なのだが、
船頭多くして船渡らずというか
情報が錯綜しているというか
チームがチームとしてまとまっていない。
ワンフロア丸ごと、いや建物全体が負のオーラに包まれている部署だった

そもそも計画が破綻している。
最初から「活路など用意されているように見えて実はない」とわかりきっているのに、膨大なエネルギーを注ぐ。終戦前の日本のようだった。

知るというのは残酷なもので、本当に「硬直した大企業の群衆心理」というものは一切信じれなくなった。ニュースで取りざたされる大企業が不祥事を起こす気持ちはとてもよくわかる。

でも自分一人で何かできるか?と問われれば、「会社レベルではきかないぐらい、とてつもない大きな仕組みの中に組み込まれた、コマ・歯車の一部」でしかない。そう思いたくなることばかりだった。
代わりはいくらでもいる。この職場にいるときの自分が見る景色はモノクロームな記憶ばかりだ。

会社は全く信用できなくなった。だから自分の力で稼ぐことに異常に執着してなんとか光を見出した。
職場とプライベートとの間で2重人格が行きすぎて、精神が分裂しかけていた。いや、多分心は死んでいた。

誤解のないようにいうが、会社の理念やミッションはとても素晴らしい。うまくいけば日本の未来をこの先何十年レベルで変えゆくものだと思う。
でも、そこに渦巻くイデオロギーの対立構造や、国の力関係などいろんな構図が見えてしまい、ここに居続けることがほとほと嫌になってしまった。

「待てば今の環境がいつか変わる」この考えを捨てたのだ。
「もういい。ここまで仕事やってこれたなら自分で環境を「個人」の視点から一度作ってみよう。」

踏ん切りがついたのは、社外の友人が何気なく言った「そこまでできてるのがすごい」の一言だったと思う。

それだけ自分の人生を必死に行きているのなら、絶対にあなたは悪く無い

そんなネットの記事をどこかで見て、人知れず涙したこともたくさんある。

仕事ではいろんな絶望を経験してきたけどおかげでいろんなスキルが身についた。僕にとっては必死にやっていたら気がついたらできるようになっていたことばかりなのだ。
そういう意味だと14年のサラリーマン生活で、たくさんの絶望と引き換えにどこでもやっていけるバイタリティ・スキル・マインドが得られたのかもしれない。

あ、もう「よその所に行っても大丈夫かも。」賭けに出ることにした。

そう思って退職した。

中村の絶望5

これは絶望というより、死を受け入れた瞬間の話なのだが。

実は妹の運転する車に乗っているとき、横から車にぶつけられて道路のど真ん中で派手に横転するという交通事故をフリーランス時代に経験している。

うわ〜〜!!!

きゃ〜〜〜!!!

と叫ぶ車内


「あ、人ってこういう風に死ぬんか。これが最期の景色か。。。」


と、ゆっくり傾いていく車内でそんなことを思った。やり残したことや生への執着など考える暇はなかった。


ガッシャーン!!!というすごい音!


・・・


・・・・


目は開いた。

手足も動く。

声も出る。

体も動く。

奇跡的にかすり傷だった。


妹も無事だ。


悲惨な顔をして周りの皆が駆け寄ってくる姿も見える。

大丈夫。生きている!


この時、一度は本当に死を受け入れた。

奇跡的に生還したからこそ「心の底からやりたいことをやろう」改めて決心した出来事だった。

ちなみに妹は、彼女が18歳のころに膠原病という重い病にかかり、日常生活をおくりながら、懸命に闘病している。

難しいことはわからないけど不治の病らしい。薬の副作用からか、見るからにつらそうだ。だけど彼女は彼女の人生を悲観していないし、僕もそれに同情する気は無い。

姉が死産していたり、家族や自分自身の死が意外と身近にあったりで、多分そう長生きできないだろうな。と察すると、同情や悲観する暇があるなら「お兄ちゃんてなんかバカだけどかっこいい」みたいな生き様をしていたいんだと思う。

絶望と諦めから僕を救ったもの。

生死感になると重いので、もう少し軽いところでいうと、矯正されて育った原体験からか、ずっと「教え方」というものに強い関心を持っていたように思う。

旧来の学校教育の弊害(≒へータイ養成工場)から始まり、
閉鎖的な会社の体制(≒外の世界は危険という集団心理)
会社を辞めてからも、この思考回路から脱却するのがとんでもなく大変だった。

