イェダラスカレイツァ201909

ひとふで小説|8-イェダラスカレイツァ:バルヴァリデ[VIII]


前章:[I]〜[収録マガジン]


VIII

 相棒たちの遺体が綺麗な骨となったのはちょうど陽の出の頃だった。
 優しくゆすり起こすと、半分寝惚けたままのシオはターレデの腰に抱きついて、幼児が口にする喃語のようなものを二、三呟いてから、はっ、としたように飛び起きた。
 ヴァンダレが居たことを思い出したのだ。それから、昨日起きた悪夢のようなこともすべて、現実として。

 ヴァンダレは、野宿を遂げたシオを労いながら、本当はもう少し短い時間で火の葬いを終えることもできるのだと説明した。それは、疲弊したシオを家の寝台で寝かせてやれなかった後悔から出た言葉だったかもしれないし、或いは若いシオがいつか自力で誰かの遺体を弔うときのために教えたのかもしれない。
 但し、それには、無残に解体された相棒たちの躯を、更に、棒か何かで、もっともっと壊す必要があったから、絶対にしたくなかったのだ、と付け加えた。
 シオはただ、
「ありがとう」
 と言って、相棒たちの白く乾いた骨に、丁寧に土を被せていった。数えきれないほどの日々を一緒に駆け回り、共に踏み固めた故郷の土を。
 ヴァンダレとターレデは、残った薪を片付けながら、シオの惜別を見守った。

 墓標を作り終えた頃にはすっかり陽も昇り、村人たちが次々とシオの相棒たちを弔いに現れた。
 シオは相変わらず気丈に、相棒たちとの思い出話をしたり、昨夜差し入れられた酒や料理の礼を述べたりして、大人たちの話し相手を立派に務めている。
 ヴァンダレもまた、村の恩人として人々に囲まれ、礼賛を浴びていた。
「今日の晩餐はうちで食べてくれ」
「いや、是非とも我が家へ」
 と、引っ張り合いになっている。
 多くは感謝によるものだったが、中には、ヴァンダレと親しくなって片腕を失った理由を聞き出したいと思う者もあれば、この剣豪を家に寝泊まりさせて真っ先に護られたいと願う者もあった。
 終始、ヴァンダレは笑顔を崩すことなく一人一人に漏らさず相槌を打ち漏れなく言葉を返しながらも、既にターレデの家に居着くことに決めているとして、全ての申し出を丁重に断った。

 一旦、ヴァンダレを村の入口に残して家に戻ってきたターレデは、母屋に入ると体をぐっと伸ばし、膝や腰を屈伸させて息をついた。一晩の疲れが体に残って、動くたびに軋むような感覚を覚える。
 本当は茶か水でも飲んで座り込みたかったが、ヴァンダレは今も心をほぐせずに村人の相手をしているのだと思うと、自分ばかり休む気持ちになれない。
 裏の扉を開くと、石焼き場として使っている窯に火を熾し、手頃な石に熱が渡るよう火突きの棒で窯の中を転がした。

 昨夕、湯浴みの途中で飛び出した湯場には垢落としの強布がそのまま浮かんでいた。ターレデは布を拾うと軽く濯いでから、力強く絞り、ばっ、と広げて洗濯縄に干した。普段ならもっと丹念に濯ぎ、清水に晒してから干すのだが、今はどうにも頭が回らない。
「ヴァンダレ様がまた湯浴みするときは、新しい布をおろせばいいわね。これを洗うのはまた明日」

 それから、湯場の砂や垢を掬いながら、少しばかり言葉に歌のような節をつけて、昨夜のヴァンダレの冗談を反芻する。
「…ヴァンダレ様、村を救った褒美に、我が儘を言って、私に石を焼かせて、もう一度湯浴みしてから、寝台で寝るんでしょう。仰ったからには、その軽口、守ってもらうわよ…」
 あれが寝ずの番を快く引き受けようとしたヴァンダレなりの気遣いだということは、ターレデもよく解っていた。それに、汚れを浚う時は手伝いたいと申し出てくれた律儀なヴァンダレだから、これほど草臥れる夜明かしの末にターレデひとりで湯場を整えたと知れば、きっと深々と詫びてくるのだろう。
 けれどもターレデにだって、優しい意地がある。

 暫くは石に熱が渡らないことを確認すると、裏戸は開けたまま、母屋に入って軽食の支度を整えた。帰ってきたヴァンダレがすぐに食べたがったらすぐにでも食べられるように、しかし、食べたがらなかったら、そのまま置いておけるように、ちょうどいい具合のところまで。

