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1999.1.4 橋本真也 VS 小川直也《22年後の真実》

80年代から90年代の新日本プロレスは、色々と面白いアングル・名勝負がありました。
僕の見た名勝負や印象に残った新日本プロレスのアングルやイベントについて書いていきたいと思います。
皆さんの新日本プロレス名勝負はどの試合だと思いますか?
宜しければ、コメント欄に記載お願いします。


今回は、橋本小川戦のその後について書いていきます。
何故、小川は一線を越えてしまったのか?

小川直也はあるテレビ番組で、アントニオ猪木のこと、橋本真也のことを語りました。

小川はこの中で、アントニオ猪木は自分の人生を変えてくれた恩人と話していました。
そして、橋本真也ことは、豪快で凄いプロレスラーだと話していました。
そして、1.4事変について、こう語りました。

猪木さんに呼ばれて、これは世紀をかけた一戦にするから、お前ちょっとやってこい。蹴りまくって、最後蹴ってリング上に出すまでやってこい。
猪木さんからやれって言われたら、ノーとは言えませんから、やって来なきゃいけないわけです。こっちは。
結果として、全て猪木さんが絵を描いて、猪木さんの思惑通りになった。

これまで、新日本プロレスの方針に従わない橋本への制裁説、小川直也の興奮剤を服用説など、色々と言われていましたが、やはり、猪木の黒幕説でした。

確かにこの一戦は、プロレス界におけるカンフル剤になったと思います。

この後、黒船(K-1、PRIDE)にプロレス界は、飲み込まれてしまい暗黒の時代に落ちていきます。
この一戦は、アントニオ猪木が仕掛けた最後のアングルだったのかも知れませんね。

橋本真也と小川直也の一連の戦いを最後に僕はプロレスを観るのはやめました。

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