・お金の正体
・マーケティングのこと
・人間心理のこと
・世の中の真理
・人間の本質

日本の学校ではほとんど学ばないことを教えてくれたのが、勇気を持って飛び込んだオンラインサロンだった。


世の中の課題を発見し、それぞれの立場で自分の信念に基づいて行動する。

会社とは全く違う多様な価値観を持つ人々。オーナーの人柄もあって「自分の周りをちょっとよくしたい」「人を応援したい。」そんな雰囲気に溢れる人たちばかりだった。

月五千円。。。正直本当にそれが得られるのかがわからない状況でお金を払うことは何ヶ月も躊躇した。

でもいざ飛び込んでみたら、熱い仲間がたくさんいた。

その仲間に僕のこういった経験を伝えたところ、ついたあだ名が「パッション」なのだ。


今まで会社や副業で培ってきた経験を惜しみなく提供したら、あっという間に自分のステージが上がった。

涙が出るぐらい、、、いや、実際に皆の暖かさに何度も涙したと思う。

それぐらい渇望していた環境だった。

*誤解の無いようにいうが、前の会社にもちゃんと仲間はいたし、その方々に助けられた経験もたくさんある。ただ、会社とは別世界の環境で本心を言い合える仲間の存在はものすごく重要なのだ。

環境が変われば人はあっという間に変われるのだ。

サラリーマン時代に将来に悩んで5、6年。

オンラインサロンに入りわずか1年。

伸びるのにかかった時間もこれだけ違うし、感じる苦労や苦痛の度合いはもっと違う。

オンラインサロンは「好きなこと・得意なこと・やりたいこと」をやればいいのだ。この差は非常に大きい。

僕みたいに「生かされるためにする仕事」を何年も我慢し続けなくていいし、理想とするメンターもたくさんいるのだ。


人は、そこにいる人たちによってしか磨かれない。
自分が行きたいと感じている方向は、少なくとも自分にとっては間違ってはいない。

だから勇気を持って日頃よく接する人々を自ら変えていくのだ。

これを学んだ。だからみんなにそれを体感して欲しい。そういう想いが根っこにある。


結果的に、
ブログを書き綴って自分の力でお金を稼ぎ、
その経験を生かしてフリーランスとして独立
マーケティングを学び単価も徐々に上がり、家族を養いつつ時間にゆとりを持たせる生活は手に入った。

すごく遠回りしたんだけど、大きな何かでがんじがらめになっている社会の構造や、世間であたりまえの常識とされているもの。自分自身が感じている違和感。

こういうものを解きほぐしていくと

「直感に従って一歩踏み出すこと」がすべての答えへの第一歩だと思っている。

箕輪さんのいう、「3歳児であれ」
前田さんのいう、「童心」
すべて同じことだと思う。

完全に僕の中では答えのピースがはまっている。

もう一度言う

自分の心に正直になること。やりたいと思ったら、まずやってみる。

大丈夫。そこに仲間がいるから、多少あちこちの壁にぶつかりながらも必ずあなたが行きたい方に導かれる。


それを能書きじゃなく、体感してほしい。
イベントを通じて、これを伝えたい!と思ったのだ。


そして僕は、みんなの力を借りないと何もできない。

一見なんでもできるように見えるかもしれないけど、冒頭にも書いた通り不安でたまらないのだ。それに、一人の頭で考えれることなんてたかがしれている。

「多分このイベント、いけると思う」そう感じたから手を挙げた。

根拠はない。これまで絶望をくぐった経験から直感でいけると感じた。

僕に足りない「ちゃんと本心を伝えること」というところを、埋めるきっかけを今井さんがくれた。本当に嬉しいし、これこそが一人ではできないこと。コミュニティの力であり、箕輪編集室 関西チームの力なんだと思う。


長くなったけど、読んでくれてありがとう!


このnoteに心を打たれた。イベントに興味が出てきた!という人がもしいたら、ぜひこちらから支援して欲しい!

箕輪編集室 関西チームによる、盛大なイベントだ!

9/27(木)18:30から箕輪厚介「死ぬこと以外かすり傷」出版記念トークライブ&箕輪大陸上映会をやります!


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u.nakamuraya

コメント2件

初めて関西チームの動きを耳にした時本当に圧倒的で異次元の動きだと思いすぐさまzoom会議に参加して本当に良かった! 中村さんはオレと同年代で何か戦友というか、とにかく尊敬しています! 同じ時代と時間を過ごした者としてこれからも何かを成し遂げでいきましょう! 素晴らしい記事を書いていただいて本当にありがとうございます!
コメントありがとうございます!そういっていただけるととても嬉しいです!(自分ではなかなか客観視できないことなので)応援していただける、力を分けていただいている感覚はこちらも感じています。ともに頑張りましょう!
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