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焼き物の好みは食べ物の好み、焼き物を好きになることは人を好きになること

熊本県で小代焼という陶器を作っております。
小代焼中平窯の西川と申します。

焼き物の好みやどんな焼き物を好きになるのかという事を書かせていただきます。

私は現在29歳で小代焼という伝統的工芸品に携わっていますが
「若いんだから、古い物のコピーじゃなくて新しい物(オリジナル)に挑戦しなきゃダメだよ!」
というアドバイスをいただくことがあります。

伝統的な物を作っていると、どうしても保守的に見えちゃうのでしょうね(^^;

私は小代焼が大好きで、自分の意志で現在の仕事を選択しています。



しかし

『伝統的工芸品を作るという家業を継ぐ』
ということが

『新しい挑戦や自分のやりたいことを制限して伝統を背負っている』
こととイコールである

と誤認されてしまう場合もあります。




良かれと思ってのアドバイスということは理解できますので、有り難くご意見を頂戴しますが…。

ちょっとした違和感もありまして。


今回はその違和感を言語化してみようという試みです(^^)

ちなみにインスタをご覧いただいている方には分かると思いますが、私はサルとかギリシャ神話とかの変な置物も作っている人間です 笑


それでは本文です。


焼き物の好みは食べ物の好み


私の好みは古小代、桃山陶芸、高麗茶碗、昭和の陶芸家(特に北大路魯山人氏川喜田半泥子氏加藤唐九郎氏)です。

これらは私が作陶する上で手本にしているというより、単純に好きだから よく本を読み返したり展示会へ足を運ぶ対象だと思ってください。


上記のジャンルを見てもらうと伝統的で古い物が多いと分かります。


しかし、『私は伝統的で古い物だから好きである』という表現は少しズレています。
『私の好きなものが伝統的で古い物だった』という表現が正確です。

さらに言うと、私は別に革新的で新しい物を否定しているわけではありません。
伝統とか革新とかに上下関係は作っておらず
ただただ、自分好みの焼き物に触れているだけ
なのです。

よく対立しているものとして考えられがちな「手作りの陶器」と「量産の工業製品」の関係でさえ、その間に優劣があるとは思っていません。
そこには役割の違いがあるだけです。

ただし、
伝統的で古い物なら何でもかんでも好きなわけじゃありません。




これから上記の内容を食べ物で例えます。




私は現在、担々麺にハマっていまして昼食の三分の一は冷凍担々麺、休みの日にはお気に入りの店へ担々麵を食べに行きます。

『中華料理だからこそ担々麺が好き』じゃないんです。
『好きな料理である担々麺が、たまたま中華料理だった』のです。

さらに言うとうどんや蕎麦を否定しているわけではありませんし、担々麺以外の麺類はランクが下であるとも思っていません。
ただただ、自分好みの担々麵を食べているだけなのです。

「お店で食べる担々麺」と「冷凍担々麺」の間に優劣があるとは思っていません。
味に限って言えばお店の担々麵を美味しく感じますが、
その代わりに わざわざ車で店舗へ行く必要が生じ、お昼時には30分待ちます。
値段も冷凍担々麵の3倍です。
そこには役割の違いがあるだけです。

ただし、
担々麺なら何でもかんでも好きなわけではなく、お気に入りの店とそうでもない店があります。




若い私へ発破をかけるための
「若いんだから、古い物のコピーじゃなくて新しい物(オリジナル)に挑戦しなきゃダメだよ!」


という、とっても有り難いアドバイスは



美味しそうに担々麺を食べている私に対して
「日本人なんだから、担々麵じゃなくてうどんとか蕎麦を食べなきゃダメだよ!」
と言われているような違和感にかなり近い
です。



「いやいやいや…!
僕は担々麺が好きだって言ってるんだから、好きなもん自由に食べさせてくださいよ(-_-;)
となるわけです 笑。

※あくまで例え話ですので、うどんや蕎麦も好きですよ!
好きな具材は海老天です(^^)



焼き物を好きになることは人を好きになること


私は小代焼が好きです。
好きな理由は好きだからです。

なぜ好きなのかと質問されれば
「力強くて自由で、風格があって大らかだからです」
と答えますが、
これは敢えて言葉にしているだけなんです。



なぜ好きなのかの本当の本当の根っこの部分は『好きだから』なんです。


人それぞれだと思いますが、これは私が人を好きになる感覚と同じであると思っています。




ここから再び例え話です。




誰かを好きになるとき、まず目の前に一人のひとがいて
「なんとなく素敵だな」
「なんとなく好きだな」
となります。

そしてその人と会話していく中で
「話しやすくて落ち着くな」
「仕事を頑張ってるな」
「意外とスポーツできるんだ」
と沢山の側面を知っていき、もっともっと好きになります。


会話していく中で知った沢山の側面は結果的に知ったことであって、好きである根本は『好きだから』なんです。




目の前に誰もいないのに
・頭がいい
・会話が面白い
・スポーツができる
・髪が長い
・…etc
という条件を揃え、条件に合う人を見つけてから好きになる事がスタートするわけではありません。




私は自分の好きな焼き物を取り巻く歴史や文化にまで興味があります。



好きな物事の背景や雑学を知っていく中で、ますます好きになっていくことは皆さん何かしらの形で経験してるのではないでしょうか?


勉強したから好きになるんじゃなくて、好きだから勉強するんです。


最後に


以上、焼き物の好みや好きになる事を例え話を交えて書いてみました。

伝統的なものや工芸品に携わっていますと、
必要以上に小難しく考えられてしまうことがあります。




しかし、何かを好きになることは人でも仕事でも趣味でも同じであると思っています。


私が小代焼を好きになったのは、幼少期から小代焼窯元として働く父の姿を見ていた影響が大きいのは事実です。

しかし、小代焼に対する好みは父と少し違っていまして
70代の父よりも私の方がずっと古小代や歴史に興味があるんですよ。
2023年現在、父の方が意識して新しい取り組みを始めようとしています。


そして私と父の間には好みの違いがあるだけです。



好みは人それぞれなのです。



2023年6月29日(木) 西川智成

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