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【属性】→【エモさ】、その【行間】(第8回)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。

 私、ここのところ【登場人物】を切り口として、『【記号】と【エモさ】の結び付き』とその【応用】について【考察】を巡らせております。

 『“【属性】に対する【エモさ】”は、伝わらない相手には、全く伝わらない』という【事実】からして、【エモさ】の【背景】には一種の【教養】、ここでは“鍵となる【作品】や【事象】”が【存在】することになります。

 言い換えれば、こういうことです。『“【エモさ】を引き出す鍵”として多用される、“【属性】を始めとする【記号単体】”には、【エモさ】は宿っていない』。

 これを【観察】していくに、『“【属性】という【記号】”と【エモさ】の結び付き』は、『【行間】と呼ばれる【情報】の【圧縮】ツール』と同じ【原理】で【説明】可能――と私は【認識】しております。

 【表層】に配置した【表現】、この【背景】に【存在】する【事実関係】――もっと申せば【共通認識】を通じて、『さらなる【意味付け】を書かずして描く』という【構造】は、【属性】にも【行間】にも共通するというわけですね。

 つまり“【属性】という【記号】”に始まるこの話、実は【行間】を始めとして【作品】への【没入感】を醸す上でも、押さえておくに値する【事実】を内包していることになります。

 即ち『【現実】において【存在】する【法則】』に従うからこそ、『【観客】は【作品】内の【事象】に対して、【擬似体験】としての【現実味】や【存在感】を覚える』わけですし、『【登場人物】に対して、【存在感】を覚えたり【感情移入】したりできる』わけです。

 今回はここまでの流れをまとめつつ、【作品】への【没入感】に繋がる【完成度】、これを向上させていく道筋について【考察】を巡らせてみましょう。

 ◇

 いずれにせよ、『“【属性】という【記号】”の【背景】という【共通認識】』に対して、【物語】内の【表現】(例えば【登場人物】の言動)が一部なりとも乖離するとき、“【属性】という【記号】”は“ただの【無機質な記号】”に成り下がるわけです。のみならず、【観客】は往々にして『【作者】が【エモさ】を不当に軽々しく扱い、【安易】に【支持】を【搾取】しようとしている』という【反感】を覚えることにもなります。
 その【結果】として、そこに想起されるはずだった【エモさ】は往々にして“激しい【嫌悪】”に転じる――と、つまりはそういう【現象】が起きていると【我流】では【推察】するわけです。

 これを防止するには、『“【属性】という【記号】”の【背景情報】を【理解】した上で、【作品】内の【設定】との間で【整合性】と【一貫性】を持たせる必要がある』わけです。そのためには【細部描写】の一つ一つにまで【整合性】と【一貫性】を持たせるべく、“【属性】の【背景情報】”を元にした【考察】や【考証】を行き渡らせることになりましょう。

 何のことはない、然るべき部分にきっちり【手間】をかけた分だけ、【作品】は【深み】や【重み】を増すわけです。そしてこの【原理原則】は、【属性】云々とは関係ないというわけですね。

 ここで、悪い意味での【事例】を。
 ある【登場人物】が、“命の次に大事な形見”と日頃から称するアイテムを肌身離さず持っている、とします。
 この【登場人物】が、“特段の【理由】もなし”で、“気軽な口調”で「じゃ、このアイテム売り払ってお金にしましょうか?」などと口走ったとしたら、さてどうでしょうか。

 『命を繋ぐには他に方法がないほどに貧窮にあるならいざ知らず』――と言いたいところですが、実はこれは【状況】という切り口での【矛盾】に過ぎません。
 実はこれ、ちょっと引いて前後関係を視野に収めてみたなら、さらに別の【矛盾】が【存在】していたりもするものです。
 この場合では、『“命の次に大事な形見”という【極めてシリアスな背景】』に対して『“特段の理由もなく”“気軽に”売り払えるという、【シリアスさへの向き合い方】』が【矛盾】を内包している、とも申せそうですね。

 ここには『【登場人物】の【人物造形】としての【問題】』もあるわけですが、『その【問題】が表出していながら、【作者】には気付きもされない』、【言語化】を試みるなら『“【状況】の【考察】や【作り込み】”において【作者】が抱えた【大穴】』もあったりと、【矛盾】が一つならず潜んでいたりするものです。

 これ、『手がかかる』という見方もありましょうが。
 逆から見れば『“【状況】の【考察】や【作り込み】”は丁寧さを要求するものの、見返りとしてもたらされる【効能】は絶大』ということでもあります。

 一つの【応用例】として、『【行間】の【作り込み】とその【効能】』を考えてみましょう。
 “作中の単語”や“【登場人物】の言動”一つ一つの【背景】に、『“【連想】されやすい【関連エピソード】”を【お題】として、“【n題噺】で構築した【エピソード】”が組み込んである状態』を思い浮かべてみて下さい。実はそこに『解る人には伝わる【意味付け】』が込められる――ということに気付く方もおいでのはずです。
 その上で『【表層的】な【事実】のみを使った【エピソード】でも【面白さ】を【演出】』し得たなら、さてどうでしょう。『【表層】だけでも【理解】できれば【面白い】。ただし【行間】の【エピソード】までも【理解】したなら、さらに【面白い】』という構成が出現することになります。

 ◇

 さて、今回は一旦ここまで。

 【行間】まで含めた【作り込み】の【効能】は、一見して【地味】ではあります。ですがこれは、『解る人ほど【奥深さ】を【理解】できる【意味付け】』を、『解る人だけが読み取れる【行間】に【配置】する』という【構造】、これを【作品】に持たせられる――ということでもあるわけです。

 つまり『【奥深さ】を追求していながらも、くどくない』という【表現】の【可能性】に、こういった【姿勢】は繋がっていくわけですね。
 もちろん容易なことではありません。【鍛錬】とその元になる【向上心】は必須です。

 ということは、この【鍛錬】や【可能性】については、“【属性】という【記号】”に向き合う【姿勢】が【影響】していくことになります。

 次回はこの【姿勢】について【考察】を巡らせてみましょう。

 よろしければまたお付き合い下さいませ。

 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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