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文字的世界【31】

【31】言文一致とナショナリズム──柄谷文字論2

 明治‐大正‐昭和とつづく近代日本に起きた出来事は、奈良‐平安‐江戸へ至る古代日本の出来事とパラレルです。それは、言文一致による、世界言語(文字)の翻訳を通じた新しい「文語」の創造がもたらした──あるいは、言文一致運動推進のイデオロギーとしてはたらいた──音声中心主義の転倒性において、そして、江戸期の国学がはらんでいた近代ナショナリズムへの傾斜と、昭和ナショナリズム(日本浪漫派、ファシズム)とのアイロニカルな(?)関係性において、西洋近代のナショナリズムとの並行性を示してもいます。

2.言文一致の問題──ナショナリズム

◎日本語の文章はしゃべられていたものを書き写したものだとわれわれは思っているが、それは言文一致以後の錯覚に陥っている。われわれは書かれた文章をしゃべっているのである。そもそも「日本語」(国語)自体が、明治以降の近代国家において形成された新しい概念である。江戸時代に国学者が「大和言葉」を見いだそうとしたが、それは萌芽的に近代ナショナリズムにつながるものだった。近代のナショナリズムは、どこでもつねに言文一致の運動とつながっている[*]。

【西洋のナショナリズム】
◎近代のネーションは俗語(ヴァナキュラーな言語)で書くこと、俗語での書き言葉を作りだすという過程と並行して生まれた。西洋においても、「言文一致」は新たな文章表現の創出であり、それはその時代の人間がしゃべっていた言語ではない。

◎ダンテはイタリア語で『神曲』を書いたのではなく、ダンテが描いたものがイタリア語となったのである。彼の書いた文章は、その地域の音声言語をそのまま表記したのではなく、ラテン語をその言語に翻訳したもので、だからこそ一地域の音声言語が、のちにイタリア語(国語)として規範化されたのである。またデカルトはラテン語とフランス語の両方で書いているが、彼のフランス語がのちに規範的になったのは、それがラテン語の翻訳だったからである。そもそもラテン語が規範的となったのは、それがギリシャ語の文献を翻訳することによって形成され整序されたからである。

【日本のナショナリズム】
◎大和朝廷がたんなる部族連合から「国家」へと発展するためには、「世界言語」すなわち漢字の存在が不可欠であった。漢字の到来は、①律令制(中国周辺の東アジア全域に並行的に生じた一種近代的な政治的技術)というユニヴァーサリティをもった法制度と、②(中国における翻訳を通じてさまざまな技術・医術などをともなう文明として伝来した)仏教すなわち部族・血縁を超えた普遍的な「世界宗教」の導入をもたらした。

◎紫式部は漢文が非常によくできたが、あえて意図的に仮名と大和言葉のみを使って『源氏物語』を書いた。しかしそれは漢文でいっていることを大和言葉らしく翻訳したというべきである。根底に漢文があって、それを翻訳したからこそ広範囲に読まれ、規範的なものになった。なぜそれができたかというと、政治的な問題を省いて、主題を男女の愛の問題にしぼったから、政治的問題が絡めば必ず漢字を使わなければいけないこれと同じことをダンテもいっている。

[*]柄谷氏は「ネーション=ステートと言語学」(『定本柄谷行人集4 ネーションと美学』(2004年)所収)で、音声中心主義は近代のネーションに固有の現象であると書き(186頁)、次の註を付けている。

《デリダはプラトンの『パイドロス』に西洋における音声中心主義の源泉を見ている。たとえそのような「伝統」があるとしても、音声を重視する見方はロマン派以後のものであり、彼らによって、プラトンのテクストに論拠が求められたのである。その点でいえば、八世紀の日本にも、漢字に対して表音的な仮名を高く評価した思想家がいた。中国にわたり、密教を導入した空海である。彼はマントラ(真言)が音声であることから、それを表記できる仮名がより優れていると述べ、また、仮名による日本の歌や物語を称揚した。だから、遡れば、八世紀の日本に音声中心主義があったといえなくはない。しかし、現実には、漢文が優位に置かれており、また、仮名よりも漢字仮名交用の文が標準であった。そして、仮名で書かれた古典──『古事記』であれ『源氏物語』であれ──を重視したのは、一八世紀後半の本居宣長とその学派である。つまり、古典が評価されたことは、この時期の音声中心主義によるものであって、たんにそのような古典が事実としてあったからではない。》(『定本柄谷行人集4』)

 また、ソシュールについて次のように書いている。「一九世紀の史的言語学は、ネーション=ステートの拡張としての帝国主義のイデオロギーとなった。私のみるところでは、それを最初に批判した言語学者こそがソシュールである。」(176頁)「たとえば、彼は文字を言語にとって外的なものと見なした。しかし、それは文字が音声にとって二次的であるという考えからではない。音声言語を第一次なものみなしたのは、ロマン派の言語学者なのだ。」(180頁)

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