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駆出しの気候学者、英国で大学教員初任となる:その1(英国渡航編)【読み出し無料】~「伝える」をいうことを僕に教えてくれたイギリスと21人の生徒たち」(現代ビジネス )~

(『仲見満月の研究室』からの出張版)

1.はじめに

私のやっている、院生や研究者のサポート方法の一つに、大学院出身者の進路を紹介する記事を書くことがあります。今回のエントリ記事も、その一つで、

"学位を取得してからイギリスに職を得るまで、私は日本で時限付きのポストを渡り歩きながら食いつないでいた。大学教員の公募には20回ちかく応募したが、すべて不採用に終わった。
(「伝える」をいうことを僕に教えてくれたイギリスと21人の生徒たち(中川 穀) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)、2017/10/07)”

という経歴を持ち、当時、駆け出しだった気候学者で、現在は立命館大・中川毅教授の新米時代を書いた記事を取り上げたいと思います。新米大学教員として、異国の地で苦戦する中川さんの姿やお話から、日英の大学における大学教員を取り巻くシステムの相違点や習慣など、コメントできたらと思っております:

 ●「伝える」をいうことを僕に教えてくれたイギリスと21人の生徒たち(中川 穀) ( 現代ビジネス | 講談社(1/3)、2017/10/07)

なお、取り上げるオンライン記事は、3ページにわたっており、ここ「分室」でも、2回かに分けて、お送りする予定です。

(イメージ画像:イギリス北部のニューカッスル・夜のタイン川付近)



2.「伝える」をいうことを僕に教えてくれたイギリスと21人の生徒たち」(現代ビジネス )に見る、駆出しの気候学者の英国で大学教員赴任体験

 2-1.当該記事が執筆された理由当該記事の冒頭を読むと、その執筆理由が中川毅教授の次の著書が、専門性の高い科学分野の研究を、一般読者に向けてわかりやすく著した作品に対して贈られる「講談社科学賞」」2017年の受賞作となった記念と、宣伝だということが分かります。

●中川毅『人類と気候の10万年史 過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか 』(ブルーバックス)、講談社 、2017

大まかな内容は、「過去の緻密な記録から気候変動のメカニズムに迫り、人類史のスケールで現代を見つめなおした」ものということです。

新書版で、読みやすそうなご著書だということは、受賞作品であることから分かりますし、内容が非常に気になるところではあります。しかし、ここでは中川さんが大学教員の新米時代を英国の大学で過ごされた体験のほうが主題であるため、『人類と機構の10万年史』については、詳しい紹介は割愛させて頂きます。

それでは、中川さんの体験を見ていきましょう。

 2-2.英国のニューカッスルへの赴任と「憂うつな「就職活動」
さっそく、中川さん自身の筆によるお話です。最初のほうは、しばらく、赴任したニューカッスルの解説が続きます。

"2017.10.07
「伝える」をいうことを僕に教えてくれたイギリスと21人の生徒たち
立命館大・中川毅教授が新米だったころ

中川 穀
■憂うつな「就職活動」
2003年の11月から2014年の3月まで、足かけ12年をイギリスのニューカッスル大学で教員として過ごした。

ニューカッスルはイングランド北部で最大の都市であり、近代史においては産業革命で重要な役割を担ったことで知られる。町の中心部には壮麗な建築が今でも多く残っており、当時の栄華をうかがい知ることができる。

いっぽう郊外に向けて車を30分も走らせれば、そこには北部イングランド特有の美しい農園やヒースの荒野が地平線にまで広がっている。冬は泣きたくなるほど日没が早いが、春から秋までは過ごしやすい日が多く、日本から持っていった半袖は、11年間ついに一度も使われることがなかった。
(「伝える」をいうことを僕に教えてくれたイギリスと21人の生徒たち(中川 穀) | 現代ビジネス | 講談社(1/3))

2003年11月から2014年3月というと、通算10年半ほど異国で大学教員として、勤めていたことになります。出版された先のご著書が理系レーベルの本なのに、赴任地のニューカッスルについて、「近代史においては産業革命で重要な役割を担ったことで知られる」と書かれているところは、ちょっとした文章の執筆にも中川さんが慣れていらっしゃることがつかめます。ちなみに、ニューカッスルの寄稿や風景について、読んでいると、私は何度か旅行で行ったことのある北海道の人口数十万レベルの都市を思い浮かべてしまうのでした。

読み進めると、赴任したニューカッスル大学の説明と、当時の中川さんの心理状態が出登場してきます。

"ニューカッスル大学は、そんなニューカッスルの中心部に位置する大型の総合大学である。イギリスの名門大学24校が作る「ラッセル・グループ」の一員であり、私のいた地理学教室は、研究の面でも全国的に高い評価を得ていた。

イージージェットとライアンエアという、二つの格安航空会社がニューカッスル空港をハブとしていたことから、ヨーロッパ各地の研究者との交流もきわめて容易だった。慣れない土地での生活に、それなりの苦労があったことは否定しない。だが30代の後半と40代の前半をそのような場所で過ごし、多くの経験と刺激を得る機会に恵まれたことは、研究者として非常に幸運だったと思っている。

とはいえ、イギリスに渡った当時の私が、何かとても前向きな志にあふれて生き生きしていたかというと、必ずしもそうではなかった。
(「伝える」をいうことを僕に教えてくれたイギリスと21人の生徒たち(中川 穀) | 現代ビジネス | 講談社(1/3))"

ニューカッスル大学とは、「イギリスの名門大学24校が作る「ラッセル・グループ」の一員」という説明を聞くと、アメリカのアイビー・リーグのような、名門校の連盟大学のひとつ、というイメージがあります。日本でいう旧帝大七大学で作る「学士会」みたいなものでしょうか。

着いてみると、空路の交通の便がよいようで、「ヨーロッパ各地の研究者との交流もきわめて容易だった」土地であれば、学術交流も頻繁にできそうです。苦労しながらも、30代後半からの約10年間を「多くの経験と刺激を得る機会に恵まれ」て、読者である私も、「それは、実りの多い赴任だったんだろうな」と羨ましく思いました。日本の大学だと、個人的な偏見では、関東では東京や横浜、関西では大阪や神戸、九州は福岡の大学、東北だと宮城、北海道は札幌など、海外の研究者との交流がしやすそうな交通の便のよさそうな都市が該当しそうではありますね。

気になったのは、上記の「イギリスに渡った当時の私が、何かとても前向きな志にあふれて生き生きしていたかというと、必ずしもそうではなかった」という部分。本記事の冒頭で引用したように、中川さんは日本で、おそらく博士学位取得後、任期付きのアカデミックポストを渡り歩いて食い繋いでいた間、20回も公募に落ち続け、身も心も荒んでしまっていたのでしょう。その精神状態は、『現代ビジネス』のオンライン版の1ページ目の終わりの方に、詳しく書かれています。

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