 ターレデは、もともと自分の夜食にでもしようと思って磨り潰してあった山黍を石皿に取り分けて、台所に置いた。潰したその場と比べたらすっかり飛んでしまったと思うが、それでもまだ、甘く瑞々しい、良い香りがする。それから木箱に積んであった山野菜の中から色や形の優れたものを選んで、目の大きな籠に放ると裏の川まで洗いに行った。籠ごと清流に晒し、引き上げて水気を切る。
「ヴァンダレ様のお口に合うかしら。きっと上等な物を、たくさん知っておいでだろうからねえ…」
 道すがら湯沸かしに使う石の様子を確かめて、足早に母屋へ戻った。ターレデは脇目も振らずに籠に入った野菜を台所へ置くと、吊るしてある肉の中から、燻したものを三つほど捥いで、食卓に並べ、その足で母屋を出た。
 体はすっかり限界にきていたが、体力ではない何かに動かされている気がする。

 早足と駆け足を繰り返しながら慌ただしく墓に戻ると、シオとヴァンダレは、まだ村人たちに囲まれている。二人とも疲れを見せまいとしてか、相変わらず笑顔だった。シオの母サラが、二人の脇で村人たちから差し入れられた酒や料理の器を片付けている。これが済めば、ヴァンダレもシオも早く帰れるかもしれないと思ったターレデは、急いでサラを手伝った。
「村の人たちの温かさは本当にありがたいねえ。けど、どれが誰の家のものだか、すっかりわからないから、名前を書いておいてほしいなんて思ってしまったよ」
 サラが小声で笑うと、ターレデも相槌を返した。
「頂いたものの中に、とっても美味しいものがあったから、できればどなたの家から来たものか突き止めて作り方を習いたいのですが…、他の皆さんに対して失礼になってしまいますから、まさか聞いて回るわけにもいかなくて。伯母さんの言う通り、名前でも書いていてくれればねえ…」
 二人は村人たちの器の一つ一つを、サラが持参した井戸水で濡らし、丹念に拭き上げた。村の入口まで様子を見に来てくれた者にはその場で返し、姿の見えなかった者には、サラとターレデが手分けして家まで持って行くことにした。
 家路に就いたサラとシオに器を返された者たちは、ごくふつうに、暖かい言葉を掛けて受け取るにとどまったが、ヴァンダレを伴って家路に就いたターレデから受け取った者たちは、恩人の訪問に仰天し、土産を持たせようとした。

 母屋の扉を開けて招き入れると、ヴァンダレは入ってすぐ立ち止まって、はぁっ、と一息ついた。
「終わりましたね、一先ず…ですが。近くにまだ潜んでいなければいいのですが…」
「ええ…。ともあれヴァンダレ様、ありがとうございました…」
 ヴァンダレが腰から剣の一式を外して、どこに置いたものか迷っていると、ターレデが両手で受け取った。見た目よりずっしりと重く、鞘は土埃に塗れ、指先にはたくさんの凹凸が触れた。革彫りした紋様ではなく、旅の道中でつけた傷のようだった。
 ターレデは木箱の上に布を敷いてヴァンダレの剣を寝かせると、声の調子を一段明るくして言った。
「さあ!ヴァンダレ様。お湯の支度もできています。食事の支度もできています。でも、お疲れでしたら、このままの格好で寝台に飛び込んだって構いませんわ。いかがなさいます?」
 ヴァンダレは心底驚いた顔をして答えた。 
「ターレデ様、あ、あなたは、大事な用があると仰るから、何かと思えば…、もしかして、先ほど、ほんの少し家に戻られていた間に、あの短い間に、すべての支度を整えたのですか?」
 ターレデは、ヴァンダレが思った以上に驚いてくれたので嬉しかった。
「ええ。なんでも今日は、村を救った勇敢な剣士様が、褒美として、湯沸かしの石焼きをねだり、湯浴みを愉しんで、寝台で眠りたいと仰るそうなので、頑張りましたの。…でも、ヴァンダレ様、無理はなさらないで。私、あなたが思ったより冗談を言ってくださる人だったから、つい、こうやって、調子に乗ってしまいましたけど…お疲れでしょうから全部ほったらかして眠ってしまっても、本当に構わないんですよ。このまま二人とも、土まみれで寝台に横になってしまうのも、きっと気持ちのいいことですわ」
 ヴァンダレは、
「すぐそこに温かい湯があると知りながら、眠ってしまう旅人など居るのでしょうか」
 と言って笑いながら、使い込んだ革の手袋の指先を歯で咥えて外そうとしたので、ターレデは慌ててヴァンダレの手を両手に取って、そっと手袋から抜き取った。

 それから裏口へ出ると、ターレデは立てかけてあった農具を手に取った。五本の爪を持った形の鍬を窯に押し込むと、腰を屈めて中の様子を伺う。特に芳しい焼け石に目星をつけたターレデは鍬の手で器用にいくつかを拾い、注意深く湯場まで運んだ。
 生まれ持った灰色を忘れたみたいに、内側を鮮やかな橙に透かして光る白い塊は水場に触れた瞬間、無数の泡が弾けるような激しい音を立てた。浸すと更に音を重ね、もうもうと水煙を上げて沈んでいく。ターレデは何度か石を運んで、湯場を温めた。
 真昼の太陽に暖められた外気が手伝って、夕方近くなってから沸かした日よりも遥かに都合の良い温もりをもった湯場がヴァンダレを迎えた。

