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村弘氏穂の日経下段 #19(2017.8.5)

化粧品売り場を君と歩くとき何も知らないオレだと思う

(仙台 工藤吉生)

 コスメフロアを舞台に男性目線で書いたロマンスのワンシーン。その心理描写は読者に委ねられている。化粧品売り場は大抵デパートの一階にあるから目的のフロアへ向かうために必然的に通ってしまう。だけどそのたびに何故か、後ろめたさを感じてしまうやっかいで不思議な空間だ。つまり男性は、どんなに綺麗な美容部員の女性がいても、どんなに甘美な香りに誘われても、遠くを見るか下を見るしかないのだ。ゆえに何度その空間を通っても化粧品に関する知識は全く身につかない。かといって例えば『オレ』がリキッドファンデーションに美容オイルを混ぜて使用すると保湿効果が上がるとか、そんなことを知らなくても『君』に責められたりはしないだろう。化粧品の知識が浅いことなんて『君』は承知の上で一緒に歩いてるんだから。それは街中でさんざんいろんなことを質問してきた『君』から、その異界に足を踏み入れた瞬間、何かを訊かれることが一切なくなることで察知できる。メイクアップアーティストを目指していない男にはきっと必要のない知識だろう。そう考えると、何も知らないことを作品に詠んだのは、化粧品に関してではないのかもしれない。例えば、新色ではない特定のカラーにばかり特別な反応を示す『君』のことや、メイクしてもらった直後の『君』はかなりテンションが上がって見たこともない表情をしたことだとか、購買を勧められた美容液の『君』の断り方が、商品を立てて角を立てない完ぺきな語り口だったこととか。まだまだ『君』には知らない部分がたくさんあって、『オレ』はまだ何も知らないことを知らされたのだ。きっとこれは異世界に身を置いた時に漲った凝視力が、空間的な制約を超えて、屋上のベンチから空に向かって呟いた詩なのだろう。


東京の鈴木さん、聞こえますかお手紙の返事を叫びます

(釧路 北山文子)

 通信手段の発達によってどんなに離れていても思いの丈をすぐに伝達できる現代において、盲点ともいえる返信手段をユーモラスに詠んだ作品。いただいた手紙を読んで即座に思ったことを即座に返す際には、距離の壁よりも強固なマナーが立ちはだかっているのだ。やはり心のこもった肉筆の手紙には、心を込めて肉筆の手紙で返信せざるを得ない。その返事には文字に残っている確かな体温が必要なのだ。たとえ釧路湿原の展望台から東京の鈴木さんに向かって、ありったけの力を込めた大声で叫んだとしも、釧路川をカヌーで下っている別の鈴木さんに届けるのが限界だ。心の声によって、無意味を詠いながら意味を問う手法が軽やか且つ鮮やかで面白い。


年老いて命の濃度薄まったおじさんやたらくしゃみがでかい

(松山 園部淳)

 なぜ大きな音を立ててくしゃみするのは年配の方が多いのだろう。作品によると年老いてはいるが、『おじいさん』ではなくて『おじさん』なのがポイントだ。たしかに寿命がより短いはずの老人よりも、その一歩手前の男性が多いと思う。封建日本では、くしゃみをするたびに寿命が縮まってしまうと信じられていたらしいけど、現代日本にそういう人はいないだろう。もしそうだとしたら、くしゃみの音が大きければ大きいほど、なおさら魂が逃げてゆくような気がするし、加藤茶はとっくに他界しているはずだ。『命の濃度』というワードが際立つ作品だけど、それが薄まっていると断定されているから歌の全体像はシニカルになる。その背景に同時に浮上するのは、言及こそされていないが『命の濃度』の中に含まれている『顕示欲の密度』や『恥じらいの密度』のパーセンテージの増減に関する考察だろう。中年男性の大きなくしゃみは『あがき』の象徴であり、それを無意識に体現化しているのかもしれない。

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