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村弘氏穂の日経下段 #52(2018.4.8)

美容師の花粉症への怨念が鋏に移る春の散髪
(国分寺 西口ひろ子)

 花粉症に悩まされる美容師さんも気の毒だが、マスクの中に鬱積したその行き場のないルサンチマンが、あろうことか鋏へと流れ込むなんてお客さんもとんだ災難だ。スウィートの3月号に載っているうっとりカワイイ春の新作のニットの情報を読んでいると見せかけて、実際には上目づかいで鏡の中で暴れ狂う鋏の乱反射を追いかけていることだろう。頼んでもいないのに、うっかりカワイイ前髪パッツンにされてしまわないかと気が気ではないのだ。一人称代名詞がない作品ゆえに作者がお客さんだとは限らないが、ヘアカットされている人物の焦燥感や不安感がひしひしと伝わってくる。仮に作者が美容師、もしくは順番を待っている他のお客さん、はたまた鋏であったとしてもその焦燥感のレベルにかわりはないだろう。また、この詠草は作者の生活詠、または職場詠のような様相でありながらも、農林水産省を批判する社会詠でもあり、春の季節詠でも自然詠でもある側面を有している点が面白い。作中から順に、美、花、念、移、春、散、という漢字を一文字づつピックアップすると、儚くも麗しい日本の季節詠の様相が浮かび上がる構図だ。もしかすると、国土の縮図である美容室に座るお客さんが木の芽時の杉の木であり、ブローの風によって花粉が舞い散り、やはり美容師は泣いているのかもしれない。さらに下の句の「移る」という語感からは念が鋏に乗り移ることはもちろん、「鋏」とならんで美容室の中枢的な役割を担う鏡にその事態が「映る」ことや、冬から春へと季節が「移る」様子を連想させる。「怨念」というペシミスティックなワードを用いて、こんなにも春らしくポップに詠草を仕上げてしまう作者は類稀なスタイリストといえよう。

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