2月9日 木曜日 晴れ、それぞれの大切にしていることは何なのか|箱庭日記

ごきげんよう
友達から、同性婚についてどう考えているのか?とLINEが来たので5時間かけて長文で返信しました。以下は返信LINEのコピペ(この文量をLINEで送るでない)+送ったときに考えきれていなかったところを付け足したりしています

Twitterで憲法学者さんが炎上して、また同性婚のことだなあとギトギトとした気持ちで読みはじめたけれど、今回初めて、何でこんなに認められないんだろうと疑問だったところが腑に落ち、各々が納得できる在り方の可能性が見出だせた感覚がありました。超簡単に言うと憲法学者さんの仰られていることには概ね納得です。
法律の現状から解釈する上での納得、という意味で、法律自体に納得していないことは今までと変わらずです。同性婚は認められて然るべき、けれども憲法の定める婚姻はこうですと言われたらどうしようもない、ならどうするべきなのか(どうなってほしいのか)ということを自分の思考の届く範囲で、保守的な思想、視点を色々読んだ上で(というのも、婚姻は保守的な意思……これは政治思想といった簡単に説明できるものではなく、広く浸透している価値観……によって守られている法律だと思うので、それをいかに傷付けずに共生の場をつくるかは鍵だと思う)自分なりの着地をしています。

詳しく言っていくと
○現状
・憲法上の婚姻は子を産み育てるリスク・負担に対する保護→納得
・子を養育していないペア(例:老夫婦)は婚姻制度が不要→ギリ納得
。子を産み育てることをほぼ前提に婚姻関係にあるペアは経済力に著しい偏りがあったと言える世代が長いので、それをまとめて保護する必要があるように思う。
・憲法上の婚姻制度が子の養育のための生活保護であるなら、通常の同性ペアは制度外と言えるが、養子をとる時点で契約できるようにすべき。また、異性ペアでも近親は制度外、年齢制限あり、重婚不可とされていることから、単なるペアの法的保護制度ではなく子の保護であることはその通りだと思う

・子を産み育てる予定のないペアは婚姻制度を利用する必要がない?
→現状の婚姻制度を解釈するうえではそう。生活保護を利用する必要のない経済状況の人が生活保護をわざわざ利用しようとしない感覚

・配偶者にしか認められていない社会的保証への不平等はどう考えるか
→早急に制度を整え解消すべき(大声)

・それは同性婚によって解消されるか?
→憲法上の婚姻に同性婚を適用するのは荒いように感じる

・なぜか?
→婚姻に付随する税優遇は子の養育+おそらく専業主婦が想定されている荒いというか古い制度である、 以外で説明するのがやはり難しいなと思った。例えばこれに同性婚(養子無し)を含めると、税優遇の理由が「パートナーがいること」になってしまう。そうすると、パートナーのいない人といる人を分ける理由は何なのか?それこそ明確な差別になりうるのではないかと感じる

・子の養育を前提としていない異性婚は制度の濫用?
→超超極端な言い方をするとそう
ただ、やっぱり結婚ってその人の宗教からの価値観も関係するし、文化的なイメージがあまりにも広くて巨大だし、お見合いが主流でない今は恋愛から発展することが多いし、このままずっと付き合ってるなら結婚してもいいのでは?みたいな考えになるのがまだまだ自然だし、ビジネスもそれを中心に据えられてる。そういう土壌のもと育った我々は、恋愛的な親密さをベースにそれぞれの結婚観を培うしかなかったし、そういう文化的な結婚観はある程度共通しているとも思う。「経済的に困窮しているから生活保護を申請しよう」みたいな感覚で「子の養育を想定しているから婚姻制度を利用しよう」って殺伐とした感じよりも、ずっと一緒にいようねみたいな感覚が大きい気がする。だからその結婚不要だよとはならないし、同性婚が認められないのはおかしいって感覚になるのはごく自然なんだよね。
お見合いしてた時代には婚姻→出産ってもうその辺は社会圧が支えていたから婚姻制度の説明は不要だったろうけど、反動でお見合いが減ってきた今は人々の自由意思と文化的なはたらきに頼るしかない(頼るしかない というのは国を維持するには次世代が必要だという国家的な目線)。恋愛を推奨するしかないというのはそうだと思うし、婚姻に付随する様々な法的義務が、好きな人とずっと一緒にいたい、わたしのものにしたいという欲望と合致して絶大に支持されている面もあると思う。配偶者にしか認められていない権利の存在も大きい。同性婚なんでダメなの?ってなるのは当然だと思う

