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自分なりに考え行動してきたけど、うまくいかず底辺をうろついている私が、少しでも自分を変えたくて、発信をはじめます。 


はじめまして。なかのちかと申します。
#木下斉 さんのvoicy企画
#ジブン株式会社マガジン
に乗っかって発信を始めます。(と言っても、もう2カ月間公開できずにいました、、)
地方在住、靴メーカーに勤務しています。靴とアートを行き来するような発信をしていきたいと思います。


なかのちか/靴と美術をつなぐ人(になる予定)
/週末狩猟(ペーペー)/週末美術(アートラバー)
【経歴】
靴メーカー(紳士)←現代美術ギャラリー(アシスタント)←セレクトショップ販売(鹿革)←靴メーカー(婦人) 


1.そもそも発信は簡単にできるものではない

○これまで

もうずーっと前から何度も何度もnoteで発信を始めようと思っては、下書きだけして完成させられず、投稿できずに下書きを編集して放置するということをくり返していました、、、
(初めてnoteに下書きを残している日が2019年12月15日でした。ちょうど4年前!!どれだけ行動できないあかんたれなんだ!私は、、、)
ですが、#木下斉 さんのvoicyを聴き、発信を始められたリスナー様方の素晴らしい変化を目の当たりにし、このままではいけないと思い、モヤモヤと過ごす毎日に少しの変化を加えたい!とスタートすることにしました。

2.場所をかえれば人生はかわる、と思ったが

そんなにうまくいきませんでした、、

○社会に出てからこれまで8年の変遷

  • 婦人靴メーカーに勤務、年間50型以上のデザイン生産に関わる中で大量生産の現場に疑問を持つ

  • オリジナルな靴とは何かを考える→革から考えてみようと狩猟免許取得

  • 廃業が見えたのもあり靴メーカー退職→ジビエ関連会社で販売と制作を経験、お客様と関わるのは楽しいが、日々忙殺される毎日

  • コロナ渦→狩猟の取り組むべく移住、美術ギャラリーで働く→命がけで個を追求する作家の姿を目の当たりにし、自分も生み出す側になりたいと考える

  • 靴に立ち返るべく紳士靴メーカーへ→やっと狩猟が出来る環境を手に入れ、最低限の生活は出来るが、生み出せていない、、(今ここ)

3.自分に期待すると痛い目に合う

○鬱屈した学生時代

私は高校生の頃に靴というものに興味を持ちました。ものすごく根暗だったにも関わらず、海外で靴を作ることを目指してイギリスのコードウェイナーズやイタリアのポリモーダなどの学校情報を調べて楽しんでいました。
そして靴を作るには、絵が描けた方がいいと考え、画塾に通い、当時絵心は微塵もなく、全く描けなかったデッサンが描けるようになり、そこには圧倒的に描ける子達がたくさんいて、彼ら彼女らの見えている世界に近づきたい、と美術を学ぶ大学を志しました。
当時好きだったミハラヤスヒロさんや三宅一生さんが美大出身だったのも大学を目指した要因だと思います(形から入るタイプ、、)
週6日、画塾に通い、学科の勉強はほぼせず、、実技でなんとか大学に入りました。
いざ大学に入るも、私のように才能もセンスもない人間の居場所は無く、作品を生みだすことがいかに困難なことか、自分と徹底的に向き合うとてつもなくしんどい作業と言う事を思い知りました。
何か自分が戦える場所は無いかと、交換留学してみたり、作家に近づきたくてアートプロジェクトに参加したり出来ることは試してみましたが、その場に身を置きすれば、作品が作れるようになる、という大きな憧れと勘違いに気がつくこととなりました。
卒業制作では、専攻分野とはかけ離れた作品を制作し、教授からは「こんなものを作っている暇があったら、(専攻分野の)研究をちゃんとすれば?」と厳しい言葉で私の大学生活は、幕を閉じたのでした。。
ですが、自分と向き合う大切さや、現代美術に興味を持つきっかけとなった教授や同級生、先輩たちとの出会いや、必死になって通ったアルバイト経験は、本当に行ってよかったと思っています。

○靴を仕事にするまで

大学卒業後は、まわりは就職と言うよりかは、進学や作家活動、と進んでいく中で、私は靴の専門学校に進みました。
当時、私が通っていた学校は靴職人の先生方の他にも、世界的に活躍されているファッションデザイナーのもとで学べる環境でした。
美術を学んできた私は、そこでも商業的なものではなく、アートというかオブジェクトよりの作品を目指して制作していました。
大学入学以降、「靴とは何か」を考える中で、革は食肉の副産物であることを知り、屠殺場が見たくなって、手紙を書いて往復5時間かけて見学に行ったり、各地のなめし工場の見学に行ったり、靴メーカーでインターンをしたり、今思えば、靴の根源を知るためにうろちょろしていたのです。
学生生活を通して、自分の作ったものが見る人にとって靴というものを新たな視点で見せられた体験がとても強烈に残っています。
これが今でも大きな価値観となっています。
卒業後は、やはり作家になりたい欲が強く、好きだったデザイナーのアトリエへ直談判し入れてもらえたのですが、技術的にも未熟な私が出来ることはあまりにも少なく、、お金も尽きてメーカーへ就職することとなりました。細々とではありますが、今でも関係は続いており、この出会いに感謝しております。いつかまた仕事でご一緒できるように力をつけていきたいです。

○靴業界に飛び込んでみたものの

紆余曲折ありましたが、上述した「社会に出てからこれまで8年の変遷」をたどって現在です。全て自分で決めて行動してきたことなので後悔はないし、その都度、目の前のことに全力で向き合ってきたとは思います。
ですが、自分で生きていくという覚悟を持ち切れず、どこかでいつかは誰かが助けてくれる、という甘い考えの自分がいたように思います。
そもそも靴や美術が好き、という好きなものやその時の興味だけで突き進んでは悩み、靴の研修やセミナーに通ったり投資をしてきましたが、現場では活かせず、、収入面でも日々の生活で精一杯な状況、ずっとモヤモヤし続けるというループを繰り返していました。

4.振り返ってみて、何も持っていない私が、少しずつよい方向へ進むために


自分で考えて行動してはいるものの、結局何も生み出していない日々を過ごす中で、本を読んだり、voicyを聴いたり内省したり、様々なインプットを繰り返してきました。
その中で、MBさんのドラッガー論についてや、木下斉さんの「全員発信すべき」と言う事を毎日聞いているうちに、これまで思考を言語化することから逃げているなと感じたのです。
改めて、私にとって働く上での大切な価値観を言語化してみると、「自分の作ったものが見る人にとって靴というものを新たな視点で見せられた体験=自分の作った物でお客様に新しい視点を届けることが大切」なのではないかとやっと言語化することができました。
いやいや、その一言を言語化するのに時間がかかりすぎだよ!という感じなのですが、それを靴や美術を介して自分のフィルターを通して行えばよいのではと考えています。そして、私はそれを一人でなんとかしなければならないと考えすぎていたのかもしれません。
これからnoteで発信する上で、今までこれだけ失敗と挫折を繰り返し、進んでいるようで同じところをグルグルとさまよっていた私が、#ジブン株式会社マガジン という力を借りて、少しでもより良い未来へ進むためにやっと書くことをはじめてみました。
これからよろしくお願いいたします!


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