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【属性】→【エモさ】、その【行間】(第6回)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。

 私、ここのところ【登場人物】を切り口として、『【記号】と【エモさ】の結び付き』とその【応用】について【考察】を巡らせております。

 『“【属性】に対する【エモさ】”は、伝わらない相手には、全く伝わらない』という【事実】からして、【エモさ】の【背景】には一種の【教養】、ここでは“鍵となる【作品】や【事象】”が【存在】することになります。

 言い換えれば、こういうことです。『“【エモさ】を引き出す鍵”として多用される、“【属性】を始めとする【記号単体】”には、【エモさ】は宿っていない』。

 これを【観察】していくに、『“【属性】という【記号】”と【エモさ】の結び付き』は、『【行間】と呼ばれる【情報】の【圧縮】ツール』と同じ【原理】で【説明】可能――と私は【認識】しております。

 【表層】に配置した【表現】、この【背景】に【存在】する【事実関係】――もっと申せば【共通認識】を通じて、『さらなる【意味付け】を書かずして描く』という【構造】は、【属性】にも【行間】にも共通するというわけですね。

 いずれ【属性】にせよ【行間】にせよ、【共通認識】を利用して成立する考え方というわけです。これを上手く扱えば、利点は様々あることになるわけです――上手く扱えば。

 そこで今回は、この【共通認識】を取り扱う上での難しさ、これについてお話ししてみましょう。

 ◇

 つまるところ、『“【属性】という【記号】”は、【共通認識】なくして【エモさ】を喚起し得ない』ということになります。

 眼を転じてみれば、時流を捉えた【作品】が【人気】を得る上で強い一因もここにあるわけですね。“その時々の時流の中に広く【存在】する【共通認識】”を、“時流を象徴する【記号】”という【エモさ】の数々を用いて、“【行間】に収める”ことができるわけですから。

 ですが、ここで要注意。
 【共通認識】を利用する、といっても簡単にいくとは限りません。【解釈違い】の例でも【確認】しました通り、『【共通認識】は壊れやすく、また壊れたら強い【負の印象】を招く』のです。
 この事例として、『【流行遅れ】に対する【嫌悪】』が挙げられます。『“現在の【流行】という【共通認識】”に収まらない姿』が、いかに見下されることか。

 こういった【事例】を鑑みるに、『【共通認識】を壊さない』ことの【重要性】はご【理解】いただきやすいのではないでしょうか。

 『【共通認識】を壊してしまい、そのために【嫌悪】を買う』という【現象】、実は先に【萌えキャラ】の【人物造形】などに関して挙げました【事例】が、まさしくこの【現象】に抵触します。「【属性】を並べただけで【観客】が喜ぶとか、舐めてんじゃねーぞ!」という【嫌悪】ですね。

 この【嫌悪】の【原因】は、もちろん『【共通認識】の取り扱いに【失敗】したこと』にあります。より【正確】を期するならば、この【嫌悪】の【原因】は『【作者】が“【登場人物】の【人物造形】”や【状況】構成に用いた“【属性】という【記号】”が、“【記号】に対する【共通認識】を壊している”と【観客】に【認識】されたこと』にあります。
 『【作品】内において“【属性】という【記号】の【背景情報】”を体現するはずだった【登場人物】』が、例えば【物語】内における【立ち位置】、あるいは【立ち回り】といった【具体的言動】において、『【共通認識】を逸脱した』、というわけですね。

 ここで【作者】が「これは【一次創作作品】なんだから、細かいところで目くじら立てるなよ」と文句を垂れたところで、【観客】が収まる【理由】はありません。

 見方によっては『【作者】は“【属性】という【記号】”の【背景情報】を丸ごと借りてきて、【エモさ】という【効能】を【安易】に得ようとしている』ことになるのです。
 つまり『【属性】という一点に限っては【二次創作】を行っている』わけですから、「(“【属性】の【背景情報】”という)【原作】から不当に逸脱している!」という【嫌悪】に対しては【反論】の余地を持ち得ないわけです。『この【嫌悪】に文句があるなら、“【属性】という【原作】付き【要素】”を使うべきではない』という【論理】を前にしては、いかにも不利は否めませんね。

 ことほどかようにデリケートな【属性】を扱う上でのハードルは、『“【原作】となる【背景情報】”を【尊重】しつつ【表現】に【反映】し、なおかつ“【作品】としての【整合性】、【一貫性】”を保つこと』ということになりそうです。

 ◇

 さて、今回は一旦ここまで。

 “【属性】という【記号】”は“【エモさ】という巨大な【情動】”を背負っているだけに、メリットも大きいと同時にリスクも巨大ということになります。

 ゆえに“【エモさ】の【原作】となる【背景情報】”つまり【共通認識】は正しく【尊重】する必要もありますし、同時にそれで【作品】を【破綻】させてもいけないわけです。『違反は即ち“【属性】への侮辱”』になるわけですから。

 次回はこの辺りを掘り下げてみましょう。

 よろしければまたお付き合い下さいませ。

 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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