・異性ペアも妊娠してから結婚がよい?
→婚姻制度は父親の逃亡と予め法で固めておくことのどっちがマシか、で後者を定めていると思う。(別件:ひとり親当事者としてはひとり親って自由で楽しいな~と思っている)

・法の定める家族とは異性ペアとその子 なのか?
→これまだ考え途中だけど、それ以外を国が認めない=家族として存在しない
ではなくて、むしろ「様々な共同体のうち、子を養育する共同体を家族という名目で保護する」ということなんだろうなと思う
それは国が、それを真の家族……というか国民の在るべき姿だとして優遇するというわけではなくて、やっぱり子を養育するというリスクや負担にはそれなりの生活保護が必要、という意味でいいと思う。家族、真の家族……そもそも家族「家の族」に関して自分は「様々な人間の集まり方の一種」だと思っているので、個人的なおきもちとしては、あなたのそれは法的には家族ではないが文化的には家族だと言われるのは構わないと感じる。
超保守的な考えの人は真の家族!とか思ってるかもしれないし、その考えに沿うならば差別対象は同性ペアに限らずかなり広範囲に渡るよね。法を定めた当時は国全体がそういう価値観だっただろうし、色々な人が抑圧されていたと思う(これは同性愛に限らずだと思う、わたしの祖母は祖父が亡くなってお通夜もまだというときに「この人と結婚したくなかった」って荷が下りたように言っていて色々と考えさせられた。とても若い頃に無理矢理結婚させられて、戻れないように両親から縁を切られて、何十年も堪えた。そんなことがあっていいのか?でもそんなことがなかったら自分は存在していなかったし、そんな自分は今日が誕生日なのである)から法的にもそういう意味合いはあったと思えるけど、今の時代にそういう意味合いを持たせる必要はもうない。
ただ…… ひとり親とか離婚とかが取り沙汰されたり、同棲してるのになんで結婚しないの?みたいな雰囲気はありふれたもの(この雰囲気がありふれているから同性ペアがなぜ結婚できないのか?ということに自然となる)で、自分は保守的だという自覚や立場を表明している人に限らず完璧な家族観みたいなのって一般的にふわっと、かつ強烈に浸透してるんだなとは思うです。なので、家族という言葉は多くの人にとってわたしとはかなり違う感覚なんだろうなと思う。
これは日本の子ども(我々)は基本的にはそういう共同体の元で生まれ育って、そういう共同体のことを家族だと捉えた上で社会に出るから仕方がないのかな……とも思う

・法の定める家族の範囲を広げるべきなのか?
→これにかなり悩んでいる。現行の狭い家族観に同性婚を内包することは、本当に解決なのか?
かなりアナキストな思想だけど国家が介入する範囲が狭い方が人々の自由は保証されてると感じちゃうんだよね。個人を財産ごと法で縛って離れられなくするって人権どこいった?ってかんじだけど、子どもの保護が最優先という価値観で最低限縛る必要のある人を縛っているのが現状で、縛る必要の無い人を縛って大丈夫なのか。
ただ、子の養育有無を抜いても残る特権的な部分(遺産相続とか手術の立ち会いとか)が配偶者や血縁者にしかないっていうのは、明らかに不平等だし同性ペアが不利益を被ってる(とはいえ、こういうのは最悪のケースを想定して、例えば事故に遭ってぐちゃぐちゃになっているこの身体は誰なのか?が特定できなければいけないから、血縁者との紐付けは必要だと思う。配偶者とはまた別の話だけど)。婚姻制度が子の養育のためだと明確に言い切るなら、この部分は解体して新制度化するべきだと思う(別件:所得制限かけておいて子の養育のための制度だと胸を張って言えるのか?)
国家の介入がない自由は、法の保護下にない場面で不利益を被る。これは、この国には様々な人がいる自由と同時に「いない」とされる範囲がある。みんないる、そこに光をあてなければならないと思う

