見出し画像

つづいてないくせに、noteのつづけかたを考えてみる

まいにちかく、って1つめの投稿で言っておきながら、しれっと数日で書かないっていうのは、私のデフォルトみたいなもので、自分では驚かないけど残念ではあります。

noteさんは素敵で、ちゃんと「noteのヒント」の・もっとも大事なことという項目に、

・ずっと発表し続けること

と、ちゃんと書いてくれていたりするんですね。

「ずっと」は一日も欠かすなということもあるけど、数日あいても止めてしまわないで細々とでも発信しようね、ということなんですよね。ね?ね?

ラジオ体操とか、夏休みの日記とか、毎朝歩くとか、毎日つづける、がテーマになっているような活動はなにひとつ「毎日」という縛りをまもることが出来ない人生なので、noteが毎日つづかないのは驚かないんだけど、こうやってボチボチ書くことが、仮に毎日ではなくてもいいのかと思います。

以前(10年以上前)ほぼ毎日書いていたブログはなんでつづいたか考えてみると、

・まいにち書きたいことがあった。
・まいにち読みたいものがあった。

これに尽きるわけです。

まいにち、だった理由の大きなファクターのひとつはプロ野球だったりするんだけども(笑)、自分が書きたいことや同じように人が書くものに関心があったことがいちばんの理由だったかと思われる。

今、そのどちらもないかといえばそうではないけど、スマホを手にするようになって断片的な情報の切り取りでもうお腹いっぱいになってしまう、ていうのが「まいにち読みたい」空腹感をなだめてしまったのかな、と思います。

夜仕事から帰ってナイターをみながらパソコンひらいてブログ書いて、っていうルーティンは、一日お腹を空かせて、帰ってきて食べる夕飯と同じ。スマホで通勤途中にザッピングしたものは間食。書いてみるとものすごい陳腐な例えだけどそんな感じ。帰宅が遅い仕事をここ10年近くもしていることも理由ではあるけど。

noteとかcakeとか、Facebookで引用されるようなヴォリュームのある文章を読みこなしたりいろんな人のブログを1つ1つチェックしたりする気が失せてしまった。

じゃあ翻って、今noteを書きだした理由はなにかっていうと、なにより失業したこと、ってなります。

時間はある。でも社会とのつながりがない。

アホみたいに時間があるのに、家族にも会えないし、職場という所属先も失っているし、友達からはときどき「元気にしてる?」なんて連絡もくるけど、基本隠居生活なわけです。なにか世の中に対して繋がるものを作りたいっていうシンプルな欲がありました。

さりとてインスタグラムに毎日きらびやかで凝った写真をアップすることもできないし、ものすごい積極的にオンライン講座をうけまくる気力もない。言い方ものすごい悪いけど、自分でキーボードたたくくらいのやる気しかなかったから、ということになります。そんなことを見越して失業後にパソコンを新調したので使わねばっていうこともあります。

で、毎日書こう、なんて思ってみたものの、書かなかった。

一つにはクラウドワークでよそでブログ記事を書いてみてっていう半分仕事みたいなのを気軽に引き受けて難しすぎてのたうちまわっていた、っていうのが言い訳。

もう一つはnoteは文章でも写真でもなにでもなにか、人に発信したいというものを持つ人のクリエイティブな表現の場だから、自分のまとまりのない文章を書くことに、書いてみてやっぱりためらいがあったから。


どちらかといえば、1つめの理由が主だったので、どうにか記事を納品し終えた私はすこし自由になったので、2つめの理由はもう気にしないことにして、もう一度また書いてみることにしました。

今まさに仕事を探している真っただ中なので、思うことや書きたいことはボチボチと生まれてくると思うのと、今までの仕事に関係したこともまた、せっかく持っているものだから書いてみようかと思います。

自分でも日々心境の変化があれこれと飛び出して、制御がとれないから、それも記録していこうかな。

ということで、あと何回こういう所信表明みたいなことを書くのかわかんないけど、

気負わない

これだけをつづけるマインドとしてやっていきます。

もう「まいにち」の約束はしない。



#noteのつづけ方

この記事が参加している募集

noteのつづけ方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?