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文字的世界【34】

【34】詞辞論をめぐって──柄谷文字論4

 柄谷文字論の射程は広く、かつ深いものがありますが、今の段階ではその全貌を見渡すに力及ばず、漢字仮名交用に由来する「詞辞論」をめぐる議論の摘録をもって、とりあえずこの話題を終結させます。
 これはずいぶん先走った話になりますが、いま強烈な関心を寄せているのは、日本語文法と日本の思想との関係、いやもっと一般的に、そもそも文法と思考(物思いや漠然とした感じを含めて)との関係はどうなっているのか、といったことです。その手始め、というか手がかりになるものの一つが詞辞論ではないかと直観しているのですが、いずれにせよ今の段階ではここまで。
 このテーマをめぐっては、いずれ、柄谷文字論に強い関心を寄せる浅利誠氏をはじめ、藤井貞和、金谷武洋、山本哲士といった(反時枝誠記・親三上章派の?)面々の著書も読み込んだうえで、あらためて取り組みたいと目論んでいます[*1]。

4.漢字仮名交用の問題─詞辞論

◎漢字仮名交用における漢字と仮名の区別が、日本語文法における詞(意味語)と辞(機能語、てにをは)の区別につながる。国学派の言語論を再評価した時枝誠記は、 be 動詞(コプラ、繋辞)の両側に主語と述語がある西洋語を「天秤型」と呼び、日本語は「詞」を「辞」が包む「風呂敷型」であるとした。時枝は国学者よりももっと根本的に考え、何も無い「空」が「詞」を包んでいると考え、「花が咲く」は「花が咲く*」が原型であり、文全体を構成する「ゼロ記号(*)」には「のだ」や「だろう」など何が入っても構わないとした。

◎時枝は西田哲学の影響を受けている[*2]。つまり、こうした問題はたんに文法構造から来るのではなく、ロマン派以後の問題関心から来るものである。だからそれを文法の問題、非歴史的な構造の問題にもっていってはいけない。詞と辞の区別は、理論的・道徳的な部分は漢字で、感情・情動・気分は仮名で書き分けてきた歴史的出来事にもとづいていて、国学者は後者を中心においた。これは日本にだけ起こったことではないが、西洋ではそれが「存在(being)」という語に集約され、日本では「てにをは」に集約されたのである。

◎「詞」に何を入れようと「辞」(てにをは)が変わらないかぎり「述語的同一性」は保たれる。この構造は、どんなものが外から来ても変わらない。丸山眞男は『日本の思想』で、ヨーロッパの思想には原理的な座標軸があるが日本の思想にはそれがない、たとえ外来思想を受け入れても座標軸と交錯することはなくたんに空間的に雑居していくだけだといっている。竹内好は中国やアラビアでも思想の座標軸があるといった。日本の原理はゼロ記号みたいなもので、外のものに「抑圧」(フロイト)されない「排除」(ラカン)の構造をもっている。それはあの漢字仮名交用という文字の表記法に深く関係してる。

[*1] 以下に(一切の説明抜きで)掲げるのは、門外漢ながら貫之歌論に思いをはせているうち、しだいに私の脳髄に沈澱してきた、推論(「虚構の現実化」他の夢の体験)と文法カテゴリーとの対応関係をめぐる「仮説」である。これらの実質については、いずれ「推論的世界」や「文法的世界」のタイトルのもとで取り組みたい。

Ⅰ.類似(analogy)
  ①「内と外」の往還:帰納(induction)⇔「虚構の現実化」
   :第一次内包:様相(modality)
  ②「一と多」の連結:洞察(abduction)⇔「自己の分裂」 
   :第〇次内包:人称(person)

Ⅱ.照応(correspondence)
  ③「裏と表」の縫合:演繹(deduction)⇔「時間の変容」 
   :第二次内包:相(aspect)・時制(tense)
  ④「無と有」の反転:生産(production)⇔「他者への変身」
   :マイナス内包:態 (voice)・法(mood)

N.伝導(conduction)
   :無内包:無様相・無人称・無時制・無態

[*2]西田幾多郎と時枝誠記を結ぶ系譜を、貫之にまで遡って考えてみた。

〇貫之歌論のエッセンスは「ひとのこゝろをたねとして、よろづのことの葉とぞなれりける」。「ひとのこゝろ」=言詮不及の「純粋経験」(西田哲学の起点)を一般的に語る言語が可能なのは、純粋経験それ自体が言語を可能ならしめる内部構造を宿していたから、というのが永井均氏の説(『西田幾多郎』)。

〇かくして「ひとのこゝろ⇒ことのは」の貫之歌論と「純粋経験⇒言語」の西田哲学が響き合う。この歌論と哲学の間を国語学が、そして貫之と西田の間を本居宣長が繋ぐ。西田の「場所の論理」と時枝誠記の「言語過程論」が響き合い、時枝の「詞辞論」が宣長の「てにをは(詞の玉緒)」論と結びつく。

〇時枝誠記の『国語学原論』が刊行された1941年、今西錦司は最初の著書『生物の世界』を上梓した(泥沼化する日中戦争下、いわば「遺書」として)。「明らかに」と安藤礼二氏は書いている。今西の『生物の世界』は「師」である西田の生命論(「論理と生命」他)から生まれていると(『縄文論』56頁)。

〇今西にはもう一人の「師」があった。柳田國男である(『縄文論』56頁)。鶴見太郎によると柳田の下に継承者は育たず、柳田の学問はその影響を受けた「周辺の人々」よって継承された。オオカミに関する伝聞を調査し、三高時代に『遠野物語』を「暗記するぐらい読んだ」(『自然学の展開』)今西の仕事がそうであったように。

〇柳田國男の民俗学は江戸期の国学に通じる。「もののあはれを知る」ことをめぐる本居宣長や弟子の平田篤胤に通じる。かくして紀貫之と今西錦司を結ぶ複数のラインが完結する。貫之に発し俊成・定家の歌論、心敬・世阿弥・利休・芭蕉の芸論を経て宣長へ、そして(時枝誠記と並行しつつ)西田幾多郎を介して宣長から今西錦司へ、あわせて柳田国男を介して平田篤胤から今西錦司へ。

〇安藤礼二氏によると、平田篤胤とエドガー・アラン・ポーは同時代人にして「分身」である(『迷宮と宇宙』21頁)。柳田國男は平田篤胤の「幽冥界」に並々ならぬ関心を抱き、そこから民俗学を立ち上げた(同書22頁)。西田幾多郎はポーの詩の翻訳者ボードレールをめぐって「象徴の真意義」という論文を書いた。

○金谷武洋氏は『日本語と西欧語』にこう書いている。「今西錦司は三上章と旧制三高で同期だったが、三上がいなかったら僕の進化論はなかったとまで言明している、」──貫之と今西錦司を結ぶラインのうちに、時枝誠記ではなく三上章を据えるもう一本の系譜を考えることができる。

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