村弘氏穂の日経下段 #47(2018.3.3)

本町に車三台とまってて雪の帽子はみんなおそろい
(兵庫 みずのよう)

 神戸の本町のような決して雪国ではない地域で雪を目にしたときの感想は、子どもの頃と大人になってからでは明らかに違うだろう。妙にテンションがあがったり、寒さも忘れてはしゃいだりすることは年齢とともに減ってゆくはずだ。しかしこの作品は子どもごころに溢れていて、そこに高揚感を見出せる。三台の車を擬人化したり、積雪を帽子に見立てたりという発想だ。そして三句目と結句の平仮名書きも充分に効いている。実際のところ、おそらくはどれも他人の車なのだろう。もし自分の車だったら雪の帽子だなんて悠長なことは言っていられないし、ましてや詠草に書き下ろそうだなんて思わないはずだ。スクレーパーを持ち出して必死に雪下ろしをして汗をかいてお疲れ様だ。滅多に積もらない地でたまたま積もった光景に吸い込まれた目は、その光に浄化されて童心を授けてくれたのだろうか。汚れなき少女が母親にアピールするような「みんなおそろい」なんていう結句の表現は、地上の泥雪のように汚れた大人からはまず出てこないだろう。年齢を超越した視点や発想を持っているということは、日常詠に詩情を宿らせたり、煌きを与えてくれるようだ。


袖口の毛玉かわいいと思えるからあなたのことまだすき たぶん                (名古屋 朝倉喫茶)

 袖口の毛玉は作品の中で少なからず、短からぬ交際期間を顕している。買った初日に毛玉ができる服なんて、ファッションセンターしまむらでも売っていないのだから。少なくとも秋の終わりか冬のはじめから交際をしているはずだ。もしかしたら去年の冬も付き合っていたかもしれない。そんな対象への恋愛感情の減退は、時として対象が所有したり、愛用したり、着用したりしているモノに知らされることがある。あんなに気に入っていた派手なラメ入りのピンクの車や、文字盤がパステルカラー六色のテンデンスの腕時計や、袖口に毛玉ができていて背中には金色の昇龍の刺繍があるスウェットがある日突然、見るのも嫌なくらい鬱陶しく思えてしまったりするのだ。だけど実際にはそれらは元々あまり好みではなかったのではなかろうか。「あなた」のことが大好き過ぎて、許せる範囲をも超えてあなた同様に好きであるような錯覚をしてしまっていたのかもしれない。だからあなたへの好き度が低下すると、それらのモノへの嫌い度が軽やかに蘇ってしまうのだ。毛玉の可愛さは、あなたへの愛しさそのものなのだ。作者はその現象を認識しているから、まだ愛があることを認知しているのだ。ただし、結句に置いた「まだ」及び「たぶん」がこの恋愛の倦怠感と不安感を暗示している。故にこの作品における平仮名書きは、拙い恋と不確かな愛を表現しているかのようだ。



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西中島東鳥

村弘氏穂の『日経下段』2017.4.1~

土曜版日本經濟新聞の歌壇の下の段の寸評
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