○ではどうするべきか?(ここからは「わたしのかんがえるさいきょうの…略」なので適当に読み流してください……)
・婚姻制度は子の養育を前提としていることを明確にして、制度に付随する文化的なイメージの弱体化、性別による不平等を解体

○具体的には?
・パートナーシップ制度(仮称)の新設
→社会的協力を保証する成人2名もしくは3名(人数に関しては悩み中)
→これまで配偶者にのみ認められた権利を有する
→妊娠届or養子をとる時点で婚姻に切り替わる。それまではパートナーシップしか選べない。保証は離婚がない限り子の成人までとする。= パートナーシップ制度では子の養育を前提としない
→数年おきに契約を更新
→扶養・貞操義務無し
→扶養控除あり※1
→名称自由※2

・同性婚を適用することと何が違うのか?
→性別に関わらず子の養育を前提としないペアを婚姻制度に押し込むこと、異性ペアが現状そうなっているということに行き詰まりというか暴力性を感じる。今の日本社会が培ってきた文化的な結婚と、法律の実体としての婚姻との解離を解消するならば別制度の方がいい気がする。
別視点から言うと、保守的な領域に見出だされた多様性は、その内部で枠組みを拡大させるよりも取り出した方が、今後も多様性に対応できると思う。
子を前提としたペア ってたぶん最保守だけど、その価値観を大切にしている人を抑圧することは多様性を逆行するし、思想上の争いが泥沼化すると思う。
それぞれが大切にしていることは何なのか?が明確に、かつ切り分けられている方が全体的な健康が得られるし、百年も経てば今の自分たちが想定していない人々というものがいると思う。次の世代がまたこのような壁に当たった時に、同じように解決していけばいいという型を示せると思う。
あと、感情ではどんなに同性婚賛成でも憲法上の婚姻はこうなんですって説明されたらそれはもう改憲でしか乗り越えられないことになるけど、それはかなり遠回りだと思う。

※1扶養控除のはなし
→これはペアに限らず全個人に与えられるべきだと思う(考え終わっていないので現時点ではというかんじですが……)

扶養に入れるのって親族の範囲だけなのかな、結婚したことがないからちょっとよくわかってないけど、親族に頼れない人が経済面で法的に頼る手段として婚姻制度を使えるのは異性ペアだけとも言える。昔は経済力のアンバランスが前提だっただろうし、今となっては共働き世帯の足枷でもあるけど、人が人を支えることは権利として平等にあるべきで、今は婚姻制度が内包してしまっているのかなと思う。人々が自由意思で生きている今は「大事な人がこれからも生きていけるように」という個人が持つあたたかな部分が結婚の動機になることは多いというか、だからこそ同性婚はなぜできないのかということでもある。
この部分を取り出して、いかなる個人も他の個人を扶養(相手がパートナーであるかは不問)でき、税優遇を受けられる とするのがよいのかなと思っている。本来生活保護が担う部分を個人に委ねる(生活保護自体は残す。個人が気軽に助け合えることが目的)のでその分は控除がありますよみたいな、ふるさと納税に近い感覚かなあ。好かれたもん勝ちみたいな状況になりかねなくてそれはそれで地獄をみるので、扶養義務とは切り分けて考えなくちゃと思うし制限も必要だけど……。
でも、悪くない発想かなあ~。個人的には、何かあったらまず家族に頼る、という感覚がやはり閉鎖的で、自分が友達を手助けしたい、されたいときも「家族でもないのにどうしてでしゃばるの?」みたいな事があるとしんどい。家族でもないのにとは?家族って?(個人のおきもちです)
ただ、パートナーシップはずっと一緒だよの証ではなくて、あくまでも共生しようとする個人の公証にとどまるべきだと思うので、離れやすさも大事。扶養控除を制限付きですべての人に適用することで、パートナーのいない人は扶養システムに送金→経済的困窮者に分配&扶養者は節税ができるし、扶養システムから受け取れる、もちろん各個人、パートナーのいる個人間でも授受できるというふうにすれば、パートナーの有無が不平等に繋がることは避けられるし、パートナーシップ間での扶養関係は義務ではなくて個人の意思でできるので、経済依存も避けられると思う(例:経済力のないパートナーを個人的な意思で扶養していたが、やめる→その分は扶養システムが補う)。
ライトな扶養システムがほしいと思う。
(マイナンバーが進化して、オンライン限定で送金→自動的に控除・送金者受け取り者ともに年度の上限に達すると自動的にとまる、みたいなオードリー・タンさんの降臨を前提としているシステム)

