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【メモ】「献本」や「ご恵贈・ご恵投」の話【投げ銭note】~仲見とその周囲の研究者のことを中心に~('19.4.29、20時台の更新)

1.はじめに

今週の火曜、4月23日はキリスト教の聖人ゲオルギウスが殉教した日とされています。彼を守護聖人とする地域のひとつ・スペインのカタルーニャ地方では、(諸説あるようですが)20世紀に入ってから、この「サン・ジョルディ日」に、本を贈り合う風習が始まったとか。そのありの話は、次のリンク先のページ:

を見て頂くとしまして。

「サン・ジョルディの日」と関係があったのかは不明ですが、その翌24日には、著者(やその関係者)が周囲に本を贈ること、具体的には「献本」や「ご恵贈・ご恵投」が話題となりました。話題となった場所は、主にTwitterだと思われます。

話の発端やその内容に関しては、次のTogetterのまとめ記事の前半をご覧ください:

Togetterにまとめられた内容について、本記事では内容に立ち入りませんが、話題の中心となった「献本」、それから著書の「ご恵贈・ご恵投」について、今回は思うところがあって、簡単に所感をまとめることに致しました。主に、私とその周辺の研究者のことが中心となります。


2.研究者による「献本」や著書の「ご恵贈・ご恵投」~仲見とその周囲のことを中心に~

そもそもの疑問として、研究者の場合、例えば自著や携わった共著の書籍を「献本」=「本を進呈する」のか?研究者同士で「ご恵贈・ご恵投」=本を「恵んでおおくり頂く恵んで頂く」ことが発生するのか?そのあたりの背景には、著書の「あとがき」や「謝辞」でお世話になった方や団体などに触れることと共通する要素の存在が考えられます。

以前、『研究室ブログ』の記事「学術書や学位論文などの「あとがき」や「謝辞」から分かること」の「3.最後に」において、次のようなことを書きました。

(前略)かつて博論を書いた経験から私が言えることは、「あとがき」や「謝辞」にお世話になった人たちの名前を出すことで、宣伝になったり、読者へ先達の研究者を「紹介」したりする情報伝達の媒体になるということでした。名前を出す場合は、人数が少ない場合、許可をとる必要が発生することもあって、面倒くさいと感じる著者もいて、「あとがき」や「謝辞」は省略されている学位論文もあります。あるいは、お世話になりすぎた人が多すぎて、書ききれない時も、面倒くさいらしいです。
(あと、気恥ずかしいかったり、照れくさかったりすると後輩が言っていました)

そのような時は、お礼を言いたい人たちの所属団体の名前を出して、「●●学会の方々には、大変、お世話になりました」とか、大学院の先輩方、同期の仲間たちとか、そういった書き方があります。そういうわけで、私は「あとがき」や「謝辞」に団体名や人間関係のカテゴリーにまとめて、書くこともありました。
(「学術書や学位論文などの「あとがき」や「謝辞」から分かること」-仲見満月の研究室

引用部分をもとに、「あとがき」や「謝辞」にお世話になった人や団体の名前を出すことと、「献本」や「ご恵贈・ご恵投」によって本のやり取りをする背景を考えると、それらに共通する要素は、

 1.本の宣伝をすること・してもらう効果が見込まれること

 2.(研究者を含む本の対象となる)読者へ先達の研究者を「紹介」すること

の2点が挙げられます。つまるところ、本を通じた研究情報の収集・交換が背景のひとつにある、ということでしょうか。

院生時代、私が研究を進めるのに苦労していた時、境界分野のテーマに取り組んでいたせいか、欲しい先行研究の情報へのアクセス方法が見えなかったことがありました。その時期、自分の頭に浮かんでいたことは、

 ・こういった情報のある文献を読みたい

 ・近い分野で関連する先行研究を読みたい

 ・使う材料は同じであれど、切り口の違う研究している人と知り合いたい

といったことです。Twitterを始める前の時期であり、研究情報の収集方法は、

 ・CiniiやJ-STAGEおよび大学で使える学術情報データベースを含むオンラインの検索ツール

 ・学術書の版元が出す目録

 ・各ジャーナルの書評記事

 ・研究者同士の口コミ

 ・自分や所属先の研究室の構成員に届く「献本」

の4つくらいが大体のところでした。

(ほかにもあった可能性はありますが、有効な方法として思い出せるのは、このあたりです)

中でも、書評記事や研究者同士の口コミは、自分に近い研究をしている方から、読む前にピンポイントで詳しい本の情報が入ることがあって、助かった記憶があります。今でいうところのTwitterに近い感覚でしょうか?自分や所属先に届く「献本」は、近い分野の方から届くことがあって、有り難かったです。

本を介して研究情報をやり取りするということは、自分からもお世話になった方々に本を渡す機会があることを意味します。私の場合、学会大会で出会った方や、新しく赴任されたポスドクの方と、博士論文の冊子体やジャーナル論文の抜刷冊子を交換したことがありました。そうやって得た研究情報をもとに、研究者は既存のものとは違う視点を持ったり、ヒントを得たりすることで、新たな論文を生み出すことができるのではないでしょうか。

こういう感じで、研究者は「献本」や「ご恵贈・ご恵投」を通じて、研究情報の収集・交換をしているのです。

とはいえ、実際のところ、献本や「ご恵贈・ご恵投」の本の数には限りがありますし、後述するように、本の交換というのは、著者や携わった方々の「ご厚意」に支えられていたところが大きいかと。そんなふうに、色々とこれまでのことを振り返りました。
(私は果たして、下さった方々に報いる研究は、できたのかな?と。はたまた、失礼なことをしてしまっていたことがあるかもしれない、など)

私の周りでは、所属の研究室や大学教員に届いた献本をメンバーで読んだり、コピーしたりして、研究を進める。個人的に必要があれば、同じ本を探して買うことをしていました。



3.最後に

以上、私や周りの研究者のことを中心に、「献本」や本の「ご恵贈・ご恵投」のことをメモ的にまとめてみました。

現在は、こうした本のやり取りがSNSでたくさん報告されていると考えられ、現実世界での口コミに加えて、Twitter等が研究情報への間接的なアクセス方法になっているといえそうです。実際、私はTwitterで「○○様より、ご恵贈いただきました」というツイートを見て、「読みたい!」と思った次の瞬間、ネット検索で本のある場所を調べ、注文していることが少なくありません。

やり取りするのが学術書の場合、私の印象では、一部当たりの価格が高くて少部数のことが多いもの。中には、「出版でお世話になった方の全員に献本ができない!できれば、全員に献本したいけれど、どうしよう…」とジレンマに陥る人もいるかもしれません。現実的な落としどころとして、お世話になった方の所属する研究室や団体、所属機関の図書館に献本するということが考えられます。そうはいっても、可能な限り、お世話になった方々には献本をしたい!

といった感じで、サン・ジョルディのある週に、話題にのぼった研究者の本のやり取りについて、考えたことをまとめました。

おしまい。


('19.4.29、20時台の更新)

次の研究室ブログの記事前半に、補足を書きました。本記事と合わせてお読みください↓

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