 よもや昨夜の軽口を真に受けるなどとは思っていなかったヴァンダレは、ターレデに詫びたい気持ちで心を張り裂きそうになりながらも、全身を隈無く包む優しい湯を体の芯から愉しんだ。それだけでなく、今度は大人しく、ターレデに洗髪を任せたので、疲れ切った頭の中まで片付いたように、すっきりとした。
「ああ、ターレデ様、本当に心地好い思いをしています。どうお礼をしたらいいのか…。…それにしても、やはり、腕というのは二本ほしいものですね。いや、もっとあってもいいかもしれない」
「腕が二本あるだけで私はヴァンダレ様より遥かに楽な暮らしをしていますが、…それ以上はどうでしょうね。ヴァンダレ様ほど素早く剣を振る方が手をたくさん携えたら、ご自分の手と手で斬り合ってしまわないかしら。心配だわ…」
 ヴァンダレは笑って、やはり二本がちょうどいい、と言った。
 ターレデは、一旦、桶に汲み置きを取ってから、ヴァンダレの頭皮を揉み込むようにして根元を洗い、それから、毛束を解くように毛先を梳くように流し、最後に汲み置きの湯で全体を濯いだ。手に絡む髪から砂の感触がある。張り詰めた頭の肌をほぐすと、指先には重ねた疲労を示すような脂を感じた。
「ヴァンダレ様のような、長旅を経た方が我が家へいらっしゃると知っていれば…洗い石を作っておけば良かったですわ」
 ターレデがそう言うと、ヴァンダレは驚いて振り返ろうとしたが、ターレデの手が頭を支えていたのでうまく振り返れなかった。
「洗い石まで?…ターレデ様は、美味しい料理や、布を編むだけでなく、本当にいろんなものが作れるのですね」
「よく、父たちが長旅から戻ると髪や頭の脂や臭いが取れずに困っていたので、清涼を感じる香り油や香草を探して、楽しみながら作ったものですわ。でも、使い心地の好いものが仕上がるまでは日が掛かるので、時々切らしてしまって。あと数日もすれば仕込んだものが干し上がって、頃合いを迎えますから、そうしたらもっとしっかり洗いましょう」
 ターレデはヴァンダレの目元に頭髪の汚れを含んだ水滴が落ちぬよう額に手を添えながら、生え際を指圧するようにして擽った。どんな洗い方が好いのかターレデにはさっぱり分からなかった。ヴァンダレも人から施しを受けるにあたり、細かな要求を伝える性分では全くない。だからターレデは、手探りで、自分が自分の頭髪に施して心地よかったことを、顔が濡れぬよう、髪を引っ張ってしまわぬよう、細かく気をつけながら行った。幸いヴァンダレは終始、心地よさそうに、心底嬉しそうに、まろやかな溜息を交えながら、ターレデにすべてを預けていた。

 山は何事もなかったかのように、静かに空と大地を結んでいる。木立ちの中に魔族を隠しているかもしれないのに、離れて見ればどうしようもなく長閑で美しいのだからターレデは悔しくなった。昨日の悲劇や事が起きるまで誰も気付けなかった人魔の在り処を山々は意図も無く押し隠していたのだ。これまで充分すぎるほどの恵みを与えてくれた山に恨み言ばかり湧いてくるのは、ターレデだけでなく、シオもサラも同じだった。

 川のせせらぎの向こうに、嶽鷹の細く硬い声が伸びる。
 風を絶ち、光を絶ち、土に契られ、相棒たちはシオの暮らす山の一部として、今から生の終わりを失い始めて往く。

つづく

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 企画「ひとふで小説」は、何も考えずに思いつきで書き始め、強引に着地するまで、考えることも引き返すこともストーリーを直すことも設定を詰めることも無しに一筆書きで突き進む方法でおはなしを作っています。
 具合悪くて寝込んでた時に「いつも通りストーリーを練って本腰で働くほど元気じゃないし、長時間起き上がって作画するのは無理だけど、スマホに文章を打ち込めないほど衰弱してるわけでもなくて、ヒマだなー…」っていうキッカケで、スマホのテキストアプリに書き始めました。
 いつもは構成も展開もラストシーンも大体決めて原稿に取り掛かるので、たまには違う作り方も面白いから、即興に挑戦しています。
 挿絵も、こまかい時間を活用して、ご飯を食べながらとか寝る前にiPadで描いています。

(作・挿絵:中村珍/初出:本記事)