※2名称自由 について
申請時に「結婚・パートナー・友人・その他自由記述」みたいなかんじで選べるようにする。
→婚姻制度とは何かということより、文化的な結婚が根付いた中で同性婚の必要性が明確になっている。「婚姻制度とはこういうものなので対象外なのです。解散!」ではなく、わたしたちはその続きを話す必要がある。婚姻の範囲を限定しても、文化的な結婚をするすべての人から結婚という言葉をとるべきではない。仮に新制度の名称がパートナーシップだとして、これまで結婚として生きてきた人がそれをパートナーシップだと言い替える心理的拒絶は大きい。「それぞれが大切にしていることは何なのか」が侵害されてはならない。
また、共生しようとする個人はその親密さが測られるべきではない。名称に基準や差はなく、どういった名称で登録するのかはしっくりくるかどうかで決める。

今さらだけど同性婚はけっこう自分事で、例えば賃貸契約のときって同じペアでも性別問わずカップルの同棲は可・友達のルームシェアは不可ってかんじで、関係性が社会的信用に響いている。反社とどう区別するかは慎重な議論が必要だろうけど、共生は恋愛カップルのものだけではないのになあと思うです。一人で生きること、たまには誰かと生きること、ずっと誰かと生きることは平等であり、その在り方に優劣はない。恋愛ペアを公的に認める事が目的となると、個人的な所有欲を何故法で満たすのかということになるけれど、共生しようとする個人がそれぞれ何者であるのか、ということを公証していく意義や必要性は切実かつ大いにあると思います




雑感:役所勤めの友達から話を聞いたり、実際に手続きで役所へ行ったりすると「役場はパンクしている」ということが分かります。新制度は個人的な願いとして書き連ねてみたけれど、導入されたらあの窓口がどうなってしまうのか……。マイナンバーカード事業で手一杯な現状を踏まえると、現実的ではない。申請もオンラインがいいんだろうなとおもう、オードリー・タンさんの降臨を願う……

余談:自分は生い立ちの事情でかなり殺伐とした結婚観を持っているので友達が結婚、となるとあの凄い法の縛りに身を投じる……という漠然としたおののきがあり、それは「おめでとう」なのか?と立ち止まってしまう。しかしみんなが見ているのはもっとあたたかでハッピーな、人々が培ってきた文化的な結婚で、それを祝っているのだと思う。婚姻の存在をさっぱりさせてこの文化的な結婚、それぞれの結婚が選べるようになったら、じぶんは一人一人におめでとうが言えると思った。ブライダル文化はどれも芸術性高いし楽しいのでもっと自由に盛り上がりたいよねというきもちもあるです



最後まで読んでくださりありがとうございました、私と友達だとこれがLINEで届くので、私の友達をやるというのはなかなか大変だなと思います。みなさま仲良くしてくれてありがとう

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