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【属性】→【エモさ】、その【行間】(第7回)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。

 私、ここのところ【登場人物】を切り口として、『【記号】と【エモさ】の結び付き』とその【応用】について【考察】を巡らせております。

 『“【属性】に対する【エモさ】”は、伝わらない相手には、全く伝わらない』という【事実】からして、【エモさ】の【背景】には一種の【教養】、ここでは“鍵となる【作品】や【事象】”が【存在】することになります。

 言い換えれば、こういうことです。『“【エモさ】を引き出す鍵”として多用される、“【属性】を始めとする【記号単体】”には、【エモさ】は宿っていない』。

 これを【観察】していくに、『“【属性】という【記号】”と【エモさ】の結び付き』は、『【行間】と呼ばれる【情報】の【圧縮】ツール』と同じ【原理】で【説明】可能――と私は【認識】しております。

 【表層】に配置した【表現】、この【背景】に【存在】する【事実関係】――もっと申せば【共通認識】を通じて、『さらなる【意味付け】を書かずして描く』という【構造】は、【属性】にも【行間】にも共通するというわけですね。

 いずれ【属性】にせよ【行間】にせよ、【共通認識】を利用して成立する考え方というわけです。これを上手く扱えば、利点は様々あることになるわけです――上手く扱えば。
 つまりは、同時にリスクも巨大というわけです。

 ゆえに“【エモさ】の【原作】となる【背景情報】”つまり【共通認識】は正しく【尊重】する必要もありますし、同時にそれで【作品】を【破綻】させてもいけないわけです。『違反は即ち“【属性】への侮辱”』になるわけですから。

 今回はこの辺りを掘り下げてみましょう。

 ◇

 ここで「“【作品】としての【整合性】、【一貫性】”がどうして必要なの?」という【疑問】もあり得なくはありませんが、これはそもそも“【作品】としての【完成度】”を問うものです。

 “【属性】という【記号】”単体を上手く扱ったとしても、『【作品】全体として【整合性】、【一貫性】を欠く』、つまり『【作品】として【破綻】している』ようでは、『【属性】を並べただけの【状態】』から脱することはできません。
 つまりこの場合も「【属性】を並べただけで【観客】が喜ぶとか、舐めてんじゃねーぞ!」という【嫌悪】を買うことになるわけです。「【属性】(の【背景】にある【原作】)を安っぽく使うな!」あるいは「手抜き【作品】で【観客】から【支持】を【搾取】しようとするんじゃない!」というわけですね。見方を変えれば、この場合は『【作品】としての出来を問われている』ことになるわけですが。

 さてこの『【作品】全体としての【整合性】、【一貫性】』というものは、実は【作品】としての【完成度】を追求する上で【重要】な【存在】に関わるものです。これもまた『広い意味では“【属性】という【記号】”』であり、ただし同時に『“より根源的な【属性】”を借りてきているがゆえに果たすべき【義務】』でもあります。

 この場合の【属性】は『【現実】において“特定の【現象】や【感情】”を表すもの』です。大小さまざまな規模と種類があり、これらが“誘導”する【効能】は【エモさ】に限りません。
 これらは『【感情】の機微の【理解】』や『大小さまざまな【現象】の【納得感】』を“誘導”する、言うなれば『【没入感】の元となる【説得力】』にも当たります。もちろんこの場合、『【原作】に相当するものは【現実】そのもの、特に【現実】にある【法則】や【関連】の数々』です。

 例えば『特定の【仕草】をある程度束ねると、特定の【感情】を表すことになる』というのが、その代表格です。総合すれば、『【行間】に相応の【背景】を伴った【表現】の数々』ということになりますね。

 こういった【属性】を用いた【表現】の場合、『【現実】において【存在】する【法則】』に従うからこそ、『【観客】は【作品】内の【事象】に対して、【擬似体験】としての【現実味】や【存在感】を覚える』わけですし、『【登場人物】に対して、【存在感】を覚えたり【感情移入】したりできる』わけです。

 もちろん『【フィクション】においては“【設定】という【大嘘】”が【存在】する』わけですが、だからこそ余計に『“【設定】の【影響】が小さい部分”では、【観客】は【現実味】や【存在感】を求める』ということであっても、何ら不思議はありません。

 そう考えると、つまり“【現実】において【存在】する【属性】に基づいた【細部描写】”というものは、『【観客】にとっては【現実味】や【存在感】といった“【没入感】の【根源】”』ということになるわけです。

 “【設定】という【大嘘】”には『いっとき【現実】を忘れさせてくれる【非日常】(【フィクション】の場合は【非現実】)を求める一方で、“【細部描写】における【整合性】”には、【非日常】に【没入】するための【説得力】を求めている――というわけですね。
 そうであるなら“【細部描写】における【矛盾】を始めとする【小嘘】”というものが、【観客】に毛嫌いされるのにも納得がいきます。

 もちろんこの【現象】、“【設定】という【大嘘】”とは対照的です。ですが、そもそも【観客】が【期待】している【役割】が異なるわけですから、良し悪しを【判断】する【基準】が異なるのはむしろ当然でありましょう。

 ◇

 さて、今回は一旦ここまで。

 “【属性】という【記号】”に始まるこの話、実は【行間】を始めとして【作品】への【没入感】を醸す上でも、押さえておくに値する【事実】を内包していることになりますね。

 次回はここまでの流れをまとめつつ、【作品】への【没入感】に繋がる【完成度】、これを向上させていく道筋について【考察】を巡らせてみましょう。

 よろしければまたお付き合い下さいませ。

 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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