令和6(2024)年はなぜ閏年(うるうどし)か?
本年(令和6(2024))年は閏年である。2月は1日多く29日まである。
本稿では、日本での現行法上なぜ本年が閏年なのかを確認したい。
1 太陽暦における閏(うるう)とは
明治の改暦(明治5年太政官布告第337号)により、明治6年以降「太陽暦」がを採用されている。
太陽暦とは、地球が太陽を1周する一太陽年をもって暦の1年という暦法をいう。
地球を太陽を約365.25日をもって1周するから、日単位で数えて1年を365日で計算すると、約0.25日(約6時間)、すなわち4年に1日ずれていくことになる。
そのために、太陽暦においては、このズレを解消するために、どこかの段階で日を調整するのが閏日である。
閏日の置き方、すなわち置閏法には太陽暦の中でも歴史上様々なものがあった。
①エジプト暦
1年を365日と計算していたが、一年が365.25日であるということは発見した。
②ユリウス暦
ユリウス・カエサルにより紀元前45年に採用された。
1年を365.25日と計算しており、置閏法としては、4年に1日の閏年をおく。4年に一度、西暦で4で割り切れる年に置かれた。
しかし、一太陽年は365.2422日であり、毎年0.0078日(11分14秒)ずれることになる。
そうすると、ユリウス暦によると、128年で1日、1282年で10日ずれることになる。
③グレゴリオ暦
ユリウス暦による復活祭の日取りの関係から、ローマ教皇グレゴリウス13世により1582年に改暦される。
1年を365.2425日としており、置閏法として「4年に1日の閏年をおくが、100で割り切れるが、400で割り切れない年は平年。400で割り切れる年は閏年」とした。
一太陽年は365.2422日であり、毎年0.0003日ずれていることになるが、約3300年で1日ずれる計算となる。
なお、西暦を採用国は西暦、つまりキリスト起源である。
2 日本における太陽暦の受容
さて、日本である。どのように閏年を置くのか、法的にはどのように規定されているか。
まずは、明治の改暦(明治5年太政官布告第337号)での規定である。
明治の改暦では、
①太陽暦を用いることとし、天保暦明治5年11月12月3日をもって、明治6年1月1日とする。
②4年ごとに1日の閏を置く。
とされている。
さて、明治の改暦においては、「太陽暦」を用いるとあるのみで、ユリウス暦やグレゴリオ暦という具体的な暦法の指定はない。
単に「4年毎に1日の閏を置く」とあり、ユリウス暦を採用したのではないかという疑念さえ生じさせる。
しかし、明治の改暦が表向き文明開化の一環として西洋社会の暦と合せるという意義があったこと、当時の西洋社会で一般に通用していたのはグレゴリオ暦であったこと、グレゴリオ暦で計算された暦日にあわせて改暦されていること、グレゴリオ暦が採用されたとされている。
後日、後に述べる閏年に関する勅令を発するにあたって、当時文部大臣であった西園寺公望による理由書には、明治の改暦によりグレゴリオ暦を採用したのは明白であると述べている。
しかし、明治33年、つまり西暦1900年は100で割り切れるが、400で割り切れない年であるから、グレゴリオ暦によると平年であった。
しかし、明治の改暦がグレゴリオ暦であるとすれば、グレゴリオ暦の置閏法と相反することになる。
3 閏年の規定
そこで、明治31年勅令90号「閏年二関スル件」をもって閏年に関する規定を補充することとなった。
勅令では、閏年について
①神武天皇即位紀元年数を4で割り切れる年を閏年とする。
②ただし、紀元年数から660を引いた年数から、100で割り切れるが、更にで4で割り切れない(つまり400で割り切れない)年は平年とする。(400で割り切れる年は閏年とする)
とされた。
これにより、日本では、結果的にグレゴリオ暦と同等の置閏法を置くことになったのである。
なんと閏年の計算は、西暦ではなく、神武天皇即位紀元、いわゆる皇紀をもって計算することになっている。
突然、神武天皇即位紀元で出てきて驚きを隠せないが、現行法令上有効であるため、これが現在でも正式な計算方式ということになる。
なお、現時点で西暦、すなわちキリスト紀元は正式には採用されていない。
4 神武天皇即位紀元とは・・・
さて、神武天皇即位紀元とは、初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年とする紀年法である。元年はグレゴリオ暦によると西暦紀元前660年に相当するとされている。
ちなみに、今年は神武天皇即位紀元2684年である。
神武天皇即位紀元について、明治5年342条という太政官布告がある。
なお、この太政官布告については、現在も有効なのかは議論があるようである。
昭和54年第87回国会における議論は、元号法制定における討論の中でなされている(衆議院内閣委員会議録第5号(30~36)、参議院内閣委員会議録第14号(90~94)
なお、現在の法令データシステムには掲載がないから、現在の政府見解は効力がないという認識であろうか。
かかる太政官布告が有効であろうと無効であろうと、現行法上神武天皇即位紀元について合理的に解釈して定めることになろう。その場合は、普通は現在一般的にいわれる神武天皇即位紀元を使用することになるのであろう。
5 結論
以上からすれば、
「令和6(2024)年はなぜ閏年(うるうどし)か?」と問われれば、
(明治5年太政官布告第337号及び)明治31年勅令第90号勅令に基づき、
本年は、神武天皇即位紀元年数でいうところの2684年であり、4をもって整除(割り切れる)ので、閏年である。
なお、神武天皇即位紀元年数2684年-660年=2024年は、100でも割り切れないし、400でも割り切れない。
よって、本年令和6年はなぜ閏年である。
6 最後に
今はさかのぼること24年前の西暦2000年は、この400で割り切れる希有な年であり、閏年ではないという報道がなされていた。そのような時代を体験できたことは幸いであった。
次回の100で割り切れる年は西暦2100年であり、400で割り切れる年は西暦2400年である。私は生きていない。このブログを約70年後、ありは370年後の方が参考にして頂ければ幸いである。以上。
参考文献
・内田正男・暦のはなし十二ヵ月【第3版】・雄山閣・令和5.11.25
・岡田芳朗・明治改暦-「時」の文明開化・大修館書店・1994.6.10
・岡田芳朗・暦のからくり・はまの出版・1999.2.26
・下村育世・明治改暦のゆくえ 近代日本における暦と神道・2023.2.28
→明治改暦に至る経緯、置閏法規定の補充の規定の経緯が詳しく、
非常に参考になった。
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